初めてのステルベン: いのちの樹
今日紹介するいのちの樹(CNo40)は、2022年1月17日生まれのかなり若い曲です。そして、今気づきましたが、1995年に阪神・淡路大震災があった日でもありますね。なくなるいのちもあれば、新たに生まれて成長していくいのちもあるという現実を感じつつ作った曲です。
ここ数年、身内の死を立て続けに経験しましたが、悲しみはしたものの、取り乱すことはなく、我ながら比較的落ち着いていたと思います。それには、もうずいぶん前になるひとつの経験が関係しているのかもしれません。
研修医1年目、私は初めてのステルベンを経験しました。ステルベンとはドイツ語sterbenのことで、亡くなることを指しています。昔は医学といえばドイツ語を使うことが多かったため、そのなごりと思いますが、現代では隠語的に使われることが多いかもしれません。私は地方大学出身で、卒後はそのまま大学で研修しました。指導医はつきますが、都会に比べると1年目から主治医として責任を持たされる機会が多かったように思います。
医師になって半年経った頃、白血病再発の女性を受け持ちました。たしか70代で、初発時は寛解して退院したのですが、ほどなくしてまた入院してきた、という方でした。現代に比べると治療法も少なく,白血病再発といえば厳しい経過が予想されました。血液内科の先生方に逐次指導を受けつつ治療したのですが、やはりどんどん具合は悪くなっていきました。特に肝臓のダメージが強く、肝不全という肝臓の末期の状態になりました。
この状態では、肝性脳症といって、意識状態がおかしくなり眠り続けたかと思うと起きて叫んだり暴れたりすることがあります。これにどう対処をしたらいいのか調べたり指示を出したりして、忙しくて眠れない日々を過ごしていました。
ところが、いよいよ状態が悪くなってもう今夜もつかどうかというところまで来たとき、それまで暴れていたのが急に穏やかな人に戻ったのです。私の目をじっと見て、「先生もういいよ」「ありがとう」などと言うのです。私はもう涙と鼻水が止まらなくなり、マスクがびしょ濡れになって何度も替えなければならないという,情けない状態になりました。先輩医師に病室の外に呼び出され、「おまえそれでも主治医か!ちゃんと指示出せ!」と叱られ、しまいにはその先輩が指示を出す始末でした。
そしてその方は亡くなりました。私はなかなか涙が止まらなかったため、病棟の廊下の端まで行って、窓からしばらく外を見ていました。人のいのちを任された重圧から解き放たれた脱力感と、後悔と、情けなさと。後から後から涙が出て止まりませんでした。
しかしそこは大学病院であり、病状の経過もよくわからない部分があったため病理解剖をすることになりました。さっきまで身体の外からしかわからなかった内臓の状態を、解剖して肉眼でみることになりました。その段になると、泣きはらした後だったのに急に探究心が出てきて、臨床経過で疑問に思っていたことが分かるか、目を凝らして解剖の様子を見ていました。
長い一日が終わり、家に帰ると夜中でしたが、部屋の電気もつけずにベットに倒れ込んだのを覚えています。私はこのとき涙を出し切ったのかもしれません。
その後も何度か受け持ち患者さんのステルベンを経験しましたが、この初めての経験のときほど強い印象に残ったことはありませんでした。いのちの大切さということを、いつまでも忘れずにいたいと思っています。
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