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子どもなわたしによる子育ての話

こんにちは*
京都のまちの小さな写真屋cotonowaのyuniです。
年末年始とゆっくり過ごしていたのですが、気づけばもう2023年に入って二十日が経過していました。
書きたいことはたくさんあるのになんだかうまく言葉にならなくて、書きかけの下書き保存だけが増え、さあ今日は書き切ることができるのか?と自問自答しながらも今パソコンに向かっています。


新年のご挨拶をちゃんとしようと思っていたけれど、二十日も経過すると「なんか違う」という感覚が拭いきれなかったので、Instagramの投稿でも書いた内容になるのですが、記録として残しておきたいので、今日はわたしとうちの子どもたちの話をさせてください。
もう、自分の大人げのなさを恥ずかしげもなく露呈させます。爆
いや、うそ。恥ずかしさはある。爆


長女の成長に泣いた日

わたしは2歳4歳の二児の母で、とにかく今まで長女に悩まされてばかりいたのですが、ここ最近2歳5ヶ月の次女の自我大爆発が過去の長女並みに至ったため、さすがに次女にも手を焼くようになりました。

そんなある日久しぶりに仕事でクタクタになり
次女の自我大爆発の行動に対し
いつもなら我慢してうまくやりすごしているのに
フツフツと湧いてくる怒りを抑えることができず
そのまま怒り散らしてしまいました。
寝かしつけの時も長女が眠ったのに次女が暴れ
「もうええ加減にし!!!!!」とブチギレ次女は大号泣。
ひたすら泣き続ける姿にイライラしながらも、ハッと自分の余裕の無さからの怒りなのだと気づき、慌てて次女と横になりながらなんでママは怒ったのかを説明し、お仕事で疲れたから余裕がなくて優しくできなくてごめんねと謝ると、ちゃんと理解してくれたようで全てに頷き
「ママ、だいちゅき」といって眠りに落ちたのですが
もう完全に自己嫌悪に陥るわけです。
あーーーやっちゃった、って。
なに2歳児全力で泣かせとるねんと。


とはいえ余裕のなさというものはすぐ解消されるものではなく、次の日も次女の通例行事と化している送迎時の自転車乗車拒否に
「ママのこと好きちゃうからお話聞てくれへんのやろ」
と拗ねてしまったり
「次女ちゃんごはんいらないっっ」
と全身全霊でご飯拒否された時には
「ママのご飯いらないって言ったーー!!」
と大号泣してしまうほどでした。
いや、もう子どもやないかと今なら思うのですが。笑

しくしく泣きながら洗い物してたら長女がやってきて
「ママ、なんで悲しいの?
次女ちゃんがご飯いらないって言ったから?
長女ちゃんはママのご飯大好きよ。
ママ大丈夫やで。泣かんでええしな。
長女ちゃんが食べさせてくるからね」
と言って次女にごはんを食べさせてくれ

「ママのご飯いらんって言ったらママ悲しいやろ?
大きな声でごめんなさいして!!」

と次女を諭してくれていて。

「次女ちゃんまたいらんってゆーたら
長女ちゃん食べさしてあげるしな。ママ、大丈夫やで」
と頭を撫で慰めてくれたのですが
そんな長女の優しさにまた泣けてきて

「ママ長女ちゃんとハグしたい…
優しく育ってくれてありがとーー」

と泣きながら抱きしめたら「いいのよぉ〜」と笑って抱きしめ替えしてくれ、また涙。

夫に一連の経緯を話すとどっちが母親やねんと笑いながら突っ込まれたけど、自分がここまで溜め込んでると気づいてなくて、それをカバーしてくれたのは夫ではなくまさかの今まで当事者だった長女で、彼女の成長に驚きと喜びと感動で胸いっぱいになったのでした。


自己肯定感・自己満足感を高めること=マイラブ

子どもたちは体の大きさだけでなく
こころもしっかりと育んでくれている。
それなのにわたしは30年以上も長く生きてるのに
彼女たちよりずっと子どもな時もあって
わたしの言動が彼女たちに与える影響は大きいだろうに、自分自身をコントロールできていないが故の言動で、彼女たちの個性を奪い、成長に歪みを生じさせないか、めちゃくちゃ不安になることが多々あります。

ちょうどそんな時に
「そもそも、マイラブやと思うねんな〜」
とママ仲間である友人が話していて、いやもうまさにその通りだなと。

子どもたちがとる一つの行動に対して
怒り狂うこともあれば、笑って過ごせることがあるのは
自分の心の在り方の違いだということは分かっていたけれど
「余裕がない」時に怒ってしまうならば
「余裕がある」時はどういう時か
そこを掘り下げて考えてみたら意外に単純で。

自己肯定感だったり自己満足感だったり
そういう「自分自身が満たされている時」「楽しい感情でいっぱいの時」って、子どもを怒る気にもならないし、何か失敗しても「よしやってみよう!」と背中を押したり「一緒にやろう」と寄り添うことができる。

つまりは、子どもをコントロールしようとするのではなく、まずは自分をコントロールすることが第一前提となっていて、自分が何をすると楽しく過ごせるか、何でストレスを発散するのかを理解し、定期的に自分のために時間をかけることで、解決できることはたくさんあるに違いないと思ったのです。

子どもたちが可愛くないと思ってしまう時が、正直わたしにはあります。
親としてなんて情けないことだと、人としてどうなのかと、そういう感情に蓋をしたくなるし、そんなこと大々的に言えるはずもなくうちに秘めて悶々とし、こんな感情を抱く自分がおかしいのだと自分を責め立て余計に苦しくなるという負のスパイラル。

子どもたちをうまく愛せない。
子どもたちがかわいそう。
育児書に書かれている内容は
頭では理解できているのに実行できない。
やっちゃいけないって分かってる。
でも、でも、でも、できない。

自分に欠陥があると思ってきたけれど、実はそもそもが自分という存在を蔑ろにしたからだった、ということに気がつくと、ものすごく腑に落ちたのでした。

楽しい気持ち、幸せな気持ちの時、わたしはこの上なく子どもたちとの時間を愛しく感じるし、あらゆることに感謝したくなる。

もちろん自分を満たす時間を作っても、余裕のない時は生きている限り絶対発生するものだろうから、菩薩のような母にはわたしはなりきれないだろうけれど、自分が良くない態度を取ったら意地を張らずちゃんと子どもたちに謝り、抱きしめたい。

無償の愛を与えてくれるのは母ではなく、実はまだ幼い子どもたちじゃないかな。

情けないママの子どもになってくれた姉妹たち
いつも支えてくれて、ありがとう。



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