見出し画像

自信が持てないあなたに伝えたいクッキーセラピーとわたしの話【自己紹介】

はじめまして、こんにちは。
フードコーディネーターの四方千妃呂(ちひろん*1)です🍪
(※1 SNSでは「ちひろん」というニックネームを使用していました)


わたしはフードコーディネーターの活動の一環で
生きづらさや自己否定に悩む悩む人を対象に
自己実現やメンタルケアを目的とした
じぶんを労わるためのお菓子教室を運営しています。



ここさいきん、大変ありがたいことに
たくさんの方がSNSを見てくださったりして、
まだお会いしたこともない「はじめまして」の方からも
たくさんご連絡をいただくようになりました。
 
 
そこで今日は、改めて
私、ちひろんの自己紹介をさせていただこうと思います。


わたしが事業として行っていることは
大きく分けて主に3つあります。
メインは先にも述べたセルフケアを目的としたお菓子教室。
その傍ら、ハーブティー専門店の運営
占い師の経験を活かして個人鑑定を承ったり、
某企業さまでは専任カウンセラーとして
悩んでいる方のお話を伺ったりする活動をしています。

でも、これだけでは
ハーブティーに詳しくて
悩み相談も得意なお菓子教室の先生
……という感じですよね。

そこで、ちょっとわたしのレッスンにいらっしゃる
生徒のみなさんのご感想をいくつか紹介させていただきます。




もちろん、調理実習直後は
お菓子に関するご感想もいただきますが(笑)
日常的には、こういった心身の状態に関するご感想を
いただくことが多いのです。

それはどうしてかというと、
私のレッスンにいらっしゃるみなさんは
ただお菓子の作り方を習うためだけに来るとか、
占いのできるわたしに鑑定してもらうために
レッスンに参加しているわけではないからです。

もちろん、わたし自身も
パティシエになる技術を教えることや
占い師を本業として名乗ることは、今はもうありません。

では、生徒のみなさんが
一体、何を求めて教室の扉を開くのかというと

 
心の内に抱えた傷や痛みを癒し、自信を持って前に、次に進むために
私に会いに来てくださるのです。
だから私も、心と身体のメンテナンスを行う
セラピストやサポーターのようなスタンスで
一人一人と向き合わせていただいています。
 

そんなことを言われちゃうと
もしかしたら、画面の向こうでこれを読んでくれている「初めまして」のあなたには
ますます「ちひろんは何者なのか?」わからなくなってしまうかもしれません。
 
 
だから、今日は
私が今日に至るまでの過去について
私を支える「お菓子作り」の部分をテーマに
お話させてください。

(講座やレッスンについては、後半に紹介している記事をご覧ください)
 
 
ただ、そんな私のこれまでの話を続ける過程で
注意)読む人によっては気分を害したり、心が沈んでしまったりするような
少し過激な表現や内容が差し込まれています。

 
 
その話をすべきかどうか、
私自身とても、とても、悩みました。

 
でも、あなたには包み隠さず、すべてを話したい。
キレイなところだけをつくろって見せるのではなくて
ありのままの私を正直に伝えたいと
そう覚悟を決めて書き始めました。
 
 
このまま読み進めるかどうかは
あなたの判断にお任せします。
でも、このまま私の半生を一緒に辿ってくれるのなら
私も正直に、ありのままの私をお話させていただきます。


レッスンで作ったフォレノワール風ミルフィーユ


1988年、昭和最後のクリスマスイヴを迎える少し前
慌てん坊のサンタクロースが両親の元へ
私というクリスマスプレゼントを贈りました。
 
 
私を両親の元へ届けたサンタさんは
もしかして、例の歌のモデルなんじゃないか?
下手したらあの動揺の主人公より慌てん坊なんじゃないか?
なぜそんなことを考えたかというと
少々ラッピングが荒かったんです(笑)
 
 
きっとサンタクロースのおじいさん
大慌てでリボンを巻いて
大急ぎで配達していったのでしょう。
 
 
クリスマスの2日前
12月23日に母の元へ届けられた私は
へその緒が首に絡まった状態で生まれました。

取り出されてすぐに産声を上げなかったことに
初産の母は「そんなすぐには泣かないものなのか」と思ったそうですが
助産師や医師に囲まれ
生まれたてほやほやにも関わらず
ベンベン、ベンベン、お尻を激しく叩かれている我が子の様子を見て
ようやく「ただごとではない」事態に気付いたようです。
 
 
幸い、なんとかして私の命を生かそうと
一生懸命になってくれたいろいろな人たちのおかげで
私は産声を上げ、おかげさまで何の身体的後遺症もなく
もう30回以上の誕生日を迎えてきました。

この記憶の影すらない、両親から聞いた
自分の生誕ストーリーを思い出すたびに
今の私は、私以外のいろいろな人によって
生かされてきたということを
改めて実感します。
 
