久保田早紀と「サウダーデ」の記憶
先日私は、音楽メディアサイト「Re:minder(リマインダー)」に、「久保田早紀は異邦人だけじゃない」というコラムを寄稿した。
久保田早紀といえば「異邦人」のヒットだけで終わった一発屋の印象が強い。しかし、4枚目シングル「オレンジ・エアメール・スペシャル」を発売した1981年あたりまではオリコンTOP100にも名を連ね、TVやラジオ、雑誌で見かけるくらいの露出はしていた。私の遠い記憶では、日曜朝の旅番組(番組名は失念)でレポーターをしたり、あの鶴光のオールナイトニッポンにもゲスト出演したこともあった(はず)。
それはともかく、ここではコラムに書ききれなかった久保田早紀のアルバム『サウダーデ』に対する私の思いと新たな発見について、当時の記憶も絡めて書いてみたい。
「サウダーデ」と聞けば、2000年に大ヒットしたポルノグラフィティの「サウダージ」を思い出す人が多いと思う。どちらも元の意味はポルトガル語の「saudade」で、日本語では「郷愁」や「思慕」などと訳される。ただし単なるノスタルジーではない。失われたものへの切ない思い、取り戻せない過去への憧れといった複数の意味を含み、直訳が難しい言葉である。
また「saudade」は、ポルトガルの民族音楽「ファド」のテーマ(歌に込める感情表現)としても知られている。久保田早紀の作品には、ファドの影響下で作られた切なく歌い上げる曲が多いが、その集大成として制作された3枚目のアルバムに、この『サウダーデ』というタイトルが付けられた。ファドについては、以下のサイトが詳しい。
中学2年だった当時の私は、久保田早紀がファドに影響されて曲作りをしていることを雑誌か何かで読み、ファドがポルトガルの民族音楽であることを知った。そして、ファドが流されるラジオ番組を聴き、物悲しいギターの調べと情感がこもった叫ぶような歌声に強く惹かれた。その流れで、大航海時代のきっかけを作ったポルトガルのリスボンという街に憧れた。
久保田早紀のアルバム『サウダーデ』のA面には、そのリスボンでレコーディングされた5曲が収録されている。どの曲もギターだけをバックにアコースティックで歌われているが、複数のギターが見事に調和する演奏が素晴らしい。1曲目の「異邦人」ファドバージョンの前奏には、曲のメロディーに乗せて女性によるポルトガル語の語りが収録されていて、「サウダーデ」と発する声も聴くことができる。私が特に好きな曲は「アルファマの娘」。船乗りの恋人の帰りを待つ女性の切ない心情が歌われている。
ちなみに「異邦人」は、「Maria Lisboa(マリア・リスボア)」というファド曲の影響を受けている。ファドの歌手として世界的に有名なアマリア・ロドリゲスも歌っていて、聴くと確かに雰囲気が似ている。
久保田早紀はこのアルバムで、自分の音楽の原点と言えるファドの世界をとことん追求したはずだった。しかしながら彼女の音楽の原点は、東京で録音されたB面1曲目にあった。そのタイトルは「サウダーデ」。アルバム表題曲の美しいバラードである。この曲で彼女は、教会のことを歌っているのだ。
彼女が洗礼を受けてクリスチャンとなり、アーティスト活動を引退して教会音楽家に転向するのは、まだ先の話。しかし心の奥底には、子供の頃に通った教会への郷愁、いやサウダーデがあったのだろう。この曲からは、そんな彼女の内面が透けて見える。
久保田早紀の音楽の原点はファドではなく、教会音楽だった。ただ、それに気付くには幾つものプロセスが必要だった。彼女の歌声がCBSソニー(当時)の金子ディレクターの耳に留まって音楽界に入り(この経緯とタイミングが松田聖子と同じで興味深い)、金子氏のアドバイスでファドを聴いて試しに何曲か作り、その中の1曲に過ぎなかった「異邦人」が予想外に大ヒットして第一線のアーティストとなり、ポルトガルでアルバムをレコーディングして異国路線に終止符を打ち、新たな音楽を模索するなかで教会音楽にたどり着くまでの過程は、幾つもの偶然が重なったとはいえ、自分の音楽を見つける上で欠かせない旅だったように思う(彼女自身も著書「ふたりの異邦人』でそう述べている)。
当時の私は、久保田早紀のこうした紆余曲折など露知らず、エスニック路線のアーティストという印象しか持てなかった。しかし、コラム執筆を機に彼女のことを色々調べるうちに、思い悩みながら人生を歩む一面が見えたのが新鮮だった。そして、「サウダーデ」をはじめとする楽曲の節々に当時の彼女のリアルな感情が刻まれていることに、静かな感動を覚えた。
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