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アウラはないかもしれないがオーラがある ウェイド・ガイトン

 先日友人のいととと氏(@itototo1010)と、エスパス ルイ・ヴィトン東京で開催中のウェイド・ガイトンの日本初個展「THIRTEEN PAINTINGS」を観てきた。

いととと氏の記事はこちら↓


※展示室前に表示されている「ご鑑賞の皆様へのお願い」に基づき、SNSへの写真の掲載に際して以下のハッシュタグを付します。

#EspaceLV
#CollectionFLV
#FondationLouisVuitton



ルイーズ・ブルジョワ展のあとで……

 ウェイド・ガイトン展の前に、私たちは森美術館の「ルイーズ・ブルジョワ展 地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」に行っていた。

ルイーズ・ブルジョワ《ママン》(1999/2000年)
森美術館の屋外にある

 こちらの展示も素晴らしく、ふたりでいろいろお話をしていた。

トウソクジン:これ4コマですね(4面に顔がある)。

《無題》(2009年)

いととと:あ、こんなのぶら下がってたんですね!

《カップル》(2001年)

 まあこちらは分量が多いから、気が向いたときに別の記事をしたためよう。

 ブルジョワ展のあとにサイゼへ行き、お互いに持ち寄った本や4コマの話をしていた。
 話したことのいくつかは忘れてしまったけど、オリジナリティというものについて語った持論をひとつ、ここに覚書として残しておこう(肉付けが多分にあり)。意図していなかったことだが、以下の話はガイトンの作品にも通用するように思われる。

***

 もはや現代には、真の意味でのオリジナル(複製に先立つ原形)はないだろうが、オリジナリティ(独創性)なら特定圏において共時的に通じうる。そんなオリジナリティの感ぜられるものたちは、同時代にある限りは互いに差異化しながら群雄割拠を繰り広げるが、後世に残るのはそのなかのごく一部である。
 私たちは過去を振り返るとき、オリジナリティを感ぜられるもののほんの一握りを、その時代の象徴として拝受することになる。このとき主体の過ごしてきた線状的な時間軸に対して、象徴を通してしか観測できない過去を通過する時間軸はパラレル化してしまう。なぜなら真後ろを向いても、もう何も見えないのだから!
 
その眼はいかなるものも捉えない。私たちは「いま、ここ」で、記録や記憶を準拠とすることによってしか、過去を認識できないのだ。多くのオリジナリティを感ぜられるもの「だったもの」たちは、この過程で有象無象となり人びとから忘却されてしまう。

 「いま、ここ」から「あの日、あの場所」を思い返そうとしても、認識外現実および忘却した事象について思考できるはずもなく、自己にとって、あるいは共同主観的に印象的だったものばかりが、頭に浮かんでくることが多いように思われる。すぐに忘れ去られてしまう流行語も、ある日ふと耳にしたなら「ああ、あのときはそんな時代だったな」と思うことだろう。
 ギヨーム・アポリネールは、典型という名の空想を生み出すのが芸術の役割であり、それがひとつの時代(エポック)を築くと説く。

 この空想、すなわち「典型」を創造することは芸術に固有の特性であり、その社会的役割なのである。
[……]
 この空想は私には全く自然なもののように想われる。なぜなら芸術作品とは、造形性という見地からすれば、一つの時代こそが最も精力的に生み出すものに他ならぬからである。このエネルギーは人間たちに賦課されたもので、人間にとって一つの時代の造形的基準になっている。*1

 このように私たちは精力的な芸術をある時代の典型、すなわち造形的基準とするのだ。これこそが歴史を貫くオリジナリティではないだろうか。
 いつか振り返ることがあったとしても、後ろには何もないことだろう。しかし自分たちの生み出した独創的なものが、別のところで過去を形作ってくれていればいいなと切に願う。

***

 ……長くなった。ここらでサイゼを出ることにしよう。


参考文献

*1……ギィヨーム・アポリネール『キュビスムの画家たち』(斎藤正二訳、緑地社、1957年)、p.28-29より引用。


ルイ・ヴィトン、敷居が高い高ーい

これは会場を出たあと

 オギャーッ!
 ハイブランドの直営店なんて入ったことがなかったため、無駄に緊張してしまう。

 展示室はお店の上にあるようだ。入店すると店員さんに「ガイトン展においでの方ですか?」といったことを訊かれ、上階へとつながるエレベーターに案内される。

いざ、ご対面

 上階へ行き展示室に入ると、そこには13枚のキャンバスが並んでいた。これで一組の作品だそう。さっそく見ていこう。

ウェイド・ガイトン《Untitled(無題) 》(2022年)

