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【疎外】もう仕事に振り回されない

「サザエさん症候群」「ブルーマンデー」という言葉を聞いたことがありますか?これはどちらも月曜日の始まりに対する憂鬱感を表す言葉です。

「サザエさん症候群」は、日曜日の夕方に感じる翌日の仕事に対する憂鬱を指し、「ブルーマンデー」は、週末が終わり、労働日である月曜日に移っていく際に感じる気分の落ち込みを指します。

私たちは、なぜそのような憂鬱感や落ち込みを感じるのでしょうか?

20世紀の経済学を根本から変革したイギリスの経済学者であり、その思想が現代の経済政策の基盤を築いたとされているジョン・メイナード・ケインズは、1930年に書いた短いエッセイ「孫の世代の経済的可能性」で、次のように述べています。

技術革新と経済成長が進むことで、100年後、つまり2030年には生産性が4倍から8倍に高まり、人々の労働時間が大幅に短縮されると考えました。具体的には、一日に3時間、週に15時間程度の労働で生活が成り立つようになるだろうと、ケインズは予測したのです。

引用元
http://www.econ.yale.edu/smith/econ116a/keynes1.pdf

その結果ケインズは、労働時間が短縮されることで、21世紀の人々が直面する最大の課題は「余暇の過ごし方」になるだろうと述べています。彼は、物質的な豊かさがもたらされる中で、人々がどうやって時間を有意義に使い、幸福を追求するかが焦点になると考えました。

しかし、実際には、労働時間の短縮が思ったほど進んでおらず、現代社会では依然として多くの人々が長時間働いているどころか、むしろどちらかといえば「もっと余暇を増やせ!」という声の方が多いように感じられます。

ということは、ケインズの予測がまったく的を射ていなかったのでしょうか?

ケインズがこの世に生を受けた年と、ちょうど同じ年に、ある偉大な思想家がその生涯を閉じました。カール・マルクスです。マルクスは、資本主義経済における労働者の状況を「疎外」という概念で説明しました。

疎外

私は、「なぜ日曜の夜になると翌日に対する憂鬱感や気持ちの落ち込みを感じるのか」「ケインズの予測は的を射ていなかったのか?」という疑問について、この「疎外」という概念で説明することができると考えています。

一般的な意味での「疎外」は、人が何らかの理由で周囲から孤立したり、社会や集団との関係が薄れたりする状態を指しますね。例えば、職場で孤立したり、家庭や友人から疎遠になったりする状況で使われることが多いですわけですが、ここで言うマルクスの「疎外」の意味は、そうではありません。

だからといって、特に難解な概念だと構えることはありません。むしろ世の中のあっちこっちで起こっていることなので、知っておくと様々な状況を正確に理解する助けになります。

マルクスが「疎外」と呼んだ概念は、資本主義経済における労働者の状況を説明するためのもので、この概念の核心部分を抽出して言語化すれば、「人間が作り出したシステムによって人間が振り回される」というものです。

マルクスは、資本主義社会における労働者が経験するこの「疎外」を、次の四つの側面から分析しています。

1.労働生産物

一つ目は、労働生産物からの疎外です。資本主義社会では、労働者が生み出した商品はすべて資本家のものとなります。

例えば、企業で働く営業担当者が懸命に働き、契約を獲得し、企業に利益をもたらしたとしても、その利益は企業のものであり、営業担当者自身には固定給やわずかなインセンティブしか与えられません。

契約から得られた利益は企業の資産として計上され、最終的には株主や経営陣の利益に貢献します。彼がどんなに大きな成果を上げても、その成果は彼自身のものとはならず、企業全体の利益に組み込まれてしまいます。これが労働生産物からの疎外です。

2.労働

二つ目は、労働そのものからの疎外です。

一から家具を手作りする技術と情熱を持った職人が、ある日突然、工場での自分の仕事が「椅子の脚だけを作るだけの作業」に限定されたとしましょう。日々同じ作業を繰り返すうちに、彼の技術や情熱は単調な作業に埋もれ、自分の仕事に誇りや喜びを感じることが難しくなります。

職人は、自分が作り上げる椅子の全体像を見ることもなく、その椅子がどこで、誰によって使われるのかも知ることはありません。ただ機械的に椅子の脚を作り続けるだけの存在となってしまうのです。これが、労働そのものからの疎外です。

3.類的

三つ目は、類的疎外です。マルクスは、人間は本来、社会的なつながりや共同体に属しているべき存在=類的存在であると説きますが、資本主義の下ではその性質が歪められています。

企業内では、本来、チームプレーが重視されるべきですが、部門主義が進行することで、タテ割りの弊害が生じ、部門ごとに独自の目標を追求し、他部門との連携が希薄になります。この結果、社員は全体の中で自分の位置づけを見失い、まるで歯車の一部であるかのように感じます。これは、人間が社会的存在としての意義を失うことを意味する。これが類的疎外です。

