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ホラー映画

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『キャンディマン』 都市伝説、フォークロア、オカルト、ヒトコワ、貧困、差別、犯罪、悪夢、呪いの結晶としてのモダンホラー

『キャンディマン』(1992年/バーナード・ローズ) 【あらすじ】 都市伝説に執着される オリジナリティで満ち溢れたモダンホラーの傑作。 中学生の頃に観た際は、別に怖くもないし、超地味な映画だなぁという印象だった。ジェイソンやフレディのようなポップさとかキャッチーさがキャンディマン自体に全然なくて、片手がフックなだけの黒人のオッサンが根暗トーンでブツブツ喋っているだけ。肝心の殺人シーンもフレッシュな描写とは言えない。窓から後ろ向きで飛び出るキャンディマンには、アメコミヒ

『ワンダリング・メモリア』 この映画は二人で撮られていない

『ワンダリング・メモリア』(2024年/金内健樹) 【あらすじ】 昔住んでいた団地にふたりで行く。 一先ず、この愛おしいホラー映画がたった二人で撮られたという事実について語らなくてはならない。エンドクレジットを埋め尽くす金内健樹と倉里晴の名前は、そういったアティテュードの表明に他ならない。二人だけの人物で物語られる物語を、二人だけで撮る。二人で表象した世界に、他の何者も介入させない。事ここにおいて、二人という数字には過剰なロマンティークもなければ、閉塞的なおそれもない。単

世界に向けられた呪詛としての『私、オルガ・ヘプナロヴァー』

『私、オルガ・ヘプナロヴァー』(2016年/トマーシュ・バインレプ、ペトル・カズダ) 【あらすじ】 オルガちゃんが絶望して大量殺戮をする。 大傑作。めちゃくちゃ好きな映画だ。 この映画は自分にとって、「ホラー映画」もとい「心霊映画」である。 自分がこの映画の存在を認知したのは2017年だった。 それは、親愛なるジョン・ウォーターズによる毎年恒例のベストテンにおいて、彼が『I, Olga Hepnarová』という謎のチェコ映画を2位に選出していたからだ(ちなみに1位は『

『Cloud』 映画の中だけに存在する「映画内世界」というリアルで、ひたすらに「面白いこと」だけをやってみた映画が面白くないはずがない

『Cloud』(2024年/黒沢清) 【あらすじ】 転売ヤーなのでめっちゃ恨まれていた テーマとかメッセージとかドラマとかを語ることのすべてを葬り去って、「面白いこと」だけを羅列して「面白いこと」で数珠繋ぎしただけの果てしなく「面白い」映画。ゆえに、黒沢清のフィルモグラフィ、特に『クリーピー』以降だと間違いなくダントツで「面白い」。言葉通りの意味で「ずっとめっちゃ面白くて楽しい楽しい映画」。 黒沢清の映画でこんなにも笑える日が来るとは。いや、いつだって黒沢清の映画には笑

『Chime』 ディスコミュニケーションの作劇が、映画と観客のディスコミュニケーションにまで侵食する、ただ一本の新しい恐怖映画

『Chime』(2024年/黒沢清) 【あらすじ】 誰も気がついていないが、わたしもあなたも全員狂っている 自分がホラー映画を撮るタイミングで絶対に観ない方がいいと思って暫くスルーしつつ、座組のほとんどが本作の話ばかりするので、折れてやっと観て、あまりにも創作意欲の糧となり励みとなった。 怖いよりも前提に、「まだこんな表現があるのか」「こんなことでいいんだ」「ホラーはやっぱり最高に面白いな」と勇気をもらえた。 好きなものを撮っていいよと言われてコレを撮ってしまう、黒沢清

『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』 アニャさんを正統に評価しないクラブなんか潰れてしまえばいい

『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』(2021年/エドガー・ライト) 【あらすじ】 ロンドンに来たらアニャさんの悪夢を追体験する 上京残酷物語スゥインギングロンドン編。大好きエドガー・ライトが満を辞してホラーを撮ったというだけでも充分嬉しくて、ヒッチコック『フレンジー』やローグ『赤い影』、ポランスキー『反撥』にパウエル『血を吸うカメラ』、果ては黒沢清『回路』的幽霊描写まで、好き勝手に傑作を取り入れながら楽しそうに映画を撮っていることが伝わる。ちゃんと"作家"の映画なのも、彼

『マザーズデー』 少女が少女のために「母」を殺す通過儀礼の美しさを、ゴミ映画として忘却してはならない

『マザーズデー』(1980年/チャールズ・カウフマン) 【あらすじ】 女友達サイコー!って楽しんでたらキチガイ親子に拉致される 観たことなかったんだけど、信じられないくらいに素晴らしい傑作だった……。 この映画、ラストばかりが有名で、自分もそのラストだけを認知していた。所謂『キャリー』や『13日の金曜日』ラストをパクったクリシェで、これはこれで唐突に終わりすぎて笑える(草むらから出てくるバケモノのポーズがアホすぎるし、4回もズームしてめちゃ面白い)。 が、それだけで消

