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『仕事の未来レポート2025』からの洞察を『リヴァイアサン』で考察する

テクノロジー、経済、人口動態、そしてグリーン転換における世界のトレンドの変化により、2030年までに9,200万の雇用が失われると、世界経済フォーラムによる予測が報告されました。

最も成長が速い職種には、テクノロジー、データ、AI関連の職種といったデジタル系ホワイトカラー職が挙げられますが、配送ドライバー、介護職、教育者、農業労働者など、経済の中核を担うブルーカラー系の職種でも成長が見込まれるといいます。

失われる雇用がある一方で、創出される雇用は、なんと1億7,000とのことです。「バングラデシュの人口を全てカバーできる数の雇用が生み出されるなんて本当かよ?」と思ってしまうところではありますが、予測というのは「ハズれます」ので、あくまでも参考値として捉えておきましょう。

さて、1月20日から始まった世界経済フォーラム、通称「ダボス会議」ですが、同日に就任したトランプ米大統領が、1月23日にオンライン参戦することで注目を浴びていますね。

同会議の常連CEOらの中には、既にトランプ氏になびく、あるいは媚びへつらう動きも活性化させており、ブルームバーグによると、メタ・プラットフォームズのマーク・ザッカーバーグCEOが、トランプ氏の主要な支援者である総合格闘技団体「UFC」のダナ・ホワイトCEOをメタの取締役に任命さてたほか、共和党の大口献金者ミリアム・アデルソン氏と共にトランプ氏の就任パーティーを開くといいます。

「君に席を用意するから、将来の僕たちを忘れないでね?」という、暗黙のバーターが背後に見え隠れ(丸見え?)していますね。「この ”贈り物” は決して無償のものではなく、未来の政治的恩恵への高額な ”前払い” だからね?」「企業倫理?それは競争に負けた人たちの贅沢品だよ」と言わんばかりの傲岸不遜な態度です。

そんな今年のダボス会議は、「インテリジェント時代に向けたコラボレーション」をテーマに開催され、プログラムは、以下の通り五つのトピックを「サブテーマ」とし、それらが相互に関連しながら展開されます。

・信頼の再構築
・成長の再構築
・人材投資
・地球環境保全
・インテリジェント時代における産業

字面だけを見ると、「信頼されてたことあるんですか?」とツッコんでしまいたくなるところですが、ここで注目したいのが「人材投資」です。

冒頭の報告書に戻れば、2030年までに最も需要が高まるスキルには、認知スキルやコラボレーションなどの「ヒューマン・スキル」と、テクノロジーに対応可能な「テクノロジー・スキル」が挙げられているのですが、その理由は、グローバルなマクロトレンドに対応する上で依然として最も大きな障害となっているのが「スキルギャップ」だからだといいます。

企業1,000社以上からのデータを基にすると、業務に必要なスキルの約40%が変化すると見込まれており、すでに63%の雇用主が、直面する主な障壁としてスキルギャップを挙げています。

これは仮に、グローバルな労働力を100人のグループで表すと、2030年までに59人が「リスキリング」または「アップスキリング」が必要となり、そのうちの11人が離職を余儀なくされるという予測数値です。

要するに、中期的には1億2,000万人以上の労働者、実に「日本国民に相当する人数」が解雇の危機にさらされていることを意味しているのだとか。

なんとも「終末」を想起させるような報告にも思えるわけですが、こういった予測は鵜呑みにするのではなく、「予測から得られる洞察」こそが肝要です。それこそが企業や個人が競争優位を確保し、将来的な経済的安定を手にするための「戦略」を構築するための指針となります。

企業は「スキルギャップ」を課題ではなく、成長のチャンスとして捉え、従業員の能力向上に投資することで競争力を維持できまし、個人にとっても同様にこの変化を受け入れ、必要なスキルを身につけることで、より良い職業機会や利益を手に入れるチャンスになり得ます。

しかし、ここで注意を促しておきたいのは、こうした未来を「ただ待つ」だけでは、チャンスを手に入れることはできない、という点です。

なぜなら、同報告書が示す「求められるヒューマン・スキル」には、

  • 創造的思考力(想像ではなく「創造」。もう難しそうですね)

  • レジリエンス

  • 柔軟性

といった、能動的かつ主体的な姿勢がなければ体得できないスキルが、少なくない数で含まれているからです。

言わずもがな、これらのスキルは、座学や講習だけで身につくものではありません。不確実な環境に適応し、新しい状況を切り拓くためには、試行錯誤を重ねるプロセス、つまり「行動」そのものが必要不可欠です。

たとえば、「創造的思考力」を鍛えるには、固定観念を捨て、新しいアイデアを積極的に試してみる姿勢が求められます。また、レジリエンスを高めるには、失敗や挫折から立ち上がり、そこから学びを得て成長する力が必要です。そして、これら二つのスキルを高めるためにも、柔軟性というスキルは必須なのです。

したがって、ただ「待つ」ことがリスクそのものであるという現実を認知しておくことも——これがそもそも「認知スキル」ですね、覚えていますか?

