酔っぱらって楽しければよかった
2014/09/14
夫の親族の通夜へ行った。大往生だった方。通夜のあとのお清めでも酒のことを考える。こんなときに不謹慎だと思うけれど。
私はノンアルコール・ビール。最近はどこでもあるのがありがたい。しかも一番好きな銘柄のノンアル・ビールが瓶であった。
夫はビールや日本酒を普通に飲んでいる。明らかに彼が酔っているのがわかる。私は飲まなくなってから他人(ひと)が酔っているのがすごくよく分かる。やっかみ半分、いえやっかみ全部だろう。卑しき心をいい加減に認めよう。
陽気に飲んで話して食べて・・・私だって前はそうだったんだ。しかし、夫がビールを注がれるままに飲み続け、残っている料理を勧められるまま食べ続けるので参列者はみな帰って、内々の親族と私と夫だけが残ってしまった。
またビールを注がれて食べて飲んでいる夫にハラハラして「もう帰ろうよ」と夫にせかすように言った。明らかにもう終わりモードに入っているのに気づかないのだろうか。
飲んでいたかつての私も気づかなかったのだろうか。そういう雰囲気も自分が飲まなくなってからわかってしまう。
故人の孫にあたる若い親族からすれば、いや、誰からしても夫は「酔っ払った親戚のおじさん」だった。
夫が「妻に制限されるので、じゃあ、もう今日は引き上げます」といって席を立った。
結婚して17年、私は一度も夫の飲酒を止めたことはなかった。それほど大量に飲む人ではないし、泥酔して困らせることもないのでそれで別によかった。
そして何よりも、わたしは、夫の飲酒をコントロールする妻になるのが
死ぬほど嫌だったのだ。
それなのに、自分が飲まないでしらふでいていろいろなことが判れば、
今日は飲み止めを夫に促す妻だ。夫にこんなことを親族の前で言われる妻。
今日と言う今日は、本当にこんな風になった自分に心底嫌気がさして失望した。死にたいと思った。
何もわかりたくなんかなかった。一生わかりたくなんかなかった。
今回は葬儀なので楽しくは飲めないが、夫と楽しく飲んで、あの二人中年バカップルだ、って言われてそれでよかった。
※後からわかったこと追記:この時は断酒の辛さと夫から言われたことに対する複雑な思いで「死にたい」と思うほど自己嫌悪になった。しかし今思えばそんな中高年夫婦、みっともなくて迷惑なだけだ。そんなひとになりたくない。わかってよかったのだ。
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