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伝えたいことがなくても書いたっていいじゃん〜

毎日の記事に何かしら「伝えられることがなければ」と考えていた。そして筆(タップする手)が止まる。

それはゴール設定ともにている。ゴールがないと脱線してしまう。結果、何が言いたかったのかわからない文章になる。

何か行動に移したい時、ゴール設定は重要。ゴールがないとどこに向かって走っていいかわからないから。マラソン大会でゴールが決まってなかったら、一体どうなるんだろう。

迷子になる人
自分でゴールを決める人
そもそもスタートしない人

自分の書いた記事に「伝えたいこと」がないと意味がないとどこかで感じている。毎日上げている中で、それが弱くなってきている気がして、本当にこのまま続けてていいのかと、トラックの上をひたすら考えながら走る。

でも、今私が走っているのは大会のコースではない。自分で走りたいと思って始めたランニングコースなんだ。誰とも競い合っていない。いるとしたら自分自身、昨日の自分よりも1mmでも前に進めていたらいい。たまには進めなくったっていいんだ。

毎日書くことをやめたからといって誰かに怒られるわけでもない。「伝えたいこと」がなく、最終的によくわからない道に迷い込んだっていい。もしかしたら、そこでおいしいパン屋さんが見つかるかもしれない。迷子になった先に見つかる「新しい答え」があるかもしれない。

ゴールが明確になって走り出す記事はきっと自分の頭の中で物事が整理されている。少しごちゃっとなっていても最終的には「伝えたいこと」が形になる(脱線して下書きに眠る時もあるけどさ)

だけど、ゴールを明確にせずに走り出してみたっていいじゃん。noteに書いているうちにどんどんと脱線していって、自分でも考えついていなかった考えが浮かび上がってくるかもしれない。まさに今、ゴールを考えずに走り出したら「伝えたいことがなくたって書いてもいいじゃん→自分のランニングだから好きに走って迷子になっていい」にたどり着いた。迷子のおかげである。

最終的に「はて?何が言いたかったんだ、わしゃぁ」となっても、そこまでに歩んできた道なりは自分の思考なんだ。「なんだかいろんなこと考えているのね、随分遠くまで来ちゃったわ」ぐらいでいいんだ。

今日は10km走らなきゃ
もっと綺麗なフォームで走らないと
休んじゃだめだ

みたいに自分の中で義務付けたら、走ること嫌いになっちゃう。noteもおんなじように考えて書いていたら辛くなっちゃう。

わーーーーとりあえずスキップでどこまで行けるか試しちゃろ!くらいのよくわからん軽いテンションで外に走り出していくくらいでいい。楽しくやろう。


と自分に言い聞かせながら、迷走して走ってnoteなのでした。

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