13点の絵画、リネンキャンバスにエプソン製 Ultra Chrome HDXによる インクジェットプリント
各213 x 175 cm Courtesy of the artist and Fondation Louis Vuitton, Paris *1

 いやー……。物量と大きさで気圧されてしまった。ひとより少し高いくらいのキャンバスが並んでいるだけで、こんなにインパクトを受けるものなのか。DIC川村記念美術館のロスコ・ルームを彷彿とさせる(行ったことのないままだ……)。
 ガイトンの作品はキャンバスの画布に、エプソンの大型ジェットプリンタで印刷を施したものだそうだ。その際にエラーが起きたりインクが垂れたりする。こうした誤用とミスプリントによって、このなんとも言いがたい存在感のある作品が生まれるのだ。

オリジナルからオリジナリティへ──アウラからオーラへ

 ここで思い出しておきたいのが、オリジナルとオリジナリティの話である。写真の複製(コピー)──オリジナルなきコピー──を繰り返すガイトンの作品においては、オリジナルなんてものはないだろう。かつてヴァルター・ベンヤミンは、オリジナルの芸術に対してひとが感じる重みを「アウラ」と呼んだ。
 彼が言うには「技術による複製はオリジナルにたいして、手製の複製よりも明らかに自立性を持っている」*2 うえ、「複製された作品はどこにでももっていける」*3 のだ。こうして「事物の権威、事物に伝えられている重み」*4 すなわちアウラが消滅する。
 なお多木浩二が指摘するように、アウラは対象に備わっているものではなく「われわれが芸術文化にたいして抱く一種の共同幻想」*5 のことである。これが消滅するというのは「われわれが生きて、包みこまれている社会に何かが起こり、この幻想、芸術や伝統についての信念が崩壊したこと」*6 を示すのだ。
 一応ここで、ベンヤミンによるアウラの説明を引いておこう。

いったいアウラとは何か? 時間と空間とが独特に縺れ合ってひとつになったものであって、どんなに近くにあってもはるかな、一回限りの現象である。ある夏の午後、ゆったりと憩いながら、地平に横たわる山脈なり、憩う者に影を投げかけてくる木の枝なりを、目で追うこと――これが、その山脈なり枝なりのアウラを、呼吸することにほかならない。*7

 時間と空間が縺れ合った一回限りの現象。よく言われる「いま、ここ」の一回性、これがオリジナルに対してわれわれが感じる権威性だ。

 思想家ジャン・ボードリヤールはオリジナルの模造、あるいは準拠なき複製や「現実」と関係のないイメージ(神)などをシミュラークルと呼んだが、彼が第二段階(生産)と定めるシミュラークルは大量生産製品がその代表例だ。
 マスプロダクションにおいては、製品ひとつひとつにオリジナルとコピーという関係を見出せない。この段階ではコピーのコピー、つまり等価のものを無限に生み出し続けることができるのである。*8 もしや準拠すべき/されるべきオリジナルというもの自体が、複製技術の発達とともに消え失せたのではあるまいか。

 いやしかし、作品と相対することで何かを感じることはある。例えば──ボードリヤールの術語を借りるなら──シミュラークルそのものであろう、SNS上に拡散されるデジタルイラストや写真としてのイメージ。SNSにおけるデータの動きは、複製と言うよりは等価物の同時多発的な出現であるが、そんな乱立するイメージたちにも何かを感じる。
 つまり複製技術時代における私たちは、オリジナリティを感ぜられるものに対して、アウラに代わる何かを打ち立てたのではないだろうか。ここではこれを、アウラに倣ってオーラとでも呼んでおこう。ただしオーラは共同幻想ではない。オリジナルがあればその権威性を絶対化できるのだが、それが失われたいまにおいては、差異化された極同士の相対的距離によってその重みが変わってしまう。
 対象を見て独創性をどの程度感じるかは、鑑賞者の知識、作品の置かれた環境などによって変化するだろう。例えばある人が「これは独創的だ!」と思ったものが、実はよく知られた作品のオマージュだったら? いまやオリジナリティとは、作品が持つ固有の定数ではない。作品と鑑賞者、その他の関係性のなかでいくつもの変数の値(重み)が動き続ける、非常に複雑な方程式なのである。オーラも変数であり、その方程式のひとつの解だ。

何度でも認識を揺さぶってくる

 「いま、ここ」の一回性は「いままで、ここまで」そして「いまから、ここから」の反復可能性に取って代わられる。アウラのような権威性はもうない、という問題提起には応えられないが、見方を変えれば作品は何度も新しくなる、ということを述べておきたい。
 私はこれまでに画角を変えながら、複数回にわたってガイトンの作品の複製(イメージ=写真)を添付してきた。どうだろう、どんどん印象が変わってこないだろうか? もはや作品と鑑賞者だけではなく、それを取りまく環境や、時々刻々と変化する時間さえも、方程式の各変数を動かしている。
 ガイトンの作品の好ましいところは、このエスパス ルイ・ヴィトン東京の会場をひとつのインスタレーションに仕立て上げ、なおかつ画布内外の境を曖昧にする力があるように感じられるところである。外の世界に対して抽象化を要請しているのだ。日が暮れるという情景までもが作品と連続的になり、変数に作用してオーラの姿が移ろう。観ていてまったく飽きが来ない。

