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鈴木ベルキ 『歌集 拾わないコイン』


鈴木ベルキ 『歌集 拾わないコイン』

■歌集を読んで <Prologue>


9月7日 宅急便で一冊の歌集が届いた。
今まで家族のアカウントで本を購入してもらっていたボクは、
実質的に言えば、自分で購入した初めての歌集である。
そして私家版歌集を購入するのは、
今年初めてTwitterをはじめたボクにとって、
自分がつながっている方の出した本を購入することは、
紛れもない、はじめての経験だった。

梱包には作者であるベルキ氏の
Twitterアイコンであるイラストのスタンプが付いていた。

かわいい。

可愛いものはスキだ。

梱包を開けるとまた、メッセージが書いてあって
やっぱりなにか特別な思いがした。

人とつながることを極度に拒んできたボクにとって
とてもあたたかい想いが
カラカラの心のなかに流れ込んできた

購入した人へこういう気遣いをできるという心のあり方に
とても優しい人なんだと感じた。
その優しい気持ちはボクの心に確実に刺さった。
それだけでも、もう、ありがとうをいいたい。


■感想

装丁はやわらかな質感を感じる灰色の表紙と、遊び紙が浅い明るい青。
無線綴じのスタイルはハードカバーより
むしろ歌集全体の雰囲気を優しく包み込むように感じる

ベルキ氏も本が出来上がった時の
その存在感が歌集のイメージに
とてもぴったりだと思ったんじゃないだろうか。

可愛らしいコインのイラストも、
手描きのメッセージも、
スタンプも、
タイトルがコインであることも
歌集全体のイメージを補強しているように思う。

読んでいて歌のひとつひとつの物語を丁寧に綴じているような感覚をもった
歌集の目次タイトルの最初の「弟も貸す」では体言止めが多い。
世界の正解を、、、、いや、彼が持っている世界についての
ワンシーンワンシーンごとに、
答えを出そうと言葉を紡いでいるように感じた。

体言止めは、いい切ることで世界を限定的に結晶化するのに便利な手法だ。

ひとつひとつの歌が結晶化して、
ベルキ氏の世界を丁寧に包みこんでいる。

パッキングされた世界、
どの短歌にも優しい質感が灯っているのは、そうした彼自身の
世界との距離のとり方に由来しているのではないだろうか。

そして視覚的な印象が強く
静止画というよりは
動画として短歌を切り取っているように感じた。

技法的というよりも、意識のあり方、その人の性格として、
1つの歌の中で視点や意識の先が、
コロンと切り替わるような見せ方を好んで使用しているようにも見えた。

ボクはその見せ方がとてもスキだ。

読者の視点を裏切るための言葉と、
言葉の組み合わせを意識的に選び、
そのために一度自分を短歌の世界から切り離して
俯瞰して見ている。
極めて冷静な思考のかけらが言葉の端端にキラキラと輝いている。

ボクの知らないたくさんの素晴らしい歌を、歌集を読み、
彼の世界を構築してきたのだろうと思う。
源流をたどれば仰ぎ見るのは常に青空しかない。
彼の短歌の源流をたどることに意味はない、彼のアイデンティティは決して
他人や歴史の集積によってなされたわけではないからだ。

しかし、歌人として名のある方々の作品に則してみても、
ベルキ氏の作品には確信をもって歌を読んでいるように思わせる
積み上げた土台のような安心感があるように思うのである。
うん、言い過ぎかもしれない。でも安心して読んでいられるし、
期待を裏切らないだけの歌の強さを感じる。

意味のよくわからない歌がないし、言葉の雰囲気に逃げたりしていない。
伝わるものを選んでいるという意思さえはっきりと感じるほどだ。

日々の生活の中で、悩み、苦しみ、紡ぎ出してきたに相違ない。
彼のバックボーンにたしかな積み重ね感じるのはボクだけではないはずだ。

彼の感受性が短歌に優しさとある種の質感を灯している。
先ほど動画のように短歌を切り取っているといったが、
その動画はサイレントか、もしくは音が静かで、敏感な感じの動画だ。

すこしレトロな印象、、、デジタルなムービーと言うよりも
フィルムで撮影した感覚をボクは感じている。
フィルムカメラでも、もう少し古い、金属の重たいカメラのイメージ。

ベルキ氏の作品を読んでいて思ったのは
そうした短編動画としての印象が連続して一つの質感を
大きな流れにしていく力があるのではないかと感じたところだ。

連作や、複数の歌で彼の作品に触れたほうがよりその世界観が、
じわじわと染み込んできて心地よい。
連作が機能するように心を砕いて構成しているよう思う。
アタリマエのことかもしれないが、当たり前ができるとは限らない。
そういう歌集ばかりではないことは
歌集をよむ人にはよく分かってもらえると思う。