 
私は、私以外のたくさんの人に
「生きてほしい」と思われて
生きているのです。
 
 
それなのに、私は何度も
この手でその命を終わらせようとしてきた過去があります。
 
 
始まりは小学生の時。
それまでの幼い私は
模範的な優等生として学校に通っていました。
その理由は「お姉ちゃんだからしっかりしなくちゃいけない」という
「長女コンプレックス」のようなところにあります。

長女だった私は
幼い頃から年上の兄弟に憧れがあり
いつも母に「お兄ちゃんかお姉ちゃんがほしい」と言っては
困らせていました。
 
 
一方で、自分がお姉ちゃんである自覚もあったので
自分はお姉ちゃんとしてしっかりしなくちゃいけない
そう「しっかりしなくちゃいけない」と思いが強く
いつでも自分の考える「しっかりした子」や
「みんなのお手本」となるような存在であろうと
立ち振る舞っていたんです。
 
 
だから、大人や年上の人がやることはなんでもマネしていたし、
クラスの代表や、グループのリーダーを決めるときは
いつも自分から立候補して、率先してその立場についていました。
 
 
自分にはその素質があり、そうあるべきだと考えていたし、
そうすれば認めてもらえると思っていたんです。

当時の私にとっては
たとえ自分が犠牲になったとしても
みんなのことを優先して自分ががんばることこそが
何より良いことだと思っていたし
自分が我慢することがみんなのためになると思っていたので
 
 
愛され、認められようとばかり考えていた当時の幼い自分にとって
そう振る舞うことは子供ながらにとても大事な時間で
 
 
誰かのためには我慢をしなければならないし、
周りのみんなの期待には当然応えなければならないんだと
何よりも強く信じていたんです。

でも、小学校5年生のとき
そうしてがんばって、努力して
積み上げてきた「理想的な私」が
早くも崩れ落ちました。
 
 
担任の先生による児童虐待と
それをきっかけに教室に行けなくなり、
保健室登校をするにようになったことをきっかけに、
中学校まで続くこととなる
クラスメイトからのイジメが始まったんです。
 
 
職員室の中でも
若くて、キレイで、
いつもきちんとメイクをしている
お姉さん先生だった担任。
 
 
そんな担任からの虐待は、
小学校卒業と共に逃れることができたのですが
イジメは中学に上がるとますます悪化してしまったので、
最終的に不登校となり引きこもるようになった私は
ほとんど中学校には行きませんでした。
 
 
その決定打となったのは
体育の授業で縄跳びをした授業の終わり、
担任に両手で首を締められた事件になります。
 
 
だいぶ後になってわかったことでしたが
今で言うアラサーだった担任は
自身が結婚できないことに強い焦りを感じていて
恋愛や婚活がうまくいかないストレスに
仕事が身に入らなくなるほど悩み、囚われてしまっていたようです。
 
 
そんな恋愛や婚活がうまくいかない中で
仕事である生徒たちとの関係もうまく築くことができず
イライラが募ったところで爆発。
指導の延長のつもりで叱っていたはずが
自分でも気が付かないうちに暴言となり、
衝動的に、たまたま一番近くにいた私の首に手がかかったそうです。
 
 
首がしまった状態で産まれた私は
死ぬときも首がしまって命を終えるんだと悟り
考えるのをやめて全身の力が抜けたとき
担任の手も離れたので
死ぬことはなかったのですが、
それをきっかけに教室へ行けなくなりました。

本当は学校に行きたくなかったのですが
両親と学校は世間体を気にしました。
大人たちが話し合った結果、私は最初
保健室登校をすることになったんです。
 
 
でも、それが失敗。
私は教室だろうと、保健室だろうと
学校の門をくぐること自体が恐怖だったわけだし
 
 
今までクラスの中心に立ってきて
みんなは慕ってくれている、信頼関係を築けていると信じていたけれど
教室に来ない私はクラスメイトからしたら
「学校に来てるのに保健室で授業をサボっている子」という認識になり
次第にイジメも始まってしまったことから、
 
 
こうなってしまったのは
みんなにとって自分は助けるに値しない存在だからだ
 
今までみんなのためにと思ってがんばってきたことは
実は勘違いしたまま一人走りしていただけで
ほんとうは誰とも、
ピンチのときには助けてもらえるような
信頼関係は築けていなかったんだと、
 
今まで信じてきたものや価値観が跡形もなく崩れてしまったんです。

ずっと優等生でいようとがんばってきたはずなのに
先生には殺意を沸かせるほど怒らせ
両親から「世間体だってあるんだから」と言われるほど、
家族を恥晒しにして困らせて、
友達もいなくなった私はもうダメな子だ。
 
 
孤独という言葉を知りました。
 
 
毎日、毎日、誰かに嫌な思いをさせて
自分自身にも嫌気がさして
どこにぶつけたら良いのかわからない
苦しさと、悲しさと、悔しさ、そして
誰に、どこに求めて良いのかわからなかった救済。
 
