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靴ずれのような日々の中で、ストレスと向き合う
今日、新しい靴を履いたら、靴ずれした。
今まで履いていたのと同じ型にも関わらず。
私の足に合う靴は、ほぼ無い
新しい靴は、ほぼ靴ずれする。
痛い
靴ずれパットは必需品だ。
でも、靴ずれを克服できるときがある。
そんな靴は一生ものだ。
物質としての限界まで、修理しながら履き続ける。
ある時期から、絶好調の日がなくなった。
毎日、体のどっかが不具合だ。
頭が痛い、腰が痛い、足首が痛い…
そして今日は、顎が外れた。
まったくもって先が思いやられる。
まだ人生半分ちょっとを過ぎたぐらいなんだ。
救いを求めてお医者に行くと、絶望する。
“外科的には”どこも悪くないのだから。
とどのつまり、ストレスだ。
ちなみに「とど」とは、魚のボラのことらしい。
これ以上、大きくならない状態で、とどのつまり。
でっかいトドが土管に突っ込み、もがく姿を想像していた。
まったく、ご陽気なものである。
そんな私に、ストレスなどあるのか?
わからない。
私はストレスというものに自覚がない。
体調不良で、
職場に行きたくなくて、
心も暗闇に包まれる日曜の夜。
気持ちがドブにぬかるんでも、
ストレスの正体がわからない。
果てしなく続く残業も、
パワハラ上司に遭遇しても、
なまじ強靭に育てられ、壊れぬ不幸を背負っている。
タフなのか?
いや、バカなのだ
振り切れるまで気づかない。
そして、その時は突然やってくる。
腰痛
二足歩行を失い、強制終了
爬虫類からやり直す。
これ以上は無理ですよーのサインだ。
就職試験が続いたある日のこと、
腰痛で倒れたことがある。
もう1ミリも歩けない。
本命の直前、しかも日曜日に
焦った母は近所の整骨院に走り、
討ち入り同然に、眠れる先生をひきづり出してくれた。
おかげで試験を乗り切った。
母強し。
今となっては感謝に堪えないが、
「そんな無理してまでやめておき」と、
言わないあたりが恐ろしくもある。
後に面接をしてくれた先輩がこう振り返る
「あの時、あなたの気迫は、すごかったわよ」
そりゃそうだ。
複雑骨折したまま、ホームラン狙いで打席に立ったのだ。
誰しも必死の形相になるだろう。
「怪我の功名」となることもあるようだ。
まもなく4月がやってくる。
人事異動の季節だ。
周りがソワソワし始める
毎年、私の体調が最悪になる。
私にとって、仕事と恋は似ている。
何をするかでなく、誰とするかが問題
急激な環境の変化が苦手なのだ。
10代の頃は、よく4月に気絶した。
何らかの些細なきっかけで、
スゥーっと目の前が白くなり、見知らぬ世界を浮遊する。
気を取り戻した時には、
頭がスッキリするから不思議である。
これがかつての強制終了
体に合わない枠組みに、ギュッと押し込められるストレス。
そう、足に合わない靴を履くように。
スレてこすれて血がにじむ。
ストレスパッドは存在しない。
でも歩かぬわけにいかぬので、
無理して歩いてべそをかく。
我慢の先に一生ものの幸せがあることを願いながら
そんな私が目指すのは、環境を楽しむ天才だ。
人間は、何かの枠の中でしか生きられない
もう適応するしかない。
靴ずれに耐えうる皮膚を手に入れるには、
時間がかかるし辛く苦しい。
じゃあ、靴ずれをどう解消するかを試してみた方が、
ずっと早くて楽しいだろう。
今ある環境に慣れる(順応)のではなく、適応してやる。
環境を楽しむ天才とは、
例えばどんな仕事も自分なりに面白がること
退屈な伝票整理でさえ、極めたら楽しい。
おい、ストレス、かかってきやがれ!
いや、うそだ。来ないでくれ
今はまだ、靴ずれしてるのだ。
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大阪駅北側「うめきた広場」に座っている。
こんなふうに生きていきたい