私たちが(そして誰かが)走り続けるためのリレーマガジン
こすもす(Ken Matsubayashi)
曲を聴くと心がザワザワしてセンチメンタルになる。その理由を探った記録。昭和期の女性アイドル多め。
時速5キロくらいの速さで地元や旅先を歩きつつ、思考をめぐらした記録
自分+本 自分の世界を拡張するために、本を読む。
いま会って話したい人に会いに行き、その人の思いを聞き出した記録
毎年3月になると聴きたくなるのが、卒業ソングである。私が学校を卒業したのは遥か昔だが、今も卒業ソングを聴くと若かった(=純情だった)当時の自分が脳内にシンクロし、フレッシュで甘酸っぱい気分に襲われる。 昭和から平成、令和まで、卒業ソングは各年代でリリースされているが、50代の私にとっては、やはり学生時代に聴いた昭和の曲への思い入れが強い。昭和の卒業ソングには大切な男性との別れを綴った曲が多いが、なかでも松本隆さんが作詞した「制服」と「卒業」の2曲は、主人公の切ない心理描写が
3月は卒業、別れ、春休み、新生活の準備、そして人生を振り返りたくなる季節です(私の場合)。…と毎年思いつつ、なかなか時間が取れずに実現できていませんでした。 そこで今年は、フリーライターとして活動した6年半の足跡をnoteに記し、人生の一部を振り返りました。足跡というか、たどたどしい爪跡のような記録ですが、「よくやったぞ、自分!」と自分を鼓舞できる程度までは記し、やる気が出ない時に見返したいと思います。 ライターを始めるまで 2017年10月、私は28年間勤めた東京のIT
3月に入った。朝晩はまだ寒いが日中は暖かく、天気が良い。花も咲き始め、春の接近を肌で感じる。いや、花粉の飛来を鼻で感じるというべきか。(近年私は花粉症を発症した) そんな春の日差しが注ぐ小道を歩きながら、私は天気ではなく「転機」について考え始めた。鼻がムズムズするのを紛らわしながら。 …というのも、先日「卒業ソング」に関するコラムを某メディアに書くなかで、卒業は人生の「転機」の一つであると再認識したからだ。例えば中学を卒業して高校に入学するのは、単に学校が変わるだけではない
(前作「BABYLON」に続き、中森明菜のエキセントリックな作品を語るエッセイの第2回です) 「BITTER&SWEET」に続くアルバムは変化球 1985年の中森明菜は、アイドルからアーティストへの転機となったアルバム『BITTER & SWEET』を4月にリリースした後、音楽的にアーティスティック…というか少々マニアックな世界へと突入していく。そのわずか4ヶ月後の8月にリリースしたアルバムは、タイトルからして読み方がわからない『D404ME』であった。前作がシティ・ポッ
先月歩きながら「今年もあっという間に1年が終わるだろう」と思いnoteにまとめたが、案の定あっという間に1月が終わり、2月に突入した。本日は立春。暦の上では春だ。立春と聞くと、童謡「早春賦」が思い浮かぶ。「春は名のみの風の寒さや」という歌詞は、なんて日本的で美しい表現だろう。時が経つのが早いのは仕方ないにしても、季節感だけは常に感じていたいものだ。 そんなことをつらつら思いながら、私はいつものコースを歩き始めた。空はすっきりと青いが、風は冷たい。明日は雪予報が出ているが、ど
1/21(日)にBS12で放送された「ザ・カセットテープ・ミュージック(シーズン2.1)」の「80年代中森明菜アナザーストーリー」を、遅ればせながらTVerで視聴した。 放送では「アナザーストーリー」というタイトル通り、スージー鈴木氏ならではの視点で、明菜さんの楽曲のレアな魅力が語られていた。特に「スローモーション」と「セカンド・ラブ」のコード進行の類似(いわゆる枯葉進行)が興味深かった。 そのなかで「マリオネット」という曲が掛かった時、明菜さんの曲をよく聴いていた当時の
先日noteにも書いたが、私は本年の目標を立てない代わりに「自分を知る」ことに徹しようと決めた。自分を知るとは、新たな思考や発想、感情を自分から引き出すという意味だ。自分探しとか、自分がやりたいことを見つけることでは決してない。 既に私は50代後半で、世の中を達観したような自覚も多少ある(まさにジジイだ)。若い頃のような新鮮な驚きや発見は望むべくもない。しかし、「こんな面白い発想やアイデアが自分から出てくるのか!」「こんなことに自分は感動するのか!」というポジティブなサプラ
2024年も、あっという間に11日が過ぎ去った。この分だと、あっという間に1月が終わり、1年が終わるだろう。そして私はまた1歳、年を取る。 年末年始、年度初め、誕生日など、一年の中には時間の流れを意識せざるを得ない特別な日が存在する。その日が来ると私は人生の短さを憂い、いつか自分も死を迎えるという事実に直面して恐怖を感じるのだ。果たして私はあと何年生きられるのか?残された人生で何を成すべきか?そんな老人のような思いが頭をよぎる。既に初老といえる年齢なので無理もないが。 そ
