自己イメージに対するコンプレックス

「自分」というもの…まあ、敢えて具体的に例えを出してしまえば自己イメージ、つまり体格であったり顔であったり、特に外見に関することについて、コンプレックスを持っている人は、現代日本において、なかなかに多い。

ところでその中でも体格…体重コントロールなどに関しては、暗示療法では得意とされる分野であるイメージがある。

実際それが得意であるかどうかは、この記事では置いておきたいのだが。

しかし、まず根本として、なぜ自己イメージに対してコンプレックスを持つのだろうか。
自己イメージに対するコンプレックスとは、そもそも何なのだろうか。

…この記事を書く前に、私も自己イメージ、どころか自己イメージと器のデータにすら大幅な解離があり、体格どころか顔も性別も体質も名前や過去の生育歴の記憶さえ、自己不一致の塊であったことも記しておきたい。

今既に一言書いてしまったが、自己イメージに対するコンプレックスというのは、つまり「自己不一致」の状態である。
更に言えば、ある意味語弊を恐れずに言えば、「自分自身の理想イメージ」と、「自分自身の現在がこうだ、と思い込んでしまっている自己イメージ」が食い違っている、解離がある、という状態であるともいえるだろう。

これを、「自分自身の理想イメージ」と「現在の自分」のギャップであると思っている人が多いように思う。これは、自分のコンプレックスを更に苦しめることになる。

「自分自身に対する理想イメージ(更に言えば、自分は「こうであるべき」という潜在プログラムの上に成り立っているイメージである可能性もある)」と、
「自分自身の現在がこうだ、と”思い込んでしまっている自己イメージ”」
の解離なのである。

つまり、最近記事を短く済ませてしまいたいというような自分の中の流行りがあるので、語弊を恐れず結論から端的に言うが、ここの自己不一致の議論の中に、「今現在の本物の自分自身」は介在していないのである。
どちらも全て、イメージの中の対立議論(疑似ディベート)とも言えるものなのだ。

では、なぜこの疑似ディベートが起こるのか。

…これは、実は、本人の中に、例えば本人が「体格の問題」と思っていたとしても、体格とは別に解消したい問題がある。
顕在意識では認めることが難しいために、「体格」の問題であると、メタファー(隠喩)で自覚しているのである。

この場合、もし暗示療法で「減量」を目標として扱って行ったとしても、本人が決めた期限までに目標を達成することができないか、もしくは、達成できたように見えたとしても本人になぜか達成感が少なかったり、達成したはずなのに次々ゴール設定が変わるということが起こる可能性が高い。
もちろん、”セラピスト側がこのクライアントの言葉の裏側にある本当の問題を事前カウンセリングの中で読み解き見抜いていれば”、暗示療法で表面的には「減量」を主訴として扱って、クライアントの真の望みの達成に寄り添うことは可能である。
可能ではあるが…セラピストとしては全てが水面下での作業となるので、非常に難しい。

ちなみに私自身、暗示療法で、自分自身これが主訴だと当時は思い、暗示療法を行ってもらった時があった。
表面的には難しい問題ではなかったのではないかと思うが、目標達成期限までに、達成はできなかった。
しかし、その代わり私自身が、その期限までに、その主訴の下に隠れている本当の問題(プログラム)に自分で気付き、これを自己セラピーしていくことに踏み切ることができた。
専門家ではないクライアントがこれを自分ですることは難しいだろうが、しかしこの場合、”セラピストがクライアントのその下にある気付かれていない問題”を見抜いていれば、そしてそのセラピーのために表面的な暗示療法を”利用する”という形で組み込むことができれば、”クライアントが本当に満足する形に”セラピーを持って行くことはできる。

ただ、この時セラピストが、クライアントがどうして自己不一致に陥っているのか、この理由を見ようとせず、クライアントの話す「減量」にだけ焦点が行ってしまうと、悪くするとクライアントの負の成功体験(負の自己イメージパターンを強化することに成功させてしまう)に加担することになってしまいかねない。
これは暗示療法における一番危険な点ではないかと感じている。

(かといって、もちろん事前カウンセリングで本当の問題を暴いてクライアントに直面させれば良いというわけではないから、表面的な使い分けは非常に難しいところではあるのだが)