冒頭の報告書に戻れば、2030年までに最も需要が高まるスキルには、認知スキルやコラボレーションなどの「ヒューマン・スキル」と、テクノロジーに対応可能な「テクノロジー・スキル」が挙げられているのですが、その理由は、グローバルなマクロトレンドに対応する上で依然として最も大きな障害となっているのが「スキルギャップ」だからだといいます。

——必要です。スキルギャップが拡大する中で、現状に甘んじてしまうと、次第に労働市場から取り残される可能性が高まってしまうわけなのです。

さて、こうしたヒューマンスキル「創造的思考力」「レジリエンス」「柔軟性」そして「認知スキル」を体得するのは一朝一夕ではありませんが、しかし土台無理な話というわけでもありません。

ポイントとなるのは「優れた想像力」と「優れた判断力」を磨き、高めることだと思います。


優れた想像力、優れた判断力

イギリスの哲学者トマス・ホッブズは、近代政治哲学の礎を築いた普及の名作『リヴァイアサン』の中で、人間が持つべき知的な徳[1]として、「優れた想像力」と「優れた判断力」を挙げています。

それぞれの特徴は次の通りです。

  • 優れた想像力:他人がめったに気づかない類似性を観察する能力。この能力を持つ人は「優れた知性」を備えているとされます(例:社会の異なる構造を統一的に見る視点)。

  • 優れた判断力:物事の相違点を観察し、それを適切に区別し、判断する能力。この能力を持つ人は「優れた判断力」を備えているとされます(例:類似する課題の中で重要な違いを見抜く力)。

ホッブズは、この二つの能力がバランスを保つことの重要性を強調します。彼は特に、「過剰な想像力が狂気を生む」と警鐘を鳴らしつつ、「判断力による制御が想像力を正しい方向に導く」と説いています。

ちなみにホッブズは、人間を「自己利益を追求する存在」として捉え、この利己性を前提に社会秩序の必要性を論じました。このため、「人間を過度に単純化している」「利己的すぎる」と批判されることもあります。

しかし、この現代にも通じる洞察力の結晶である「単純化」こそが、複雑な人間社会を説明するための理論モデルを可能にし、後の社会科学に多大な影響を与えたこともまた事実です。

ではあらためて、「創造的思考力」「レジリエンス」「柔軟性」「認知スキル」を体得するという観点で、ホッブズの『リヴァイアサン』からの洞察を見つけていきましょう。

優れた想像力は「創造的思考力」の土台

はじめに、ホッブズの述べる「優れた想像力」は、先述の通り「他人がめったに気づかない類似性を観察する能力」ですから、新しいアイデアや視点を発見する能力として解釈できます。この能力こそが、あらゆる分野で必要とされる「一丁目一番地のスキル」と言えるでしょう。さらに、この想像力は教育や医療などブルーカラーの分野においても、創造的なアプローチを模索する上で極めて重要です。

優れた判断力は「認知スキル」の向上に寄与

「優れた判断力」は、物事の相違点を見抜き、適切に区別し、正しい結論を導き出す力です。この能力は、複雑な状況において正しい判断を下すための認知スキルに対応します。変化の激しい現代社会では、テクノロジーの選択肢や職業スキルの中から最適解を見つける能力が不可欠です。

柔軟性の育成

既に述べた通り、ホッブズは「想像力と判断力のバランス」を重視するわけですが、これが柔軟性を育む基盤になります。彼は特に「過剰な想像力が狂気につながる」という可能性を述べ、想像力と判断力とのバランスを重視します。この視点を現代に適用すると、柔軟性とは単に環境に適応する力ではなく、「想像力を活用して状況に応じた判断基準を調整し、最適な行動を選択する能力」であると解釈すべきだと思います。

レジリエンスの裏付け

ホッブズは「情熱=Passions」が知性の違いを生むと強調して述べています。この「情熱」が、人間の思考や行動の根底にある原動力であり、ネガティブな感情や失敗を乗り越え、自分の目標に向かって進む力そのものです。

特に注目すべきは、情熱が「逆境を乗り越える力=レジリエンス」を支える本質的な要素であるという点です。私たちが直面する急速な社会変化や、労働市場の予期せぬ困難は、スキルや知識だけでは乗り越えられません。

たとえば、新しいテクノロジーへの適応、キャリアチェンジの決断、さらにはプロジェクトの失敗からの立ち直りといった現実の課題において、情熱がモチベーションの核となり、行動を突き動かす決定的な役割を果たします。

さらに言えば、情熱がなければ、レジリエンスはただの忍耐力に過ぎません。ホッブズが指摘したように、情熱は人間の心を駆動し、前進させるエネルギーです。それゆえ、このエネルギーをどのように維持し、活用するかが、私たちが成功を収めるための「鍵」であると言えるでしょう。

このように、原動力となる「情熱」こそが、「創造的思考力」「レジリエンス」「柔軟性」「認知スキル」、そして最終的には個人の成長を支える基盤であり、欠かせないキーサクセスファクターであると、私は考えています。


