第1回 ⑥コンポスト、私の場合 ダンボールコンポスト ベランダは生き物たちの小宇宙
いつでも植物に触れられる喜び
区民農園で5年間、その後ベランダで10年あまり野菜や植物を育ててきたが、私のようにズボラな人間には、ベランダというちいさな空間で、植物を育てる方がちょうどいいのではないかなと思っている。
というのもベランダは、一歩出るだけでいつでも植物に触れられる、観察できるということがなんといっても楽しいし、楽ちんだ。畑に行くためによっこらしょ!と野良着に着替えてわざわざ出かける必要がないのもうれしい!
それに植物は、朝、昼、晩と時間ごとの変化はもちろん、季節や天気、温度や湿度によって、さまざまな表情を見せてくれる。また、ライターという職業柄、家で仕事をすることが多く、原稿を書く合間にベランダに出て植物を眺めるだけことが、ちょっとしたリフレッシュになっている。
特に春から夏にかけては、朝、ベランダに出るのが楽しくてたまらない。春の訪れをいち早く教えてくれる山ぶどうは、ピンク色の蕾から、やわらかな若草色の新芽をのぞかせる。
夏のゴーヤーは、早朝からたくさんの花を咲かせ、ベランダに一歩でると、むせるほどの甘い香りにに包まれる。ちいさな黄色い花々には、花粉を求めて朝からせっせとミツバチたちが羽音を響かせながら訪れている。ベランダには自然の小さな変化を発見できる喜びに満ち満ちているのだ。
植物との声なき会話に耳を澄ます
植物を観察していると、その不思議な力を偶然発見することがある。
例えば、ゴーヤーや山ぶどうといった蔓性の植物の蔓は、人間の手足よりもずっと自由自在だ。まるで蔓全体に精密なセンサーが付いているように、蔓を巻き付けられる対象をキャッチし、あっという間(ほんの2~3分)に蔓を巻き付けてしまう。
こちらが蔓を誘引しても、2~3時間後にはまったく違う方向に蔓を巻きなおしていることもある。その上、蔓自身がきれいに巻き付けた蔓でも、翌日になると、新しく違う場所に巻き付いていることもある。おそらく、風や光の具合を見ながら、より良い巻き付き場所を探しているのだろう。軌道修正力も抜群だ。植物の脳は、いったいどこにあるんだろう?
そんなことを考えながら、植物を観察していると、あっという間に時間が経ってしまう。いくら時間があっても足りないのだが、ある夏、夕顔の花が開く瞬間を見たいと、夕方から夕顔の前に椅子を用意して見守っていたことがあった。しかし、待てど暮らせどなかなか咲いてくれない。ベランダも暗くなってきたというのに開かない。夕顔と私の我慢比べといったところだろうか。ずっと待つ間、私はしびれを切らしてとうとうトイレに立ってしまった。1分とはいわない間、ほんのわずかな時間だったが、急ぎベランダに戻ると、ふわりと花びらが大きく開いていた。「なんと。。。。」私の完敗であった。
その後、またトライしてみたものの、今度は、最後まで開かずに蕾のまましおれてしまった。「それほどまでに見られたくないなんて。。。。」そうなると、夕顔に申し訳ない気持ちになり、夕顔が開きそうな日には、夕方ベランダに出るのをひかえることにした。
ちいさなベランダから広がる自然
植物のまわりには、花粉や蜜を求めて蜜蜂やアブ、コガネムシ、蝉など様々な虫たちが訪れる。特にミツバチは、朝5時から羽音を響かせて、ゴーヤーやカボチャの花のまわりにやってくる。両足に大きな花粉団子をつけて、忙しそうに花から花へ飛びかうミツバチたちを観察していると、その働きぶりに愛おしささえ感じてしまう。
しかし、数年前からベランダにやってくる蜜蜂の数がぐっと減ってしまった。マンションの斜め前にあった原っぱがなくなってしまったことが原因ではないかと思っている。ミツバチの数が少なくなったからだろうか。夏になるとやってきていたツバメの姿も見られなくしまった。
ミツバチの生活は、ベランダから空、そして地上へとわたしたちが暮らす世界とも繋がっている。植物を育てることは、見過ごしていた美しさを発見すること、ちいさな自然の声に耳を澄ますことなのかもしれない。
次回は、⑦人と街をゆるやかに繋ぐコンポストとして、私がダンボールコンポストアドバイザーになったきっかけから現在の活動までを綴ります。
第1回 コンポスト、私の場合
- ①ダンボールコンポストをスタート
第1回 コンポスト、私の場合 -②ダンボールコンポストの仕組み
第1回 コンポスト、私の場合 ダンボールコンポスト -③驚くべき堆肥のチカラ
第1回 コンポスト、私の場合 ダンボールコンポスト -④コンポストで生ごみ削減
第1回 コンポスト、私の場合 ダンボールコンポスト -⑤生ごみ削減だけじゃないコンポストの魅力