文化の日。ちょっと真面目にミュージアム私論
私は博物館や美術館によく通います。
作品展はもとより、その建物や雰囲気、ミュージアムショップなど見どころが満載。
ちょっと日常を離れて、心を休めることができる大切な場所。
そして、インスピレーションを得て、新たな仕事に繋げる創造の場でもあります。
日本全国には、国公私立を合わせて5700館以上もの博物館施設があります。
本物だけが持つ力。
図録や写真からでは伝わらない感動があります。
これほど美術品や文化財に触れられる機会があることは、とても幸せなことだと思っています。
(以下、博物館・美術館を総称し「ミュージアム」とします)
展覧会が高すぎる?
近年、私が気になっているのは、
展覧会の料金と図録の価格です。
私が学生だった20年ほど前、多くの展覧会が特別展であっても、学生であれば7〜800円程度で鑑賞できました。
今では国公立館でも、学生は千円を超え、一般では二千円以上のものも珍しくなくなりました。
東京国立博物館では、常設展の料金がここ30年で3倍になったそうです。
この間、国立博物館の独立行政法人化など、運営の効率化や経済的な自立を求めらてきたこと。更に物価や人件費、燃料費などの値上がりといった背景がありますが、だいぶ上がったなと実感します。
元々が安すぎたという意見もあり、
私は料金が高いと不満を言いたいのではありません。
ただこのままでは、
お金のある人しか文化や芸術に触れることができなくなるのではないか。
そのことを心配しています。
国公立のミュージアムの存在意義とは何?
と疑問に思うのです。
ミュージアムと私
大学で歴史学を学んでいた私にとって、博物館は大切な学びの場でした。
本物の資料を直接、観察することができるからです。
アルバイト代を手にしては、
常設展はもとより、
一級の資料が出揃う特別展を観るため、
全国の博物館を巡っていました。
ある時、私は美術館の現実に衝撃を受けます。
学芸員資格取得のための「実習」で伺ったある私立美術館では、作品を切り売りして何とか運営費を調達していると…。
当時はバブル崩壊後、企業がバタバタ倒産していた真っ暗闇のご時世。
私が、ミュージアムの運営や未来について考えるきっかけとなりました。
ミュージアムとお金
2001年4月、東京・京都・奈良の国立博物館をはじめ、美術館、文化財研究所が国の機構を離れて独立行政法人化されました。
以来、自己収入の増加などが求められる中、各館で入館者数を増加する様々な取り組みが行われてきました。
当初、流行の映画やアニメの展覧会など、これまでの国立館では考えられなかったような、話題性を追求した企画が増加。
何だか内容よりも集客力や収益性を優先する姿勢に見えて、
私はやや違和感と寂しさを覚えたことを思い出します。
全国の国立美術館を運営する(独法)国立美術館の令和元年度事業報告では、
国からの運営費交付金や補助金が収入の78%を占め、展覧会の入場料など自己収入は19%に過ぎません。
(*コロナ禍の影響を考慮し令和元年度を参照)
今なお、美術館や博物館が自己収入で運営することの難しさを物語っています。
学芸員の役割
一方で、ミュージアム側の問題もあるかと。
私は大学で学芸員を目指していましたが、結局その道は選びませんでした。
もちろん、何十倍、何百倍の競争率を勝ち抜く専門性の高い狭き門で、なりたくてなれるものでもありませんが…
研究の過程であまりにも多くの文化財が失われていく現状を目の当たりにし、単に歴史の研究ではなく、こうした文化財を残していくことへの関心が強くなったためです。
そのためには、多くの方々に文化財のことを知ってもらう取り組みが大切。
文化財に触れ、その知識を広めて、守る側になっていただくことが必要。
そう考えた当時の私にとって「学芸員」は、その役割を果たそうとしているようには見えませんでした。
世俗を離れて自分の研究に打ち込んでいる人。