 
自分の問題なのだから自分でどうにかしなくちゃいけない。
悪いのは自分なのだから、自分が正しく直らなくちゃいけない。
もっと良い子で、もっと大人にならなくちゃいけない。
愛されないのは、自分に愛されないだけの理由があるからだ。
「でもどうしたらいいのかわからない」
 
 
嫌われないように、嫌われないようにがんばって
一生懸命、優等生として生きてきたのに
誰からも嫌われ、誰よりも劣等生になってしまった現実と
辛い現状に「助けて」と声を上げ、甘えることができなかった結果
感情がコントロールできなくなって
「もう生きていたくない。」
 
 
命を絶つことが唯一の救いに思えてしまったんです。

そんな負の感情にとらわれるようになった私は
自分一人がいなくなれば全て解決すると本気で考えてしまい、
ある深夜遅く、寝ている家族にバレないよう
そっと台所に向かい、手に取った包丁を自分のお腹に向けました。
 
 
でも、10歳だった私は
死にたいと思いながら、やっぱり死ぬことが怖かったんです。
お腹に刃物を突き立てただけで、押し込むことができませんでした。
 
 
恐怖と悔しさと、それでも生きていると明日が来てしまうことと
いろいろな思いで涙が溢れかえったので
泣き声で家族にバレないように、タオルを口の中に詰め込んで
泣きながら包丁を戻し、また布団に潜り込みました。
 
 
それが、私が初めて死のうと考えた日のこと。
「どうして私は生きてるんだろう」
数年間、そればかりをひたすら考えるようになった始まりです。

当時の私がいつも考えていたこと。
「私がダメな人間だから」
 
 
頭が悪いから
顔がかわいくないから
スタイルが良くないから
おもしろい話ができないから
人を喜ばせるのが下手だから
会話がつまらないから
努力が足りないから……
 
 
とにかく、ことあるごとに
自分のダメなところを探しては見つけ出し
だから自分はダメなんだと
ダメな自分の答え合わせをする習慣が始まった結果、
 
 
最終的に行き着いた答えが
私には評価できるところが何もない
 
 
何か攻撃されたときに
でも、私にはコレがある!と
戦ったり、身を守ったりするナニカ
 
 
見た目も能力も技術も性格も血筋も
なにもかも中途半端で
突出したものが何もない
 
 
だからダメな人だと判断されるし
誰からも認めてもらえないんだ
 
 
自分には自信がもてるものが何もない

そんな自己嫌悪とコンプレックスは
歳を重ねるごと増幅し、積み上げられ、
どんどん、どんどん、その気持ちが加速して
ついに限界まで達した結果。
 
 
コレと言って、大きなきっかけや衝動はありません、
ただ、ただ、これまでの積み重ねが諦めに変わった
19歳の誕生日を迎えるクリスマス前。
私は「もう全部どうでもいい」と、
再び、死ぬことを決意してしまいます。
 
 
このときは10歳の時とは違い
覚悟が決まってしまっていて
今度は包丁で傷つけるのではなく
大量投薬で永眠につこうと考えました。
 
 
結果的に、約140錠近い鎮痛剤などを飲んだ私は
数日間の昏睡状態の果てに意識を取り戻し、
またしても、たくさんの医療スタッフの方々の
生かそうとする想いによって
命を繋いでもらうこととなりました。

だいぶ後から聞いた話なのですが、
実はこの時、ギリギリのところで、
奇跡的に命を取り戻したとしても
腎臓の移植をして長く持つかどうか……
後遺症も残るだろう……
 
 
両親はそんなふうに告げられていたそうです。
 
 
だから、結果としては大奇跡で
私は数週間程度の記憶があやふやになった程度で
移植はもちろん、後遺症も何も残りませんでした。

それなのに、私はその後も数年の間に
数回、同じようにOD(オーバードーズ:投薬自殺)で
自ら命を絶とうとしてしまいます。
 
 
死のうとしては生かされ、
死のうとしては生かされ、
産まれた瞬間から二十数年
世界は一度たりとも
 
 
諦めも、見捨てもせず
こんなにも私を生かそうとしてくれるのに
 
 
私はずっと小学校時代の虐待やイジメ、
それがきっかけにより信じていた価値観や信頼を失うトラウマと
 
 
また、自分は愛されるに値しない人間だという思い込みに、
そのうえ、容姿、性格、経歴……何においても誇れるものが
何一つないというコンプレックスに縛られ、
変えることのできない過去に絶望し、
ダメな自分、誰よりも嫌いな自分から逃れたい
それだけを理由に命を絶とうとしてしまいました。