知的な徳の積み方

「優れた想像力と、優れた判断力を磨き、高めるために、もう少し具体的なトレーニング手法が知りたい!」という方に向けて、ホッブズがアドバイスを贈るとするならば、きっと「詩を学べ」と言うことでしょう。

ホッブズの言う「想像力」とは、妄想や空想などではなく、現実に潜む類似性と、そこから新たな意味を見出す力のことを指します。この点において、詩は、現実を直接的に描写するものではありません。多くの場合、メタファー=比喩や隠喩を用いて物事を描き出します。そのため、詩を学ぶことは想像力を鍛える絶好の訓練になります。

さらに彼によれば、良い詩とは、その奇抜さや意外性によって人々を楽しませるものであり、同時に「不適切な判断が排除されているもの」でなければなりません。このような詩を作るには、作者自身が深い洞察を持ち、適切な判断力を発揮する必要があります。

イメージし辛い?では、ここで一つ、練習をしてみましょう。

夏の日にたとえようか?君を。
君はもっと美しく、もっと穏やかだ。

シェイクスピアのソネット第18番冒頭より

どのような想像をし、そしてどのような回答をご判断なさいましたか?

私的には、「相手がヒステリーを起こしているな、あまりに五月蠅いので、ちょっと黙ってほしい」という想像をして、「ちょっと、黙って?」と伝えたい場合に判断して用いるメタファーです(え?酷い?)。

気を取り直して、このソネットの冒頭文は、「夏の日」という具体的で親しみやすい比喩を用いながら、相手の美しさや穏やかさを際立たせる表現です。美しく暖かい詩が始まるのだな、という朗らかな印象を受けませんか?

もう一つ重要な点があります。それは「なぜ、詩なのか?」という、ホッブズが詩を学ぶことを重視した意義を考えるには、ホッブズの時代背景を理解することが欠かせません。

彼が活躍した17世紀は「科学革命」と「宗教改革」が進行し、人々が自然界や人間の営みに対する理解を刷新しようとしていた時代です。社会の安定を求める一方で、急速な変化が生む混乱も顕著でした。

このような背景において、当時は詩が世界の複雑性を捉え直し、人間の感情や思考を深めるための一つの手段だったのです。ですからつまり、人間の感情や思考という「測りたい問題」があって、「図るための指標」として詩を用いた、というわけなのです。

もちろん、詩ばかりを重視したわけではありませんが、しかしこれは当時の学問体系を超えた驚嘆すべき着眼点であるのは間違いないと思います。心理学や認知科学といった学問が存在しなかった当時において、詩を媒介に想像力と判断力の両面を鍛えるという発想は、彼の「創造的思考力」の賜物であると思えてなりません。

そして現代においても、人間の感情や思考という『理解し、解明しようとするべき問題』は、不変かつ普遍のテーマであることに疑いの余地はありません。いいえ、それどころか、マーケティングを筆頭に、このテーマに対する需要はかつてないほど増しています。

結局のところ、ホッブズの時代から現代に至るまで、本質的な問題は大きく変わっていないんですね。自己理解と他者理解を深め、社会の中で共存するための「知的な徳」を磨くことが、いつの時代でも求められているのです。

急激に変化する現代のテクノロジー主導の社会、AIやデジタル技術が普及する中、人間が競争力を保つためには、知識の蓄積ではなく、創造的かつ柔軟性のある思考こそが必要なのです。

さらに現代においては、詩の学びを拡張し、「アート」や「リベラルアーツ」全般を包括する形で理解することが求められるでしょう。アートは感性を刺激し、既成概念を打破する力を育て、リベラルアーツは幅広い分野での知識を通じて、物事を多面的に捉える能力を養います。これらはどちらも、「創造的思考力」を育てるために不可欠な要素です。

これらを踏まえると、不確実な時代を生き抜くための「知的装備」としての意味を持つと言えるでしょう。

そしてそのための手段として、詩やアート、リベラルアーツは変わらぬ重要性を持ち続けているのです。

これを行動に移すことこそが、未来に向けた最初の一歩と言えます。

ということで今回は、「推したい会社」で働くための、

ホッブズからの学びというリベラルアーツ

の共有でした。



[1]
「知的な徳」という表現は、原文の「intellectual virtues」の直接的な翻訳として最も妥当であると、あくまで私自身が判断した表現です。

理由としては、

1.ホッブズの議論は人々の知性や推論能力の比較や評価に基づいている

2.「徳 (virtue)」は、古代ギリシャ哲学における「卓越性」や「能力」の意味合いを反映しており、道徳的な優位性だけではなく、知的な能力や機能に関する卓越性を指している

これらを鑑みて、「知的な能力」や「知的な才能」と訳さず「知的な徳」としています。

『リヴァイアサン」第八章をご参照いただければと思います。

(※『リヴァイアサン』って第十三章以降ばかり取り上げられている印象ですが、私はホッブズの「いやいや、人間ってそもそもこういう存在だよね?だからこう定義すべきじゃないかな?」という視点からの学びこそが非常に示唆深いと考えています)

無料アーカイブが読めるので関心のある方向けに本記事の最下部にリンクを置いておきますね。


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コミュリーマン
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