4.他者

最後に、他者からの疎外があります。

資本主義社会では、労働者同士が互いに競争関係に置かれるため、人間関係が希薄になり、疎外感が生まれます。労働者は他の労働者を競争相手や敵とみなしがちであり、職場内での共同体的なつながりが弱くなります。この状況は、職場での孤立感や意味の喪失を引き起こし、結果としてチームの連携や生産性が低下する原因となります。これが、他者からの疎外です。

マルクスはこのように、「疎外」によって労働者は自己の本質や人間性を失い、労働が生きがいや創造性を感じる活動ではなく、苦痛で無意味なものへと変質してしまったと述べました。

「マルクス主義」は本当に「時代遅れの無用の長物」と化したのか

マルクスが執筆活動を開始したのは、今から約200年前の1830年でした。

ちょうどこの年、イギリスで初めて人を乗せて運ぶ蒸気機関車が開通、リバプールからマンチェスターまでの路線が運行を開始しました。この最初の列車「ロケット号」からたったの20年後、鉄道網はに急速に拡大し、イギリス全土を結ぶ大規模な鉄道ネットワークが完成しました。

産業革命は、技術革新による爆発的な経済成長と共に明るい未来を約束しましたが、実際には労働者にとって過酷な現実ももたらしました。

蒸気機関車の轟音と共に、工場の機械は止むことなく動き続け、人々の生活や労働は劇的に変わりました。これまで手作業で行っていた仕事が機械に置き換わり、労働者たちは工場へと追いやられました。彼らは長時間労働に従事し、低賃金で過酷な環境に耐える日々を送ることを余儀なくされました。資本家たちは新たに生み出された生産力の恩恵を享受する一方で、労働者たちはその生産物から疎外され、自らの労働の意味を見失っていきました。

マルクスは、このような労働者の窮状を目の当たりにし、資本主義のもたらす不平等と搾取の構造に深く憤りを感じました。

彼は、「人間が自らの労働から疎外されることこそが、資本主義の本質的な問題である」と考え、その解決策を探求するために執筆を始めました。

マルクスは、人間が労働を通じて自己実現を果たすべきだと信じており、そのためには資本主義の枠組みを超えた新しい社会システムが必要だと考えたのです。

マルクスの理論は、産業革命による社会変革のただ中で生まれ、資本主義のもたらす課題に対する批判として広がりました。彼の思想は、後に多くの社会運動や革命の原動力となり、20世紀においては、社会主義国家の成立に大きな影響を与えました。しかし、21世紀に入り、冷戦が終結し、社会主義国が次々と資本主義経済に転換する中で、マルクス主義は果たして「時代遅れの無用の長物」となってしまったのでしょうか?

この問いに答えるためには、現代社会におけるマルクス主義の役割を再評価する必要があります。確かに、冷戦終結後、多くの人々は資本主義の勝利を確信し、マルクス主義は歴史の教訓として片隅に追いやられたように見えます。しかし、グローバル化が進展し、格差が拡大する中で、マルクスの提起した問題は依然として解決されていないどころか、ますます顕在化しているのです。

DX化による業務プロセスの自動化と主客転倒

さて、マルクスはもともと資本主義社会の下で展開される労働と資本の分離、あるいは分業による労働のシステム化がもたらす弊害として疎外を整理しています。彼は、疎外を狭義の意味で労働者が自らの労働から引き離される現象として捉えていましたが、その概念を広げて考えると、私たちが自ら生み出したシステムによって逆に振り回され、支配される状況が広く存在していることに気づきます。

DX(デジタルトランスフォーメーション)が進展する現代において、業務プロセスの自動化が急速に進んでいます。自動化によって、これまで人間が手作業で行っていた業務がシステムに置き換わり、企業は効率化を追求する一方で、新たな形の疎外が生まれつつあります。

ちなみに私、副業でDXの講師をしておりますが、自分のメシのタネについても、遠慮なくネタにしますし必要なら躊躇なくディスります。というのも
、物事には必ずメリット・デメリットが存在しますから。私が目指すのは「この社会に蔓延する劣化するオッサンたちの新陳代謝」であり、そのためにDXの良い面を駆動させたいと思って、この仕事をしています。

あ、話が逸れました。あらためてDXによる自動化は本来、人間の業務を効率的にし、企業の生産性を向上させるための手段であるはずです。しかし、DX化が進むにつれ、「業務プロセスの自動化そのものが目的化」し、従業員が自らの仕事に対するコントロール感を失うという現象が起こっています。本らい人間の判断が介在しない業務フローが増えることで、従業員はシステムに従属し、創造性や問題解決能力を発揮する場を失いがちです。

このような状況では、労働者が自らの業務に対する意義を見出すことが難しくなり、結果としてモチベーションの低下や職務満足度の減少につながるリスクがあります。これは、「マルクスが指摘した疎外の現代的な表れ」であり、特にビジネスパーソンにとって重要な課題となっています。