 窓の外はどんどん暗くなってゆく。この段階になって、私は作品のオーラがより輝きを強めたように感じた。これは地上のオーロラだ。夜の帳が降りるにつれて、それはより鮮やかに、より強くオーラを発する。
 技術の「誤用」が招く偶然性。それはメビウスの輪のように「現実」と「非現実」を、表と裏を同じ地平の上において連続化する。なぜならこの世界だって、度重なる間違いやエラー、そして偶然の上に成り立っているのだから……。最初から作品の内と外なんてなかったのだ。
 こうして認識体系の全体的構造、すなわちゲシュタルトが崩れ、截然と分けられていたはずの世界が消滅する。このときわれわれはその世界を読み直す必要性に駆られる。表象(現前を指示する記号)の破壊、カオスの前景化、情報の全面的なテクスト化が立て続けに起こり──私はそんな境目のなくなった視界の片隅に、鮮烈な色彩の流動を見た。

 たった13点のキャンバスが置いてあるだけの部屋に、私たちは屋外が真っ暗になるまで居続けた。夕方の1時間ほどだ。
 展示室の環境をも作品に取りこむことで、オリジナリティの方程式に外界の変数も加わり、何度も認識を揺さぶられてしまった。複製技術の応用だけでなく、自身の作品をよく見せる技も巧みである。いつか方程式に歴史の項が記述されたとき、エネルギーに満ちあふれたウェイド・ガイトンの芸術は、この時代の造形的基準のひとつになるだろう。


参考文献

*1……展示室内の二次元コードからダウンロードできるPDFより引用。
*2……W・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品 野村修訳(以降DKZRと記述)」『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読(以降精読と記述)』(岩波現代文庫、2000年)、p.140より引用
*3……多木浩二「3 複製技術というパラダイム」『精読』、p.41-42より引用。
*4……W・ベンヤミン「DKZR」『精読』、p141より引用。
*5……多木浩二「4 アウラの消える日」『精読』、p47より引用。
*6……同前。
*7……W・ベンヤミン「DKZR」『精読』、p144より引用。
*8……J・ボードリヤール『象徴交換と死』(今井仁司・塚原史訳、ちくま学芸文庫、1992年)、p130を参考。


スタッフさんとおはなし

 私たちがあまりにも熱心に鑑賞していたからか、とあるスタッフさんに何度か声をかけていただき、そのたびにガイトン氏についてのお話をたまわった。
 どうやら彼は飄々とした人物のようだ。作品が13点一組である理由は「なんかよかったから」であり、作品中のネット記事もその選定に大きな意味はなく「流れていく記事をとどめておきたかった」らしい。それが本意なのかは知り得ないが、抽象的な作品に抽象的な理論を並べ立てられるのとはまた違った、独特の空虚さを感じた。
 しかし作品の配置や角度には強いこだわりがあるそうだ。またキャンバスの後ろにあるパイプは、この会場の天井にあるパイプを見て思いついたとのことで、彼の要請によるものだった。そう言われて天井を見ると、確かに格子状に組まれたパイプがあった。

キャンバスの背後にあるパイプ
天井

さいごに

 まずは鑑賞にご同行いただいたいととと氏に感謝申し上げる。彼は共同主観的な視点から(意図的に?)外れるのがうまく、いつも私に新たな視座を提供してくれる。意見交換しながら作品を観るのがとても楽しいので、またの機会にもぜひ……。
 そしてスタッフさんにもお世話になった。彼が来日した際に講演会が行われたとのことだったのだが、ちょっと行ってみたかったなあ……。しかし今回お話いただけなかったのなら、その断片すらつかめなかったから、心の底から感謝している。
 ……ガイトンの作品の複製を見続けて、またゲシュタルトの崩壊を感じたところで筆を置こう。ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。

参考文献(刊行年順)

●『キュビスムの画家たち』、ギィヨーム・アポリネール著、斎藤正二訳、緑地社、1957年
●『象徴交換と死』、ジャン・ボードリヤール著、今井仁司・塚原史訳、ちくま学芸文庫、1992年
●『「複製技術時代の芸術作品」精読』多木浩二著、岩波現代文庫、2000年
●「THIRTEEN PAINTINGS」PDF

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