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最近読んだ本たち(2024年7月8月分)

このところ、夜のむわあっとした暑さがましになった。秋の気配をわずかに、しかし否応なしに感じてせつない。このあいだまで「暑い、暑い」とぼやいていたのに。

7月後半に娘たちが夏休みに入り、あわあわと過ごした約1か月、本は空いた時間を見つけて読んだ。鶏のさっぱり煮をつくるそばで文庫本を開いたり、お風呂の準備が整うまでの時間に読んだり。

なんだか、こっそり本を読んでいた受験生の頃を思い出した夏だった。「本より教科書か参考書を読みなさい!」と小言を浴び続けた高校時代。青かった。

読みたかった作品は読めた、気がします。

『雪沼とその周辺』 堀江敏幸

雪沼という架空の地方都市を舞台に、実直で優しい人々の暮らしを描いた短編小説集だ。美しい日本語による文の連なりは印象的で、なめらかに雪沼の姿を浮かび上がらせる。「雪沼、行ってみたいなあ」なんて思った。静かな空気がすごく心地いい。

余談だけれど、新潮文庫がとても好き。あの葡萄のマークは娘たちも気に入っている。子どもの頃から慣れ親しんだ新潮文庫を我が子も読むようになるとは。気が遠くなるほど感慨深い。

『素粒子』 ミシェル・ウエルベック

今年は少しくらい外国文学を読もうと決めていて、これを手にとった。

20代の頃、「『素粒子』は読むべき作品だよ」と熱く語る男性に二人も出会った。へえ、と気になりつつも読めずにいた。

いざ読んでみると、性的描写がとても多い。描写があることじたいに嫌悪感はまったくないのだけれど、それがどんなふうに着地するのかよくわからないまま読み進めるのがやや苦痛だった。

結末にたどり着くと、「ああ、こういうことかな?」と想像がめぐる。そこへ至るまで頑張って読んでほしい一冊だ。

しかし、あの男性たちはどういうつもりでこの小説を激推ししていたのだろうかと、ふと疑問がわきあがる。まあいいか、疑問は疑問のままでも。

『しにたい気持ちが消えるまで』 豆塚エリ

友人に薦められて、少し前に買っていたもの。ようやく読めて嬉しい。

淡々とした語り口、冷静にご自分の心と置かれた状況を観察する視点に導かれて、最後まで読み進めた。読みごたえのある作品だった。

この作品を貫く淡々とした姿勢って、得がたいんじゃないだろうかと思う。自分をとことん見つめ抜いた人にしか立てない境地に違いない。

わたしも自分が「失ったもの」について書きたくなることがあるけれど、まだまだ書けそうにない。「わたし、こんなにかわいそうなの! わかって!」というスタンスになってしまうかもしれないと思うと、こわい。そういう書きぶりは、読む人にとっても、自分にとってもつらい。

『夜が明ける』 西加奈子

若さと可能性に満ちた高校時代に出会った二人の男性が、過酷な状況のなかで生きていくさまを描いた作品。

冒頭を読んだら最後、世界観に没入してしまい、一日で読み終えた。物語へと引きこむ力はさすが西加奈子さんといった感じである。「アキ・マケライネンってどんな俳優さんなんやろ?」とネット検索してしまった人はわたし一人ではないと思う。

貧困がテーマであることから、ラスト近くでは政治的な色が見え隠れする。わたしの思想とはやや違うもので、相容れない箇所もないわけではなかったけれど、それでいいと思う。自分と違う考え方がこの世には当たり前にたくさん存在する。世界はカラフルで、多様な色がグラデーションをなす場だ。

『ナショナル・ストーリー・プロジェクト1』 編:ポール・オースター 訳:柴田元幸

「事実は小説より奇なり」。それは創作者の怠慢あるいは才能不足だと思っていた。若い頃は。

そうでもないと気づいたのは最近になってからだ。どんな人にもその人だけのストーリーがある。誰の人生もかならず「奇」を秘めている。

これは、ラジオ番組のために集めたリスナーたちの「物語」を収めた作品集。短いお話はどれも小さな(ときに大きな)ドラマが詰まっている。

なかには「?」と思うお話もあるのは文化の違いか、わたしの頭の悪さか。

『青い壺』 有吉佐和子

小学生の頃、大滝秀治さん主演のテレビドラマ『恍惚の人』を観て、怯えた。原作である有吉佐和子さんの同名小説を読んでみて、震えた。認知症の描かれ方が衝撃的にリアルだった。

以来、わたしのなかに有吉佐和子さんは社会派エンターテイメント小説の旗手として君臨している。永遠の旗手だ。

『青い壺』では、ある職人がつくりあげた美しい青磁の壺がたくさんの持ち主のもとをわたり歩く。あるときは裕福な老婦人のところへ、あるときはつつましく暮らす母娘のところへ。

登場人物の微妙な心模様を浮き彫りにする描写や台詞、ストーリー運びが巧みすぎてため息がでる。

なにより面白いのは、皮肉ともちゃめっ気ともつかない意図が潜む設定だ。青磁の壺は実は……。有吉作品らしく、根底に風刺が横たわっている。

『砂の女』 安部公房

中学生のとき、友達と二人で「一人の作家の作品を制覇してやろう競争」をした。有名な作家を誰か一人選び、そのすべての作品を読み終えるのはどちらが先かを競った。

わたしが選んだのは安部公房。友達は樋口一葉。

……おかしくない? ねえ、おかしいよね?

当然の結果としてわたしは負けた。そんな苦い(いや、単にわたしが阿呆なだけ)思い出がこびりつく安部公房を久しぶりに読んでみたくなり、つい手にとってレジに持っていった。中学から高校にかけて、繰り返し読んだ作品である。

砂の匂いが鼻先に漂うような描写、読む者にじりじりと焦りをもたらす登場人物たちの言動……、圧巻だ。わたしをつくった小説5冊を挙げるなら、迷わずこれをリストに入れる。

まだ読んだことのない方にはぜひご一読いただきたいなあ、と思う。

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夏休みとはいえ、ここ数年の暑さでは夏の風情がどうのこうのとも言っていられない。外出もしにくい。おかげで本を読む時間がつくれた。幸か不幸か。おそらくちょっとだけ不幸なんじゃないだろうか。

9月はなにを読もうかな。



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