自動化自体は業務を効率化し、人間の仕事をサポートするためのツールであるべきですが、そのツールに振り回されるようになると、本来の目的を見失いかねません。まさに「人間が作り出したシステムによって人間が振り回される」という疎外に振り回されてしまった結果、「主体」であるべきはずの人間が、自分の仕事にやりがいを感じられず、その代わりに自動化ツールのサポートをしている。

本当にごめんなさい。もう「おバカ!」としか言いようがありません。

さらにです。自動化によって業務が効率化される一方で、従業員間のコミュニケーションが希薄化します。従来は、業務の進行中に自然発生するコミュニケーションが、業務プロセスの円滑化やイノベーションの促進に寄与していましたが、自動化されたプロセスではこのような機会が減少し、組織内の協力や連携が損なわれる可能性があります。

このようなDX化による業務プロセスの自動化がもたらす影響を軽減するためには、単に効率性を追求するだけでなく、従業員が自らの業務に意義を感じ、価値を見出せる環境を整えることが必要です。企業は、自動化されたシステムの上に理念や価値観を築き、それに基づいて従業員が主体的に業務に取り組めるような仕組みを設けるべきです。

自動化という便利なツールが、かえって人間の能力を奪い、疎外感を生み出すリスクがあることを理解し、バランスの取れたアプローチを採ることで、より持続可能で創造的な組織を目指すことができるのではないでしょうか。

サザエさんを見て憂鬱になるビジネスパーソンを想って憂鬱になったケインズ

私と同じビジネスパーソンの方であれば、職場のクソ上司をちょっと思い出してみて(「あぁ?嫌だよふざけんな!」という方にはご無理は申し上げません)ください。

クソ上司は往々にして、というよりほぼ毎日、何かにつけて皆さんに何かしらの指示をしてくるわけですが、その指示について皆さんが一生懸命になって取り組んでいるときに、更なる指示をしてくることはないでしょうか?

あるいは、上司とクライアントとのミーティングを思い出していただけると良いと思うのですが、クライアント側、実際には上司から皆さんに対する何かしらの「改善策」を要求され、その改善点が改善される前にまた次のミーティング日が訪れ「次の改善策」が要求される、以降これが延々とループする。このような状況におられる方は、きっと少なくないでしょう。

このような状況が続くと、何が起こるでしょうか? 仕事のペースは速まる一方、振り返る暇もなく、心の中には次第に疲労感が蓄積していくはずです。特に、日曜の夕方にふと「また明日からあのループが始まるのか」と思い浮かべると、胸の内に重たいものがのしかかるような気持ちになるのではないでしょうか。これが「サザエさん症候群」、そして月曜の朝にその重みが増し、「ブルーマンデー」という形で私たちを苦しめるわけです。

しかし、ここで一つ考えてみましょう。この憂鬱感やストレスの根本的な原因はどこにあるのか? それは、我々が日々の労働において、自分の意思や創造性を発揮する余地が限られているという「疎外」の状況にあるのではないでしょうか。

先述したケインズは、今から100年前に未来を見据えて予測を立てたわけですが、現実はケインズの予測とは大きく異なり、むしろ多くの人々が過度な労働に追われ、疎外されているように見えます。

おそらくケインズが見逃したのは、「労働の質が変わらなければ、ただ労働時間を短縮するだけでは幸福には繋がらないという事実」です。私たちは、クソ上司の指示に振り回され、自己の意思や創造性が抑圧されることで、仕事に対するコントロール感を失い、疎外感に苛まれているのです。

つまり、「サザエさん症候群」や「ブルーマンデー」のような現象は、単なる月曜日への憂鬱ではなく、深いところで労働の疎外からくるものなのです。ケインズが予測した未来が訪れていないように見えるかもしれませんが、それは労働そのものの質を見直さない限り、真の意味での余暇や幸福は訪れないということを、私たちに教えているのかもしれません。

だからこそ、私たちはただ労働時間を短くするだけではなく、労働の質や意義を高める努力が必要です。自分の仕事に対するコントロール感を取り戻し、「疎外されない職場環境」を作り出すことが、真に充実した生活を送るための鍵なのです。

おまけ

2024年8月8という「末広がりの日」に、私がお手伝いしている大手自動車メーカーのカーナビ部門の組織改革の最終(第1フェーズにおいての)報告会で、躊躇なく以下のご指摘をさせていただき、その場を地獄の雰囲気にしたのは以下のスライドです。(全部はお見せできませんので一部ちらっと)

いやあしかし、痛いところを突きすぎましたね。これでは私嫌われて、第2フェーズの依頼は来ないかもしれないなあ。(真逆です。会の後「よくぞ言ってくれました!」と、直ぐに第2フェーズのご依頼を受注しましたとさ)




僕の武器になった哲学/コミュリーマン

ステップ2.問題作成:なぜおかしいのか、なにがおかしいのか、この理不尽を「問題化」する。

キーコンセプト31「疎外」

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コミュリーマン
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