2020 コロナと人間関係

 年の瀬なので少しばかり自分の一年を振り返ってみたい。こうした閉鎖的な物事はnoteというパブリックな空間には適さないのかもしれないが、人に見られるかもしれないという緊張感が文章力をどうにかしたいとの自分のnoteを始めたきっかけには適うのでここに残したい。

 何はともあれ、2020年はコロナウイルスの一年であったと思う。ウイルスの流行のために自分の計画は大いに狂わされた。だがしかし、それには当然悪い影響を被ったこともあれば、返って得したようなこともある。コロナに助けられたところとしては、やはり諸々の作業のリモート化が挙げられる。これはすこぶる楽になることが多かった。去年からは特に普段の人付き合いに億劫さを感じるようになっていたので、そうしたことに頭を悩ませる場面が減ったのは素直にありがたいと思うべきなのだろう。それに、ある意味こうして対面での付き合いが減ると人間関係も同時に整理されるものだと感じた。おそらくコロナ禍の中で、付き合う人の数というのは半分か、あるいは1/3程度まで減ったと思う。しかし、この苦境下でなかなか会う機会も無いのに付き合いを保ってくれている友人というのは貴重な人たちだと改めて認識した。了見も狭くなってしまわないように、しかし、親密な友人たちと深い話をすることは、適当な集団での世間話よりずっと自分の考え方を柔軟にしてくれるとも感じる。他者を理解するというのは本当に難しい。土台、認識の方法というのもまるで異なるからだ。そういう意味では、誰かひとりでも深く理解することは、十分自分の多角的な視野というやつを養ってくれるだろうと、そんな気がしている。

 反面、人付き合いの機会が狭められるからこそ、人間関係の中で普段許容できていたことも批判的に感じ取ってしまうようになった。目下最大の仮想敵はホモソーシャルだ。つまり、同質性を基に紐帯を固めるあれだ。ネットで見た例だと、男の集まりで同性愛嫌悪、女性蔑視の発言を往復させて、「俺たち」の絆を高めるなど。自分はそういう同質性ばかり持ち上げられる風潮が嫌いなのだが、こういう気運はどこにでもあるもので、そしてそのことが辛いのだ。口を開けばセクシャルな話題、「男らしさ」の同調圧力で親密さを測ろうとする、そういう空気からはひたすら逃げ続けた一年だった。まあ、得てしてこの手の空気というのは、一対一の場面では有効でないらしく、その意味ではある程度のまとまりにならないように気を付けていれば健全な人付き合いをやっていけるようだ。それが分かったのも勉強ということで。

 ともあれ、他のトピックに関してもこういう非常時だからこそ考えられることもあるものだと思う。これほどまでに、本を読んだり、映画を見たりした年は無い。ある意味、知識を蓄えるにはちょうど良い機会だったのかもしれない。一方でもちろん、この時世での苦労は尽きないわけで、特に医療従事者の方や観光、エンタメ業を営む方の苦労を思うと、自分はなんて悠長な生活をしているのだと考えてしまう。何とも後味の悪い年であった。来年にはコロナも収まっているのだろうか?

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