それだけの理由?
そう思う人もたくさんいると思います。
でも、自己嫌悪は何よりも大きな苦しみを生み
抱えきれなくなった苦しみは絶命を呼ぶのです。
 
 
ただの「構ってちゃん」をこじらせただけでしょう。
実際にはっきり指摘されたこともあります。
たしかに構って欲しかったかといえばその通りです。
 
 
もうこの際、誰でもいいから相手にして欲しかった
心配して欲しかった、褒めてほしくてしょうがなかった。
 
 
だけど、極度の寂しさを患っていたわけではないし
高校、大学にも進めば
 
 
病んだ精神を抱えながら
成長期を丸っと引きこもったことで
コミュニケーションの取り方や
信頼関係の築き方がわからない
リアルコミュ障だった私でも
友達や恋人もできて
 
 
意味もなく集まって食事をしたり
気軽になんでも話し合える相手がいて
誰が見ても、不足のない充実した環境や条件は
いつも揃っていました。
 
 
もう私を迫害する人もいない
ピンチの時には助けてくれる人もいる
それでも幼少期に抱いた
「死にたい」という気持ちを止めることができなかったのは
 
 
「わたし」という一つの存在に
バラバラになった心や身体、思考をまとめて
統一した状態を保ち続けることができなかったからだと思います。

ずっと過去の一定の場所に囚われていて
自分自身と向き合う場面で
私がいつも見つめていたのは
今その瞬間の私自身ではなくて
 
 
誰にも助けを求められずに
ただ、ただ、
酸素の薄い真っ暗な部屋の中で
誰かが助けに来てくれるのを待つと同時に
誰かにこの存在に気付かれることに怯えながら
声を押し殺して泣き続けていた
小さい頃の私でした。
 
 
私はいくつになっても子どものままで
だけど大人になって付き合いのある人たちに
幼少期の私を知る人なんてもう家族くらいしかいなくて
 
 
だからみんな
私が話さない限り
私の過去を知るはずがなくて……
 
 
でも私は
先生から虐待を受けるような子どもだったこと
精神疾患のある引きこもりだったこと
ろくに友達もいないネクラだったこと……
 
 
そんな自分の過去を話して
引かれてしまったり
信じてもらえなかったりすることが
怖くもあり、恥ずかしくもあり
 
 
自分のことを素直に表現することができなくて
 
 
その結果
当たり前なのだけど
私のことをわかってくれる人がいるわけない
 
 
今となってはとっても失礼だけど
相手に対してそういうふうに
一歩引いてしまう癖があって、
 
 
誰にとっても、何のメリットもないのに
一人で孤独な悲劇のヒロインっぷりを加速させては
愛されようと必死になって、
でも、いざ愛を向けられると不信が生まれてうまく受け取れなくて
そんな自分自身にますます嫌気がさして……
 
 
相変わらずトラウマと自己嫌悪が渦巻く沼で
どうしたらいいのかもわからないまま
沈み切ることもなく、ここでも中途半端に
溺れ、もがいていました。
 
 
しかし、そんな私にも人生の転機が訪れます。
少々唐突なところはありますが、
運命であればあるこそ、急な展開なのかもしれません。

わたしの人生が一転したきっかけ、それは
一目惚れした愛する夫との結婚と
予期せず犯されていた病気です。

入籍の約半年ほど前
私は脳とホルモンの病で入院、
それを理由に職も失いました。
 
 
それは過去の自死行為とは関係なく、
脳下垂体とホルモン異常に関する特殊な病気でした。
 
 
きっと、何度経験しても慣れない命の覚悟を
またしても私の家族は通達されるのですが
 
 
これまで、生まれた瞬間を初め
何度も自分以外の大勢の人たちの想いによって
生かされ続けてきたこの命
 
 
またしても私は
たくさんの人の「死なせてはならない」という想いに助けられ
生き延びることができました。
 
 
そして
このとき、誰よりも強く祈ってくれたのは
他でもない今の夫だと思うのです。
 
 
容態が安定し、退院したのは
クリスマスで街が染まる
私の誕生日を迎える少し前だったのですが
 
 
その年、彼が私に用意してくれた
バースデープレゼントは
婚約指輪でした。

28年前
生死の境を彷徨いながら生まれ
その後、何度もリセットボタンが押されかけた命を
もう二度と終わらせない
君の命は君一人の命じゃない
その重みを一緒に背負う
 
 
そう言ってプロポーズしてくれた夫と
年明けに入籍しました。
 
 
ただ、結婚してさっそく
私は不安を抱えていました。
 
 
仕事もなければ
まだ完全に健康ともいえない
無駄に生きようという気力だけあって
これから一体なにをどうしていけばいいんだ?
 
