まず何よりも害をなすなかれ

まず何よりも害をなすなかれ

医学の父、ヒポクラテスの名言。

何と2000年以上前の人だが、今、現代こそ、その言葉が格言であるように感じる。

現代の日本人は(この記事では敢えて日本人に限定しておくが)、情報社会でありながら、その情報があまりに他方面から、そして入れようとしない時にまで(寧ろその方が何千倍も多い)、例えば渋谷のスクランブル交差点を全く関係のない意図で歩いているだけで、何気なくテレビをつけながら料理をしているだけで、ひたすらどこから何から構わず情報(暗示)が入ってくる。
以前の記事にも書いたが、人は、顕在意識でわざと取り入れようとして学んだものよりも、顕在意識が気にしていない時の情報の方が断然良く入る。というのも、全ての学び(学習)というものは無意識によるものであるからだ。

そのため、(少し話を端折るかもしれないが)現代の日本人は、おかしな潜在認識、色眼鏡ばかり取り入れている。しかも自分の心や身体から何か出てくるより前に物凄いスピードで情報の嵐に晒され続けているから、芯の自分自身を聞く暇も繋がる暇もない。
自分の身体に対する認識(潜在的認識)さえ、いつのまにかおかしな外側の二次元的なものにすり替えられているのが、今の日本人のほとんどである。


ヒポクラテスはまさに、
「人は自然から遠ざかるほど病気に近づく」
「人間がありのままの自然体で自然の中で生活すれば120歳まで生きられる」
というようなことも言っているらしいが、実際、ひとが自分自身のままで自分自身とだけ向き合って生きていれば、別に外側から何を学ばなくとも人の能力を内側から開花させていた(江戸時代の日本などでは人々に生理学解剖学医学的知識など当然ないが、己の身体を内側から外側迄的確適正に使い自分の能力を発揮して突出していた人たちがたくさんいた)。

私たちの内にある自然治癒力こそ真に病を治すものである
人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている

これらも、同じくヒポクラテスの言葉であるそうだ。
医師のアルベルト・シュバイツァーも全く同じことを言っている。
これは、医師角度からの言葉ではあるが、
「クライアントは心の中に自分の医師を囲っています。ただ、彼らはそのことを知らずに我々医師の治療を受けにやってきます。医師が一番良い仕事をしているときとは、彼らの中に住む医師に、働くチャンスを与えてあげることができているときなのです。」

ヒポクラテスも、
「病気は人間が自らの力をもって自然に治すものであり、医者はこれを手助けするものである」とも言っている。

私自身、催眠療法をベースとして多岐に亘る心理療法や認知行動療法を使い分けセラピーを行っているが、日々こればかり痛感する。
そして私は、こういう書き方は語弊があるかもしれないが、催眠療法…特にパーツセラピーは、まさにクライアントの中の偉大な医師たちを呼び出し話を聞き、医師たちのやり方に従うことができるセラピーであるので、心底これらのセラピーが心地良い。毎回毎回、クライアントさんの中にたくさんたくさんおられる医師のおひとりおひとりと出会うチャンス、ご縁が、楽しみである。

なぜなら、外側からいくら情報を取り入れても無理やり治療やセラピーを行っても、クライアントの中の偉大な医師たちの声に従いその通りに行われなければ(つまりクライアントが自分で自分を治さなければ)、絶対に外側のセラピストにそれは治すことはできないからである。

医師やセラピストは、決して「治す人」ではない。
クライアントの自然治癒力の手助け、いや、寧ろ、クライアントの顕在意識が自分自身の自然治癒力(真の医師)の発揮の邪魔をしないことを手助けするものでしかない。

そして現代人はとかく、自分を治したい体調を悪くしたくないなどなどと言っているのにも拘わらず、同時に、日常生活、ひたすらひたすら、自分に害をなすことばかりをしていると言って全く過言でない生活をしている。

これまたヒポクラテスの言葉
「賢者は健康が最大の人間の喜びだと考える」

健康でいることさえ自ら択べば、オプションはいくらでもついてくる。
最大の喜びの上に何重にも何倍にも喜びや幸せの重ねようがあるわけだ。はかりしれない勢いでどんどん加速し倍加され広がり膨らんでいく。
だからこそ、私は心と身体の健康というものは、「病気ではない」ことではなく、「ただあるがままでいつの間にか己の能力がどんどん開花され発揮されている状態」のことであると定義している。

せめて健康を維持したいならば、心や身体を病ませる方向に進ませたくないのならば、
「自分に害をなす」ことをしない方法、潜在的認識(あなたの世界の前提)、外側が基準で決められているのではなくあなた自身に適切なあなたの”生活”を、身につけませんか…いや、そもそも、「自分に害をなす」ことを、自然に当たり前にすることもない(していない、するわけがない)自分を、戻しませんか。


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