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ご自愛って、結局なに?感覚を開くというプロセス。
「ご自愛」と聞いて思い浮かぶのはどんな行為でしょうか?
自分のことを大切にする「丁寧な暮らし」
自分の気持ちに正直になる「私らしい生き方」
最近の「ご自愛推奨の空気感」はますます勢い付いて、時として私たちを追い詰めているような感覚に見舞われることがあります。
そんな私も、ご自愛という言葉にあやかって、伝わりやすいと思って、身体のレッスンを説明していたりもします。
でもたまに、その自愛を、強要してはいないだろうか?その人の自愛を、見逃してはいないだろうか?と考えることがあります。
そもそも「ご自愛」は、自分を大切にするという意味や、自身の健康状態に気を付けるという意味があって。
確かに、つい自分自身のことは蔑ろになってしまったり、ふと気付けば自分のために時間を使って元気になることって忘れてしまいがちなのかもしれない。
けど私は、そんな一生懸命な人が自分を大切にしていないとは思わないし、自身の健康状態を完全に無視しているとも思わなかったりして。
例えば毎日ジャンクフードを食べていたとしても、もしかしたらそれはその人にとっての「自分を大切にする行為」なのかもしれないし、それぞれ、みんなが自分なりに「自分を大切にしている」結果が今なんじゃないかなと。
それで、ご自愛って「気付く力」だと言い換えられると私は思うんです。
「どうしてそれをするのか?」
「なんでそう思ったのか?」
そんな疑問を、好奇心を、自分自身に問いかけて、自分が何をしているのかに気が付くこと。
するとこれまで「自分を大切にしていなかった」と思う習慣や思考の中にも「自分を大切にしたくてやっていた」何かが見つかるんじゃないでしょうか。
ご自愛という行為を「始める」のではなく「気付く」ことで、結果的に外的な要因で物事を判断するだけではなく、そこに自分自身の判断軸が追加されていくような気がします。
気付く力を育む時間は、自分自身へ興味を持つ時間です。
私は、「体から生きることの選択肢を増やす」を掲げてボディワークをお伝えしていますが、その理由はまさに、自分への興味を持つ方法として最適ではないかと考えるからです。
自分の脚が、腕が、どうやって動いているのか。
姿勢が与える影響にはどんなものがあるのか。
そんな普段考えたこともないような「自分について」の色々に注意を向けていくこと。それこそが感覚を開くという行為で、ご自愛なのではないかと思っています。
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