 
初めて生きることに前向きになった気持ちと
病院以外に何も予定のない毎日
 
 
それまで人生を終わりにばかり向かっていたから
人生の始め方がわからずに呆然としてしまったんです。
 
 
でも、そんな私に夫が言ってくれました。
 
 
これは神様からの自由という名のギフトだよ
だからこの期間は遠慮なく
自分ができる、自分の好きなことをして過ごせばいい

この言葉をきっかけに
私のできる
私の好きなことを
1人ではない布団の中、
夫の腕に包まれて考えました。
 
 
そんな、どこまでも安心しながら
フラットな状態で
改めて、これまでの
ただ、ただ、死にたかった人生と
生かされてきた人生について
振り返ってみたんです。
 
 
私が今現在の私自身と
真っ向から向き合えていないこと
また、ずっと過去に囚われた状態で
もがきこそすれど
救済を期待こそすれど
自分自身で逃げ出そうとしていなかったこと……
 
 
自己嫌悪のループから抜け出して
いつどこに、どんな状態でいても
自信の持てる自分でいたいと思いながら
 
 
ただ目の前のことをこなしながら
人に嫌われないために人に尽くす
そんな必死な偽善で自己消費を重ねるだけの
年の取り方をしていたすことに
ようやく気付くことができました。
 
 
私って本当バカ。
 
 
でも、きっと今までの私なら
そこでしこうが止まっていたけれど
やすらかな安心と
私の命は私だけの命ではない
私だけが好き勝手にしていいギフトじゃあない
 
 
そのことに意識が向き始めていた私は
バカな私でもできることを考え始めました。
 
 
文章を書くこと
絵を描くこと
デザインすること
出版社で学んだ取材力
IT企業で培った経験
歌うこと
泳ぐこと
ピアノを弾くこと
タロットカードや占星術
誰かの相談にのる
美術史やアートの知識
食事のコーディネート……
 
 
とにかくいろんなことを振り返り
いろんな自分にできることを取り上げて
世界の中で自分が意思を持ってできること
今の私が自分のためにも、誰かのためにも、できること
 
 
何が私にはできて
何に救われたのか
何で誰の役に立てるのか
今の私にできることで
過去の私を救えるモノは何なのか……
 
 
そして、行き着いた答えが
お菓子作りだったんです。

どんなに元気が出なくても
どんなに涙が止まらなくても
たとえ食べられなくても
たとえ失敗したとしても
お菓子だけは作れたんです。
 
 
私が一人でお菓子を作るようになったのは
10代前半の頃、学校に行けず
家に引きこもるようになった頃でした。
 
 
もともと、毎年の家族の誕生日は
母の手作りケーキがバースデーケーキで
デコレーションを一緒にするのが
誕生日の恒例だったこともあり
 
 
始めは母から
誕生日のたびに作っていたショートケーキや
父が好きだったチーズケーキを教わっていたのを
一人で作ってみたら完成したことがうれしくて
学校にも行けないダメな自分でも
できることがあるんだと実感できました。
 
 
それがうれしくて
母の持っていたお菓子のレシピブックをめくったり
少しずつ貯めたお小遣いをかき集めて本屋に行っては
立ち読みしかできていなかったレシピ本を買ったりしながら
少しずつバリエーションを増やし始めたのです。

お菓子を作ることでキッチンに立っていると
自然と三食の食事となる料理も作る場面も出てきましたが
当時、生きる希望が見出せず、
何度も消えたい、死にたいと思っていた私には
生きることに直接つながる食事を用意することには
たとえ家族に感謝されたり喜んでもらえたりしようと
やりがいも見出せず、精神的負担になるばかりでした。
 
 
料理や食事は、生きる上で必要すぎるが故に
生きる気力を湧き立てられない私には
無意味に感じるばかりではまらず、
 
 
反対に、お菓子作りは
同じ調理作業だし、活動場所もキッチンであっても、
いつの間にか
私が私でいるためには欠かせない行い、
いろいろな恐怖やストレス、トラウマから
唯一開放される貴重な時間として
とりわけ必要なことに感じるようになって
 
 
自分ができることだからとか
ただ単に食べたかった、作ってみたかったからという
そんな理由ではなくて
 
 
他のどんなものにも邪魔されることなく
自分自身だけと向き合うことができる手段として
ただ、ただ、必死になって
無我夢中で作るようになりました。
 
 
お菓子やそれを作ることは
自分の意思に関わらず、生きることを強要しない作業故に
未来に希望が持てずに命を終わらせたかった私には
生命活動に直接必要とされないものだからこそ
癒しとなり、逆に生きる希望となったのです。

気がつくと私は
希死念慮を初めとする
ネガティブ思考やトラウマ、ストレスなどから
一時的にでも脱却し
だからと言って無理にポジティブになろうとしたり
自分を奮い立たせようとするわけでもなく
 
 
全身に行き渡るエネルギーや
パワーバランスの調整、
つまり、
頭の中の、絶望的なことばかり考えてしまう部分に
一点集中しがちな意識や感覚を自由に広く解放させ、
必要以上に、無駄に自分で自分を傷付けず、
崩れかけた私自身を自然に再構築するような
 
 
そんなある種の「セルフケア」として
お菓子を作るようになっていたんです。
 
 
そして、そんな自己治癒的なお菓子作りは
次第に、私が決定的に欠如していたコミュニケーション力と
極限まで抉り、むしり取られ、スカスカになっていた
自己肯定感までも補ってくれるようになっていました。

