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なぜ、武術なのか⑺〜好きな言葉

⑨『自信』はどこから生まれてくるのか?


私の座右の銘というか好きな言葉に、『他尊自信』という言葉がある。

私はこの言葉に出会ったことで、今まで自分の中にあった卑屈さや自己肯定感の低さの正体がわかった気がした。

「他人を尊重すること」が「自信」に繋がるって、どういうことだろうか?
もうちょっと説明を加えると、” 他人を尊重し、その人が喜んでくれたフィードバックがあって初めて、自分の言動や考え方が正しいと思える。その積み重ねがあると、自分はこれで良いのだという安心感が生まれ、それが自信になっていく ”となるだろうか。

この言葉こそまさに、『調和』である。

例えばあなたの近くにも、自分を強く見せ相手より優位な立場に立つために、他人を貶したりバカにする人・相手の欠点ばかり指摘するような人はいないだろうか?
私だってこんなことを書いていても、ついついやってしまう。これは私の長年培ってきた悪い気質だから、分かっていてもなかなか直らない。

これこそまさしく、相手と平衡の取れていない、『調和』ができていない状態だ。

今は随分とマシになったが、私は昔から、人と関わりを持つ中で「この人も裏では私のことを嫌っているのではないか?」「裏切るのではないか?」という不安を感じることがある。
きっとこれは、自分が相手を傷つけるようなことをするから、人からも同じことをされないか不安に感じるのだろう。
しかし、そんな不安を抱えている自分の弱さを認めたくないから、自分より弱い相手を力で支配しようとしたり、ついつい相手を貶め傷つけるようなことをしてしまう。

こんなことをいくらしても、不安が消えることはないのに。

よく” give and take " という言葉を聞くが、まずは自分から相手に与えないといけない。
まさに『他尊』だ。

与えると書いたが、まずそのために必要なのが『調』になる。
相手と平衡を取れるポイントを見つける段階だ。

多くの場合は、大体ここで相手との衝突が煩わしくなり、「どうせ〇〇だから‥」と言い訳して思考停止してしまう。

なぜか?
それは多数の人にとって、衝突のコントロールとは何か?相手と平衡を取った状態はどんな状態か?実感としてないからだろう。

確かに日々の生活の中で、常に自分と相手の言い分が両方成り立つ解決策を生み出すことは、限りなく困難だ。
だからといって、相手を尊重するために「自分が我慢をすれば良い」と考えればいいというものでもない。
それもまた『調和』にはならないから。
相手との衝突を避けてどっちつかずの態度を取ることは、中立ではあっても『中庸』にはならないからだ

「他尊自信」を実践することは、決して簡単なことではない。
時には、自分の在り方を否定しないといけないように感じる場面もある。
でもその努力が自分自身を成長させ、より良い人間関係を築く。
そして、何事でも揺るがない「自信」につながっていくのだと思う。


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