しかし、いずれにせよクライアントは、「自己不一致」に苦しみ悩んで来られるのである。
クライアントの言語上での「表現」は多種多様ではあるが、本当に表現したいこと、に応えることは、セラピストにとって仕事である。
でなければ、例え表面的に言葉上、成功したところで、クライアントさん自身に成功とは感じられないのだから。「何か違う」が残って、クライアントにもセラピストにも良いことはない。


ひとは、「健康」な状態…つまり身体の歪みも心の歪みもない、そして心と身体が一致(自己一致)している状態であれば、そもそも、「本人に丁度良い体格(体格だけに限らないが、ここでは文字数を省略する)」になるので、自分に不満は感じない。
自己一致しているわけだから、自己不一致は感じないわけである。ある意味当たり前なのだが。
こういう言い方もできるかもしれない。自己不一致を感じている時は、自己不一致(心と身体が一致していない)状態にある(ように感じている)わけだから、「調整をしたい」わけだ。
顕在意識ではいろいろな表現法を確かにするが、「痩せたい/太りたい」の表面的なところが実は問題ではなく、「自分で在りたい」なのである。

自己不一致を取り除いて、自己一致したいのだ。

ちなみに、暗示療法は潜在意識(身体)に呼びかけるものであるので、身体(潜在意識/自己治癒力)は必ず、「本来の自分を取り戻す」ために働く。
つまり、暗示内容が「本来の自分を取り戻す」ために働くことに一致したものであれば、それは加速される。

あくまでセラピストは、クライアントに本当の意味で「寄り添う」ことが必要なのである。


私の心理療法を受けられた方は良くおっしゃるのだが、心理療法を受けている中でも、どんどん「自分への見え方」が変わってくる。
本人にとって、体格も変われば顔も変わる。
”今のありのままの自分”、つまり、調整されて自己一致した自分に戻っていくのである。いや、自己不一致を感じる必要がなくなり手放していく、と言った方がもしかしたら正しいのかもしれない。
そして、自分の「変化」自体には驚くことはあるが、変化後の自己イメージに不満はない。
ちなみに、これは暗示療法とも限らないし、ましてや外見やコンプレックスを変えていこうとする目的の心理療法ですらない。
カウンセリングひとつでこれを体感する方もおられる。


自分の顔というものは、自分で見ることができない。
これは、非常に不思議なことである。
今は鏡やらカメラやらというものが普及してしまっているから、この辺りの本来の感覚がブレているかもしれないが、それでも、人と話している時、日常生活をしている時、逐一自分の顔がどうなっているか、自分の後ろ姿がどうなっているか、確認することは不可能なわけだ。
自分の姿を正確に知っている者はいない。

鏡は昔からあったと言われるかもしれないが、精度良く綺麗に映すことができるようになったのは、そんなに昔のことではない上、鏡に映る姿は左右反転しており、自分自身の姿とは違うものでもあれば、他者から見える自分とも違う、摩訶不思議なものなのである。(その上、鏡やビデオを見れば「他者からはこういう風に見えているのか…」と思いたくなるが、それはあくまで”自分の”脳や心のパターンによる見え方に過ぎない)

これは考えると不思議なことに見えるかもしれない。

しかし、これは非常に当たり前のことでもある。
なぜなら、「自分の姿」は、例え誰から見ても、「絶対値」はないのである。
それこそ私は解離(自己不一致の塊)に苦しんで来たゆえに顕著に気付いたことでもあるのだが、人によって私への見え方聞こえ方感じ方は、あまりに驚くほどそれこそ不思議なほど千差万別である。
自己不一致に苦しむ人は、具体的な何かに苦しんでいるのではなく(本人はそうとしか表現できないから自覚のありかたは違うかもしれないが)、「自己」をいつの間にか「絶対値」に当て嵌めようとしてしまっているから、苦しいのである。
外見コンプレックスを持っている人は、その絶対値がないのに絶対値があると感じてしまっている(あると決めねば、思っておらねばならないと己に課してしまっている、そこを握りしめておらねばならない・更にはそれによって自己不一致を保っている理由があることによる)自己不一致に苦しんでいるのである。

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