そもそもお菓子、それも素人が家で作ったものなんて
よっぽどお菓子そのものか作った人に好意や興味がない限り
前向きに食べようなんて思ってもらえるものではありません。
 
 
先にも述べた通り、
お菓子は生命活動に必要不可欠な要素ではないし
完全に趣味趣向の分野のものなので
もちろん、まったく興味のない人や
甘いもの自体が苦手な人だっています。
 
 
そのことは私もわかっていたし
私がお菓子を作るそもそもの動機も
自分も含め、人に食べさせることではなかったので
 
多感な成長期を引きこもって過ごしたことにより
コミュニケーション力も自己PR力もゼロの私が
誰かにわざわざ自分からお菓子を作っていることを
発表することはほとんどありませんでした。
 
 
でも、ふとしたきっかけで
お菓子を作っていることが知られはじめてから
「あなたが作るお菓子を食べたい」と
 
お菓子が好きだからとか
必要栄養素が補えそうだからとかではなく
 
 
食べなくてもいいけど
あなたが作るのならそれを食べたい
そういうようなことを言ってもらえるようになったんです。

一番はじめは大学受験で一浪し、
予備校に通っていた時。
 
 
昼休みに仲間たちとお弁当を食べている時、
食後に楽しもうと思って
前日に作ったパウンドケーキを
アルミホイルに包んで持ってきていたんです。
 
 
お弁当を食べている間、それはアルミホイルに包んだまま
テーブルの上に置いておいていたのですが
食後、お弁当を片付けてケーキを食べようとしたとき
一緒に食べていた友人たちが
それはもう、ひどく驚いたんです。
 
 
彼らが言うには
「お弁当と一緒にカバンから出てきたし、
アルミホイルに包まれているから、
てっきり、ペチャンコに潰れたおにぎりか何かだと思った。」
とのこと(笑)
 
 
違うよ、潰れたおにぎりじゃないし
昨日、自分で作ったケーキなんだ。
 
 
私がそう説明して中身を見せると、
きっと、潰れて食べる気も失せるおにぎりのイメージが
先行して彼らの頭の中で描かれていたことも
期待を大きくさせる要因となっていたんだと思います、
 
クシャクシャのアルミホイルに包まれた
たかが1切のパウンドケーキに
その場にいたみんなが「美味しそうすぎる!」
「食べたい」「欲しい」なんて感想を
口にしてくれたんです。

私はそれまで
あくまで自分のために、
自分がしたくて、
お菓子を作ってきただけであって
 
 
たとえば誰かに誉められたいとか
食べてもらいたいとか、
そういう目的でお菓子を作ったことは
一度もなかったこともあり、
 
 
自分の作ったものが
そんなに興味を持ってもらえるなんて
とてもビックリしたのを覚えています。
 
 
そのとき、
私もお菓子を作る、それを渡す、共に食べることを通じて
人の輪の中に入り、
相手の話を聞いたり、自分の話をしたり、
投げかけずとも、いつの間にか満たされていた承認欲求や
リアルな相手との信頼関係の築き方、
相手に見られている自分の姿を知ることができたんです。

しかも、それだけでなく
翌日、もしかしたらもらってくれないかもしれない
もしかしたら茶化されてるだけかもしれない
ただの社交辞令かもしれない……
そんな不安を抱えながら迎えた昼休み。
 
 
いざ、私が意を決して友人たちにケーキをあげると
喜ぶと同時に、その場ですぐ食べてくれた友人たちが
第一声にあげたのは「え、美味しい!」
 
 
一人で怯えていたのが情けなくなるほど
みんな「美味しい」「売り物みたい」「もっと食べたい」と
喜び、そして褒めてくれました。
 
 
しかも、それは偶然の出来事か
みんなが気を遣ってやさしい対応をしてくれただけだと
最初は思っていたのですが
その後、いろいろな場面、いろいろな関係性の中で
同様のやりとりが起きたんです。
 
 
そして、その度に私は
自分の心の姿形を感じ、
自分の居場所や希望を見つけ始めるようになりました。

そう、お菓子を作ることは
私が表で死にたい、死にたいと言っている裏で
食べることや寝ること、お金を稼ぐことより、
何よりも私を私らしく
世界と繋ぎ止め、生かしていたんです。
 
 
だからこそ、
中途半端な体力と
アラサーにして突如モラトリアムを手に入れ、
結婚により、新しいライフステージにも立ったことで
改めて、自分自身としっかり向き合う必要のある私にこそ
セルフケアとしてのお菓子作りは有効で
始めるべきことだと気付いたんです。
 
 
ただ、私には脳とホルモン異常の病気があり、
闘病していた頃は食事にも制限がありました。
 
 
でも、お菓子を作る作らないの選択を迫られたとき
改めて、私にとっての
お菓子を作ることの意味を振り返ったとき
お菓子を食べることではなくて、作ることが
私のお菓子作りの目的であり
 
