#144 引き算の思考
おはようございます。fumioです。
今日は、三連休最後の日ですがお仕事にいきます。例年にない始まりの1年は私たちのようなところも・・・・と勝手に考えてしまいます。
行えていないことや、できていないことがあると・・・〇〇しなきゃ、△△もしなてない・・・と普段以上のことをネガティブなのかポジティブなのか
しようとしています。
■個人的な理想と満足思考
「いつもできていない」「何となく、しっくりきていなかった」という気持ちから頑張る・余計なことに取り組んでしまう。
日頃のルーティンが崩れる、「ここで来ていない」ことを抱えて仕事をしていて「いつか」しようと考えている状況で、トラブル発生!
理由を短絡的に、「できていない」などや験を担いでしまう思考になりませんか?
そんな時は、「できていない」から「できている」へ、いつもと「違うことをしから」と責任や原因をそこに持っていく・・因果応報的ものへ。
■普段できていないんだから
普段て来ていないにのは、確かに「油断」「慣れ」もあるでしょうし、意識が低下していることも・・・。また、そもそもできない理想や満足(その理想や満足はいつのもの?)は適切なのか、現状にあっているのか?
しっかり、観察しているのか?「いい訳」もルーティンになっていないですか?←私と考えられないのか?
■いつまでも、「加える」ことがいいこと思考
自分や自分の周りの理想・満足の時間軸は「今にあっているのか?」
・環境:古い、新しい、足りない、過剰
・自分:若い・現時点・将来(加齢)
・対象:人・モノ・カネ・時間
・考え方:誰の、いつのこと、経験的か、一般的な原則からか、その他
など、見えているところで、二項対立的な見方をしていなか?
と考えつつも、4つのポイントの思考習慣も普段していないとできないこと、「できていない」から「これをやらないと」と何かを増やしてしまう考えに寄せていってしまうことが多い。
■「できない原因」「できなくなった原因」もあるなら、「減らすこと」も
「減らす」ことは、諦めること、しなくなること・・・とダメなことという思考がつよくなっている自分。
↑このQUITTING(やめること)の発想がやっぱりいいと思う。または、「一時的にやめてみる」こと。
私も懐古的な思考が強いので、この「やめること」には、かなりの抵抗と自分のできなくなったことを認めたくない思考があります。
■思っているほぼ「知る」「見える」を皆感じていない
・「知っている」を「知らない」
・「知っている」を「知っている」
・「知らない」を「知っている」
・「知らない」を「知らない」
※「見える」も同じです。
私たちは、「馴染んでいる」「流れに乗れている」と言った勘違いをよくできる生きものだと思います。だから、「知っている」「見えている」(現状について)は共有・共感していますが、
普段は、ずるく・ちょっと手を抜く傾向で共感したり、頑張るへ向いて
共有できないことが多いと思います。
■引き算にして、「何かを引いて」一時的に保留する(観察する)
何か減らして、様子をみる(時間を決めて)、そして、「観察点」をそろえて「疑問点」も確認する。
ちょっと曖昧にイメージでずるい印象もあると感じてしまいますが、同じ人でも、経験でも、頭の構造は同じでも知識はちがう、価値観も違うのだから、「同じルールで一時的に体験してみる」
でも、中庸な感じがいいと思いませんか?能動的で受動的な感じが(笑)
今日は、この思考でネガティブ思考とトラブルに対応しようと思います。
今日も良き日に(^^)/