『ファニーゲーム』 暴力の映画、映画の暴力

『ファニーゲーム』(1997年/ミヒャエル・ハネケ) 【あらすじ】 おにいちゃんたちが卵を貰いにきて大変なことになる。 わたしらがハリウッドのブロックバスター映画をニコニコ観ている気持ちを全て逆撫でしてくるハネケ先生流の暴力論。 「いや、本当の暴力ってそんなポップコーン食べながら消費できるもんじゃないんで」とでも言うのだろうか。メタ構造のずるさというか、観客と共犯関係を結ぼうと映画側が歩み寄ってくるその試みが、アカデミック嫌がらせの域。ハリウッド映画が描かない、いや描けな

『口裂け女2』 悲劇に絶望し尽くした者だけが辿り着く「恐怖の彼岸」という解放

『口裂け女2』(2008年/寺内康太郎) 【あらすじ】 妹のわたしばかりが不幸になっていく 『キャンディマン』を観ていて想起した傑作。 どちらも都市伝説をテーマにしている以前に、悲劇に対して絶望し尽くした人間が辿り着く、恐怖のイコンと化す被害者が描かれている。 『口裂け女2』は"2"表記ではあるものの、続編ではなくむしろオリジンだ。 実際に口裂け女の発祥地とされている岐阜県を舞台に、平凡なひとりの少女が、なぜ日本中で恐れられる口裂け女になってしまったのか、その爆誕までの

『ハッピー・デス・デイ 2U』 わたしたちの日常こそが「ホラー映画」であることを表象する、誠実で美しい恐怖讃歌

『ハッピー・デス・デイ 2U』(2019年/クリストファー・ランドン) 【あらすじ】 ビッチちゃんが別次元で、再び誕生日に何度も殺される。 2の方が好き。これが作りたくて1を撮ったんじゃないか?!ってくらい脚本もアイデアも前作の使い方もよく出来ていて、つまりは『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』的発想で傑作になり得た続編。 もはや、1と2、セットで好きではあるけれど。 どう考えても1と2同時撮影したよね、というほどに俳優も美術も衣装も芝居もそのままで、1と2の撮

『ハッピー・デス・デイ』 ファイナル・ガールならぬ性悪ファースト・ガールが、自らの死を通してファイナル・ガールへと成長するという大発明

『ハッピー・デス・デイ』(2017年/クリストファー・ランドン) 【あらすじ】 ビッチちゃんが誕生日に何度も殺される ティーンスラッシャー以上でも以下でもない、と書くと批判のようだけれど、ティーン向けにこのような映画が存在していることはあまりにも大切だと思う。 ホラーとコメディは表裏一体な関係性にあり、コメディ要素を推し進めて脚本化したことによって、最終的にホラー映画の教育的側面が色濃く出てくるのは大変興味深い現象。 ビッチちゃんにタイムリープをさせる、というワンアイデ

『パンドラの箱』 周囲を自滅させていきながら、自らもその磁力によって自滅する元祖ファム・ファタール・ホラー映画

『パンドラの箱』(1929年/ゲオルク・ヴィルヘルム・パプスト) 【あらすじ】 ルルの周りでみんな自滅していく 超絶オールタイムベスト。 ルイーズ・ブルックス特集@シネマヴェーラ渋谷にて鑑賞。ソフト入手困難、サブスク未配信作品とあって満席の劇場。 老シネフィルおじじで埋め尽くされているかと思いきや、自分よりも若い男女二人組がちらほら。シネフィルカップルなのか? とは言え、Z世代が「なんかこの女優さん可愛いねー観よっかー」くらいのテンションで2時間越えのサイレント映画を観る

『アングスト/不安』 人ひとり殺すこともままならないのだから、生きること自体がままならなくたっていいじゃないか

『アングスト/不安』(1983年/ゲラルト・カーグル) 【あらすじ】 人を殺すのにめちゃくちゃ苦労する とりあえず映画を撮る前夜に、機材打ちを終えて爆眠い中なんとなく見直した。 なぜなら、不安というタイトルから乖離して、観れば観るほど安心感が増す大好きな作品なので。安定剤映画。作劇とかストーリーとか展開とかメッセージとか教訓とか全部度外視にして、ビビットに「映画」だけが、「運動」だけが連なってそこにある空気がたまらなく安心する。 実は撮影がものすごくテクニカルだけれど、

『ルクス・エテルナ 永遠の光』 映画撮影で起きてほしくないことが全て起きる映画

『ルクス・エテルナ 永遠の光』(2019年/ギャスパー・ノエ) 【あらすじ】 魔女の映画を撮っていたら地獄絵図になる たとえば映画の劇中で殺人鬼がナイフを誰かに突き刺して殺したとしても、それを観客は安全圏から傍観しているに過ぎなくて、まるで自分自身が殺されたみたいだ、という恐怖のシンクロ体験というのは、本質的に映画というメディアには不可能性が伴っていると感じる(様々なアプローチはあれど)。 もちろん、その体験に接近することはあれど、物理的に映画から観客が殺されることは絶対