 
お菓子を作ることによって
自分の心を整えて、バランスを保ったり、
人とまともなコミュニケーションをとったりしていたので、
私の人生からお菓子作りを失くすことはできないし
切っても切ることができないと気付きました。
 
 
それに、夫をはじめ
これまでの人生で私が助けてもらった、
なんとかして私を助けようとしてくれた
たくさんの人たちは
 
 
自ら無理したり、我慢したり、苦しみながら生きるより
とにかく、自分で呼吸ができるような、
自分の力で生きられるような選択を
後押ししてくれるんじゃないかと思ったんです。

産まれた時
いろんな人が「生きろ」という祈りと共に
死にかけの私のお尻を
産声を上げるまで叩いたように……。
 
 
だから私は、たとえ今がどんな状況であろうと
お菓子を作ることをやめない選択をしました。
その代わり、体調の改善を条件として
自分に課したんです。
 
そして、この決意が発端となり
オーガニックやマクロビオティックについて学び、
そのための専門学校やエキスパートとなる人の元で
アシスタントを務めるまで通いながら
 
 
普段の食生活と併せて
自分のマインドケアのためのお菓子作りでも
ベースの生地をグルテンフリーにするとか
卵や乳製品を使わないで作ってみたり
白砂糖をやめて甘味料を試行錯誤を始めたりしたんです。

そんなことを始めた約2年後の2020年1月、
わたしはお菓子を作って、食べてを繰り返しながらも
無理なく約30kgのダイエットに成功した身に
結婚式で着用したウェディングドレスをリメイクした
オリジナルのエプロンを身にまとって、
たくさんの生徒さんに囲まれる日々を過ごしながら
開業届を提出するにまで至りました。

生まれたとき死にかけた状態で誕生し、
10歳のとき初めて自分で命をたつことを思いつき、
19歳で本当に決行したものの、未遂で終わり、
その後も、幾度となく自殺未遂を繰り返してしまい……
 
 
自分には価値がない、生きていても意味がないと
ずっと自分を否定し続けて、
人生の半分以上を暗闇から抜け出せずにいた私でも
 
 
ただ「お菓子を作る」という
自分でもできる、自分でも許されると
そう思えることを見つけ、

会社員でなくても働くことができる生き方や、
誰かの役に立ち、感謝される日が訪れる……
そんな未来が待っているとは
あの頃の私は微塵も思っていませんでした。
 

そして、それを可能としたのは
他でもない、お菓子作りがあったからなんです。
 
 
私がいま、毎日を笑顔で
そして心身共に健康的に過ごす生活を
自分でおくることができているのは
 
 
お菓子教室を開講する2年前に
痩せて健康も取り戻すけれど、
お菓子作りも絶対やめない
そう決意できたから。

これまでの話の中にもあったように
私にとってのお菓子作りは
心のセルフケアが最大の目的です。
 
 
だから、副産物的ではあるものの
1年半という長期間とはいえ約30kgの大幅減量まで
達成できたのだと思っています。
 
 
お菓子を食べることでも
バレンタインや誕生日などの準備のためでもなく、
 

私が私らしくあり続けるために、
過去やトラウマに引きずられずに、
今この瞬間の自分をベストな状態に常に整え、
いつでも心地好さを手に感じ続けるためなのです。
 
 
だから、もちろん今でも
私は私自身のためにお菓子を作っています。

ただ一つ、今の私が
数年前と違うのは
この「お菓子作りによるセルフケア」を
伝えようという地点に辿り着いたこと。
 
 
過去の私と同じように悩んでいる人
今でも苦しんでいる人は
今でも世界中にたくさんいる。
 
 
全ての人に効果的かどうかは
もちろん中途半端な答えは言ってはいけないと思います。
 
 
でも、きっと
この方法で暗闇から抜け出せる人は
なにも私だけじゃあないはずだと、
私以外にも少なからずいるはずだと思うから
彼らがそこに辿り着く道はないのか調べました。
 
 
そうしたら、近年、
欧米では既に、
お菓子作りを心理療法に取り入れるという
似たような文化が広がっているようでした。
 
 
ただ、その文化
“anxiety baking”と言って
日本ではちょっと馴染みにくい語呂なんです。
 
 
だから、私はそれをもっと砕いて
クッキーセラピー」と呼んで
私が経験してきた過去、
私の知っている知識、
その総体系として
自ら伝えていくことにしたんです。


レッスン初期、対面レッスンでの様子

あなたは、自殺は悪いことだと思いますか?
 