先日私は音楽メディア「リマインダー」に、原田知世が1985年にリリースした初のフルアルバム『パヴァーヌ』のコラムを寄稿した。 このコラムでは、彼女が歌手を志す転機となったアルバムの魅力を、楽曲をメインに書かせてもらった。しかしながらこの作品は、テーマ性や装丁など、曲以外にも随所にこだわりが見られる。それらも含めて紹介しないと、芸術のようなこの作品に対し失礼な気が段々してきた。 …ということで、音楽以外の「様式美」にスポットを当て、コラムでは書ききれなかった『パヴァーヌ』の
人間は、やらないことの言い訳を考える天才だと、つくづく思う。 この夏、テレビのニュースから執拗に流れる「危険な暑さ」と言う文句を言い訳に、私は2ヶ月以上ウォーキングをサボっていた。今年こそは習慣化すると年初に固く誓ったにもかかわらず、である。おかげで体重は2キロ以上増え、体脂肪率も人生最大値に達した。腹も見るからにふくらんできた。こいつはマズイ。 もちろん、危険な暑さの中を歩くのは文字通り危険なので、私の行動は間違ってはいない。しかし、早朝や夕方に歩くとか、公共施設にある
先日私は、音楽メディアサイト「Re:minder(リマインダー)」に、「久保田早紀は異邦人だけじゃない」というコラムを寄稿した。 久保田早紀といえば「異邦人」のヒットだけで終わった一発屋の印象が強い。しかし、4枚目シングル「オレンジ・エアメール・スペシャル」を発売した1981年あたりまではオリコンTOP100にも名を連ね、TVやラジオ、雑誌で見かけるくらいの露出はしていた。私の遠い記憶では、日曜朝の旅番組(番組名は失念)でレポーターをしたり、あの鶴光のオールナイトニッポンに
ウォーキングをしていたら、複数の鳥がさえずりあう鳴き声が耳に入ってきた。今は初夏。鳥が活発に動き始める季節だが、とにかく賑やかだ。半径500メートルの中に、一体どれだけの鳥が生息し、鳴いているのかと思う。そして、この世界には人間社会のほかに鳥社会、虫社会、植物社会といった複数の社会が並列で存在し、一定の規範のもとで息づいていることを実感する。いや、たくさんある生物社会のほんの一つが人間社会というべきか。 そんなことを思いながら初夏の田舎道を歩きつつ、私は思考モードに入った。
晴れてはいるが風はまだ冷たい2月の半ば。歴史的な町並みが残る長野県長野市の松代(まつしろ)地区の中心街を散策してきた。 松代は、真田藩の城下町として知られている。真田といえば、大河ドラマ「真田丸」でも取り上げられた戦国時代の武将一族。もともとは上田と沼田に居城を構え、関ケ原の戦いでは家康の息子である徳川秀忠軍を上田城に釘付けにして遅らせた話は有名だ(このあたり、今年の大河「どうする家康」でどこまで描かれるのか楽しみである)。そんな真田一族のなかで徳川方に付いた真田信之が、大
先日私は音楽メディアサイト「リマインダー」に、八神純子さんが1979年にリリースしたシングル「想い出のスクリーン」に関するコラムを寄稿した。 内容自体は「想い出」と「思い出」との漢字の違いをきっかけにした歌詞の分析(というか深読み)だが、執筆にあたり八神さんの楽曲を聴きまくった結果、新たな発見や気付きが幾つも生まれ、44年前の記憶も鮮明になった。 そこで、八神さんに関する発見とコラムに書ききれなかった「想い出」を、何回かに分けてnoteに記したい。まずは「想い出のスクリーン
「日本遺産」というものをご存知だろうか?名前は聞いたことがあっても、「世界遺産」と何がどう違うのか、どこが取り仕切ってるのか、どんな基準で遺産に認定するのか等、疑問が思い浮かぶ方も多いはず。3年前までの私もそうだった。 言うまでもなく「世界遺産」はよく知られている。TVでは世界中のさまざまな遺産が頻繁に紹介されているし、日本でも新規に登録されるとニュースになる。現在、日本の世界遺産は25件。最近では毎年のように登録されていて、最近では2件が同時登録された。(令和3年に「奄美
明らかに体が重くなった。歩き始めた途端、その事実を思い知る。体が重くなると、つまり太ると、運動する気が失せるという悪循環に陥る。何とかここらで食い止めねばならない。 今年の正月は、とにかく食べ過ぎた。三が日の主食の半分は餅を食べ、おせち料理をつまみつつ、お屠蘇と称して昼間から日本酒を飲んでいた。 言うまでもないが、餅はご飯の2倍くらいの密度がある。一見ヘルシーな「おせち料理」も、砂糖が多く含まれていて実は高カロリーだ。まして日本酒などは、糖分の塊を飲むようなもの。しかも、お