展覧会も主催者目線で独善的。
私の目にはそのように映ったのです。
そこで、生涯学習に関わる仕事の傍ら、NPOで子どもたちを対象に文化財のことを分かりやすく解説したり体験したりする活動などに携わるようになりました。
勾玉や土器づくりなどをして、キラキラと輝く子どもたちの顔に元気をもらいながら。
ミュージアムのこれから
ミュージアムを維持し、大切な作品を守っていくには多くの予算が必要です。
しかし、人口減少や高齢化などで税収が減って、社会保障費など暮らしに直結する予算が増える中で、文化予算を増やすことも容易ではありません。
メディア系企業とタイアップしなければ、予算的に企画展を開催できない中で、特別展の価格上昇はやむを得ない面もあるでしょう。
私はそうした中で、どこにお金をかけていくのかを、今しっかりと検討することが必要では無いかと考えています。
1 図録の値下げ
例えば、図録の値段もかなり上がりました。
学生にとって特別展の図録は「記念品」ではありません。
最新の研究成果や論考、写真が掲載された貴重な研究資料です。
学生時代の私も展覧会では必ず図録を買って、読み込んでいました。
しかし、今の価格では社会人の私でもちょっと手を出しにくい。
もう少し安価で提供いただけないかと願います。
2 つなぐ役割の充実
アウトリーチプログラムなど「つなぐ」役割の充実。
今では、来館者がわかりやすい解説など、作品と人々をつなぐ工夫が随所に見られ、ミュージアムのスタンスも随分変わったように実感します。
しかしまだ、その取り組みは不十分です。
ミュージアムには、学芸員とは別の教育普及のための専門人材やプログラムの予算をもっと充実させて、子どもたちをはじめ多くの方が、もっと身近に、もっと楽しく文化財や美術に親しめる機会や工夫に取り組んで欲しいと願っています。
とりわけ、若者が作品に触れることのできる機会の保障。
昔も今も、大学生の皆さんの経済状態はさほど変わらないでしょう。
私は多少高い観覧料でも良いですが、大学生の料金を無料にするなど、未来の人材への投資にもっと積極的に取り組んでほしい。
そうすることが、長い目で見たときに文化や芸術の担い手・支え手を増やすことに。貴重な文物や作品を未来につなぐことにつながると信じています。
3 予算の充実
日本の国家予算に占める文化予算の割合は、諸外国に比べて低いことが指摘されています。これは、ミュージアムの運営にも大きく影響するものです。
批判的な言い方をすると、行政改革の名の下に、単に切りやすいところを切り捨ててきたという短絡的なリストラ、その戦略性の無さも今日の問題の根底にあると私は考えています。
文化と福祉を天秤にかけて、重要度を測るのは時代遅れです。
例えば、障害者をお持ちの方の芸術表現など、近年文化は福祉をはじめ様々な分野と密接に関連しています。
文化は時間とお金のある方の余暇の過ごし方ではありません。
人間性を支える重要なものです。
そして、創造性を刺激し、未来を切り開く源泉です。
だからこそ、ミュージアムは誰もがアクセスできる必要があります。
天然資源に乏しい日本の国は、人材の力に頼るしかありません。
そのために、文化を戦略的に活用することが重要です。
もう少し、国は文化への投資を増やしても良いのではないでしょうか。
一方、私たち鑑賞者の応援のあり方も考えなければならないでしょう。
例えば、クラウドファンディングでや、「寄附つき入場券」など、より気軽にミュージアムの運営に寄与できるよう、その仕組みをたくさん用意することも重要です。
かなり雑な話と承知で私の考えを述べてきました。
素人ながら、ミュージアムを愛する一人としての思いです。
大切なミュージアムを守るため、こらからも私にできることを真剣に考えて行きます。
(終わり)
*見出し画像は京都国立博物館 明治古都館
『京都フリー写真素材集』様(https://photo53.com)からお借りしました。