 
もちろん、良いこと、許されることではありません。
だけど、自分で生きることを辞めたいと思ってしまうほど
辛く、苦しく、悲しい思いで溢れている人を
ただ一方的に、常識や倫理だけで責めることは
私にはできません。
 
 
私には経験者だからこそわかることがあるという自負、
そして、私のこの命は
生まれたその瞬間から今日まで
たくさんの人の手によって繋いできてもらったという
一生かけても返しきれない感謝と恩があります。
 
 
だからこそ、
もう二度と、一人でも、
私と同じような選択をしてしまう人を減らしたい、
私が誰かに命という未来を繋いでもらったように、
私も誰かの希望を作り、渡したい……
 
 
そんな想いから、
私が辿ってきた経験、そして
自立へと繋がったクッキーセラピーを
伝え、発信していくことを決めました。

先にも述べたように、
私がクッキーセラピーと呼ぶ
お菓子作りを用いた心理療法は、
既に欧米では精神科医や心理学者によって研究が進められ、
実際に治療の現場でも使われているそうです。
 
 
ただ、日本ではまだその文化が広まっていない現状があります。
そこで、私が最初のきっかけとなればと思い、
私は自分が今までの経験や学んできたものを
このnoteの記事やSNSで発信をしたり、
レッスンを行ったりすることから始めました。
 

オンライン講座ではzoomを利用して全国から受講いただいてます

実際に、これまで私のレッスンを受けてくださった方たちは

 
私と同じように、
昔からずっと自分のことを「ダメな子」と思い込んでいたり、
何をやってもうまくいかない、努力しても空回りばかりと嘆いていたり、
今までずっと、どうにかして現状を変えなければと思いながら
自分ではどうするべきなのか、どうしたら良いのかわからず
結局、ただただ、辛い毎日を繰り返してしまう……
そんな過去を携えてきたけれど
 
 
レッスンに参加するようになってから
▶︎自分を許せるようになって気持ちが楽になったり
▶︎きちとん努力したことが実を結ぶようになって
 毎日を穏やかでポジティブに過ごせるようになったり、
▶︎明るい気持ちで、充実した日々をおくれるようになった
▶︎自分にも周りにも、やさしくできるようになった
▶︎毎日ベッドに入るたびに未来が不安で仕方なかったのが
 嘘のように、豊かな心で日々を暮らせるようになった。
▶︎自分はダメじゃないと思えるようになって、悩み落ち込むことが減った!


冒頭でも紹介したご感想以外にも
日々、みなさんから前述したような
うれしい連絡をいただくようになりました。
 
 
 
だから私はこれからも、
もし過去の私と同じような
暗闇から抜け出せずにもがいている人がいるのなら……
 
 
自分のことが嫌い、
自分とまっすぐに向き合えない、
 
 
そんな人がいるのなら
私なりのできることで、
そっと寄り添ってあげたいのです。
 
 
そして一緒に
今この瞬間のあなた自身と向き合える時間となる
そんなお菓子作りができたらと考えています。

そう、クッキーセラピーの最大のポイントは
お菓子作りの作業を通じて、
他の誰でもない今の自分自身と向き合うコト。
 
 
だから、言ってしまえば
上手に作れなくっても良いんです。
 
 
10代の頃の専門知識なんて何一つない私が
レシピ本だけを頼りに
見よう見まねで作っていたのと同じように
 
 
上手に完成させられるかどうかよりも
自分自身といかに向き合うか、
いかにバラバラになった自分を統一させるのかが
クッキーセラピーでは重要で、大切なことになります。

もし、こんなちひろんの話を読んで
クッキーセラピーについてもっと詳しく知りたいと思ったら
ぜひ、下記の記事にも触れていただきたいです。


もしくは、クッキーセラピーに興味が湧いてきたけれど、
レシピもないしお菓子作りに自信がない……
そんなことを思ったら、下記のLINEまで
あなたの好きなお菓子、もしくはお気に入りのスタンプを1つ
ぜひ、自己紹介代わり送ってください。

「noteを見たよ!」でもOKです


あなたの好みに合わせて、
オススメのお店をご紹介させていただきながら
ご希望の方には、まずは簡単に作ることができる
お菓子のレシピ集をプレゼントさせていただきます☺️

オーブンがなくても大丈夫なレシピも含まれていますので
環境的に難しいと思っている方もご安心いただければと思います。


レッスンで作った焼き菓子をボックスに詰め合わせ


改めて、最後まで読んでくれて
ありがとうございました♪
 
 
これからもブログやSNSでは
作ったお菓子やレッスンの様子、メンタルケアについて
ご紹介していきますので、ぜひ仲良くしてください*


また、良かったらインスタグラムでも
繋がってくれるとうれしいです☺️

▲初心者でもかんたんでヘルシーなお菓子レシピを公開してます

この記事が参加している募集

サポートありがとうございます。実は2021年にハーブティー専門店の実店舗化に向けて動いていましたが開業資金の1200万円を諸事情で失いました。でもまだ諦めてはいないので、再始動のための資金として活用させていただきます。オープンの際にはぜひお礼の一杯をご馳走させてください!