
好きだから、これ以上知りたくない
それは不思議な体験だった。
有楽町の三省堂書店で、この本のポップを見たときに「出逢ってしまった」と思った。だからこそ、手に取るのが怖くて、パラッとめくることも本の背表紙のあらすじを読むこともできなかった。
私には、昔からそういう感覚がある。
「好きだからこそ、嫌いになりたくない。だから、これ以上知りたくない」と思うような感覚が。
小さいことで言うと好きな食べ物は最後まで残す。読みながら好きだと感じた本は、最後まで読み切りたくなくて、何年も何年も最終章を読まずに放置してしまう、というような。(実際、我が家には読み切れていないお気に入りの本がいくつも積まれている)
その感覚と近い感覚を覚えたから、私は手に取らなかった。
だけど、不思議な体験は連続して起こった。
フリーランスの私は大抵、仕事と仕事の移動の間に本屋に立ち寄るのだが、私が軽い気持ちで入った本屋でぱっと目を引くのがこの本だったのだ。単行本も、文庫本も。近くに行って「あ、またこの本…」ということが1週間のうちに3回も続いたのだ。
そのことを、読んだ本を共有し合う友達に話したら「きっと、その本のことが相当好きなんだね」と言われた。
そう、もうこの時点で私はこの本が好きだったのだ。こんなの読む前に言ったら失礼な気がして心の中に封印していたけれど。出逢った瞬間から好きだった。
だからこそ、その時は読みたくなかった。
もっとゆっくりと自分の時間がとれるときに、自分がこの本とゆっくりと向き合えるときに手に取りたいなと。そう思っていたら、1年という月日がたっていた。
この1年の間「今だ」と思ったのは、今回が初めてである。その間に違う本を読んだりもしたのだが、ずっと今じゃなかった。
ただ、今の私は夏の暑さにやられて、仕事が比較的緩やか。かつ近所にお気に入りの読書スペースが誕生した。ゆっくりと、本と向き合うにふさわしい場所が。
だから、その日、何の予定もなかったけど近所の本屋ではなく、初めて出逢った場所、有楽町の三省堂書店へ向かった。
そうして手に入れた「あしたから出版社」の1章の部分を今日読み終えた。
1章しか読んでいないのに、こんなことを言っては失礼だろうか。そう思う気持ちを持ちつつ、私はあえてここに今思った気持ちを残したい。(例に漏れず、続きを読むのを躊躇っているからというのもある)
きっと、私はこれからの人生。心が晴れやかなときも、前を向けないときもこの本を鞄の中に忍ばせることだろう。人のエッセイにここまで心を揺さぶられたのは初めてである。
「学びになる」からとか「有益だから」とかではない。大切なことを大切な人とゆっくりと話しているような午後のカフェでの出来事を、何度も思い出してしまう感覚に似ている。
1冊の本、一言一言ともっとゆっくりと向き合いたい。消費するのではなく、噛みしめたい。
どうして好きなことの話になると、こんなにも言葉が出てこなくなるのだろう。悔しくて、この文章を打ちながら私は涙を浮かべている。
何のまとまりもない、自分だけの記録として残すけど、私はこの本に出会えてよかった。し、この気持ちを独り占めしたくない。きっと大切な人に、この本を送り続けることだろう。
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