歌集によってはちぐはぐな印象を持ったり、
短歌の並びが効果的でなかったりすることは
ままあることだろうが、
『歌集 拾わないコイン』 は
その静かな優しい印象に
ひとつひとつの歌が共振して
どんどん膨らんでいくような心地よさが確かにある。
表紙のコインの絵が
まるで落ちていくような軌跡を描いているように描写しているのも
アニメーションが一コマでは動かないのと同じように、連続した描写がひとつの作品として命が灯るのにとても似ている。
この点は彼の短歌が動画(映像的)だと指摘した点につながる伏線だ。
是非歌集を手にとってこの感覚を味わって欲しいとおもう。

ボク自身、短歌の実作者として日々考えることがあるが、
特に気になっていることを書き出すのに
すごくぴったりの短歌が作品に収録されていたので

引用
させて頂く、

ボクがスキな短歌は結構な数が他にあり紹介したいのだが、
本来、歌集を読んだ人たちだけが共有できる喜びとして
独占したいと思うので、この場ではこの歌だけ、
失礼を承知で引用させて頂く。ご容赦願いたい。

潮騒の代わりに夜のシーフードヌードルときに激しく啜る

鈴木ベルキ 歌集 『拾わないコイン』 P36 「ハッピーでありますように」収録

この句は「シーフードヌードル」が三句と四句にまたがっている、
いわゆる「句またがり」である。

句またがりは伝統的には忌避される表現であるが、
現代短歌ではむしろ主流の表現になってきているように思う。

ボク自身、句またがりを意識的に使用して歌を読むのだが
この句の場合で言えば
「シーフード」で一旦、短歌の世界が強制的に遮断され、
音としての「ド」が一度ドクンと脈打っている。

そうすることで下の句である四句、五句が
世界を反転したイメージで表現され得る。

シーフードヌードルという1個の存在が
短歌の表現形式のよって強制的に分断されたとき
歌人はそこから世界を反転させる視点でもう一度世界を眺めるのである。

ベルキ氏は意識的にその世界を切り取るように、
反転させるように言葉を選んでいるようにボクは感じている。

写真家が不要な被写体を画角に入りこまないように撮し取るように、
不要なイメージや言葉を排除していくように推敲をしているのではないかと思う。

本来の意味とはかけ離れているが、
正岡子規の「写生」という言葉を
現代の認識やテクノロジーで捉えなおしたとして
歌人の視線というカメラで歌の世界を切り取り、
それが最も美しくなるようにフレーミングする技術の
「写」と
言葉が命を宿すように、それこそ、ありのままの姿を写生するように
活かす=生かす
「生」で
「写生」をしている歌の読み方
と、言ってもいいとボクは提言したい。

特段新しいことを言っているわけではないが、ボクの解釈である。


また歌の、声に出した時の読み方だが

『潮騒の代わりに夜のシーフードヌードルときに激しく啜る』

の三句において、

「シーフード」

と一旦止めて

「ヌードルときに」

と四句へ続くときに、
音と世界が完全に分断されて読むのが正しいはずだ。
失礼を承知で表記をわかりやすく見せさせて頂く。
(そもそも記事で引用したらすでに横書きを強制している。)

潮騒の代わりに夜のシーフード
ヌードルときに激しく啜る

音の流れとしては
上記のイメージのごとく
声に出して詠む時に、一度シーフードで切れるほうが、
より、世界感が印象付けられ、
歌としてのリズムも良くなるとボクは思う。
感覚に由来する根拠では有るが、ぶっつりきれる読み方に心地よさを感じる人は決してボクだけではないと思う。

Aメロからサビに移行するような、
そんな急激な変化と盛り上がりが
この短い文字数の短歌に込められていることに
胸が熱くならないはずがない。

さらに言えば意味も、
世界もそこで分断してしまっても良い作り方をしている。
シーフード(三句)までと
ヌードル(四句)からを
別々に読んでも、文としての意味が壊れていないからだ。
「ヌードルときに激しく啜る」は「ヌードルを」としたほうが文としての意味は滑らかだが、
短歌的な語の使い方として「ヌードルときに激しく啜る」であるべきだ。

———————————
「を」は、目的語を示す格助詞で、
動作や行為が向けられる対象を表す。助詞がない方が良いかと言えばそれは場合によって異なるし、逆に助詞があったほうが良いと思った歌もある。

(引用はせず部分的に失礼します。)
例えばP87のレモンの歌は
『どこかいってしまった』
よりも
『どこかへいってしまった』
にしたほうが、まえのフレーズの韻律良さがより引き立ち
言い下す感じが、よりスピード感を伴って
レモンの酸っぱさを演出するのではないかと提案したいが、どうだろう。
上の句で短歌の韻律を無視していて、しつこい感じもするが、ボクはその方が音の流れはすごくしっくり来る。

そうは思ったが、この歌は意味も仕掛けとして上手に作られていて、
ボクのお気に入りのひとつである。

(歌集を手に取った人にしかわからない話かもしれません。
買ってみてください。是非。)
———————————

「ド」で一旦脈打ったあと
「ヌー」が通常の「シーフードヌードル」のイントネーションではなく
半音低く読んでしまう。
イントネーションで近いのは「アイドル」だろうが、
りんごを原料とした醸造酒の「シードル」のイントネーションに近くなる。
句またがりで意味が分断されると
イントネーションが変わっているように感じる。
というよりそう読んでしまう。

その感覚が意味を別のものへ変換させるようなイメージを引き連れてきて
本来は異質な者同士の表現をスムーズに繋げる橋になっているのだ。

「潮騒」は

  • 多くの人にとって、潮騒は落ち着きや安らぎを感じさせる音。

  • 自然と耳が受け入れやすく、不快感を覚えにくい音。

それに対して規模も、
音の大きさも確実に小さいカップヌードルの音が
まるで世界全体を包み込むように
うなり狂っているイメージを提起している。

潮騒の代わりだとするなら、
静かに食べている様子を、
遠くから眺めているようなイメージなのに
句またがりの分断後に場面が急に近づき
歌人の心情を表すような生々しさを突きつけている。

また、視覚的な点について言えば、
漢字とカタカナとのバランスがとれていて心地良いい。
「潮騒」というあたまと、「啜る」の文字の重さがちょうどよく
「シーフードヌードル」が
3句と4句にまたがっているのも視覚的にバランスがよい。

このバランスは特に横書きのときに顕著に見えるので、
メディアとして紙媒体ではなく、
SNSやここのようなweb画面上で見た場合に強く感じるだろう。
ボクはSNSに作品としてだしたもの以外は
すべて横書きで短歌を書いているで(ノートやPC、スマホにおいて)
とくに横書きのバランス感と、
横書きにおいてのみ機能する効果があることについて
よく考えることがあった。
横書きでバランスがいいものは
縦にしてもとてもスマートに見えるので、是非試して欲しい。


歌集全体を通してみたときに
動詞の使い方ががとても素敵だと感じることが多かった、
また、これは冒頭で動画のような視点について触れたが、
情景の切り取り方に個性が出ていてとても上手だと感じた。
同じカメラでとっているような、その人のアジとでも言うような
短歌作品における同一性、アイデンティティのようなものがある。

さらに、口語的な語尾で句を印象付ける歌が
時々はさまれているのがいい

具体的に言うと
「かよ」 とか
「みろよ」 とか

ベルキ氏の歌集は対象との距離感と、
独特で俯瞰的な立場をよく感じた。
その彼の物事を丁寧に描こうとする優しい眼差しの中に
男らしい感じを入れているあたりが変化があってすごくいい。

穂村弘氏がよく書籍でご自身の短歌を指摘されていると
書いているほどではないが、ベルキ氏の短歌にもときおり、
いい男感がでている、そのさじ加減がイカしている。
絶対に意識的だと思う。

ボクも口語的語尾や、文語の切字などを意識的に使用して
変化をつけるよう意識するが
ベルキ氏の口語の語尾を一連の中にどこで挿入するかというタイミングはとても参考になる。

ボクは短歌を作品として発表し始めたのはまだ3ヶ月すぎたくらいなので、
歌歴も、年齢も先輩であるベルキ氏の歌集に対して
分析的な視点を用い感想と称して考えをまとめてよいか
ずいぶん悩んだが、自分が良いと思った歌集が、
もし、自分の何らかの取り組みによって少しでも広がってくれるなら、
それはとてもうれしいし、
それはボクが持つテーマとしての、
短歌における「私性文学」とはなにか
という問いに答えを出せるひとつの筋道だと思っている。

■終わりに  <Epilogue>


感想・書評というものを自分なりにしっかりと書くのは初めてです。
本を読んで考えることや感じることは本当にたくさんあります。
身の内へ積み重なっていくだけで、
アウトプットをしなくてはいけないと、
最近つとに思うようになりました。

感想や書評というのは他人の褌で相撲を取るようなものかもしれませんが
それもリスペクトする相手への敬意となり得ると思います。

それに、明治・大正・昭和の歌人たちがお互いに
檄文を飛ばしあい
ときに対立し
お互いを高め合ってい行った時代を、
ボクなりに憧れて書きました。
(若輩者が安易に真似るようなものではないとは思いますが)

物書きとして最も尊敬している池田晶子先生と
その池田先生が敬愛する小林秀雄氏に誓って

自分の書くものには責任を持たなければならない

今日は一歩前へ進む記念日です。


■下記より購入可


歌集は青色ではなく、灰色です。
この色での販売はないようですが、こちらもとても素敵ですね。

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