息子が山で遭難した日のこと
「警察官募集」のポスターをぼんやりと眺めながら、父の名前が呼ばれるまで、私は警察署のロビーで座って待っていた。
6月の誕生日で更新だからと、父に運転免許証の返納を頼まれた。委任状を持って、私が警察署に来ているのだ。
ぐるりとフロアを見渡した後、またポスターのなかの、指差す青年の写真を見つめて、「あれからもう、約半年かぁ」と、あの日の怖さを回想していた。
*****
「母さん、動けやんようになったから、警察呼んだ。誰もケガしてないから大丈夫やで、心配いらん。」
日曜日の昼下がり、息子からの思いがけない電話に、私は息が止まりそうになった。
「それって、遭難したってこと?」
送られてきた写メを見て、ぞっとした。
茶色の落ち葉の斜面に、滑り落ちそうな格好の息子の友達ふたりが、倒木と斜めに刺さっているような木に、それぞれ掴まっている。
約半年前の、昨年の秋のことだ。
「明日さ、友達と3人で近くの山に登るわ。」
コロナが少しおさまり、世の中がちょっと、自由に動ける雰囲気になったので、高専3年生だった息子は、久しぶりに友達と出かける約束をしてきた。
彼はいつも唐突なことを言い出すので、私は「またか」と笑ってしまった。
この2年間、ずっと不自由な高校生活だった。やっと外出できるようになったのだから、「いいんじゃないの、行っておいでよ!」と私は即答した。
最初に選んだ彼らの遊びが登山だと知り、その純朴さを、むしろ微笑ましく感じて、「山か、田舎の子っぽくて、かわいいな」くらいに思った。
「準備とか、大丈夫なん?」と聞いたけれど、「夜、友達とオンラインで相談するからなんとかなるわ。」って言いながら、彼は2階の自分の部屋へさっさと上がっていく。
「山は遠足気分じゃダメだよ。」と背中に声をかけたけど、「わーっとる、わーっとる(わかってる)!」と、呑気な返事だ。
当日の朝、学校ジャージで出かけようとする息子に、夫もさすがに驚き、
「上着は持ったんか?山は危険やぞ。なめてたら命を落とすこともあるんやから、気を引き締めて行けよ。」
と声をかけ、自分の登山靴を下駄箱から出して、履いていくように息子に勧めた。
「え!父さんの靴かぁ、微妙やな。」
と顔をしかめながらも、息子は渋々、スニーカーを登山靴に履き替えた。
私も「念のため、持っていきなさい。」と、彼のリュックにチョコとペットボトルのお茶を無理矢理入れる。山でも買えるんだろうけど、いざという時のために、なんとなく。
「じゃあ、山頂でカレーうどんをサクッと食べてくるわ!」
と、コンビニにでも行くような雰囲気で、彼は家を出た。
彼らが登る山は、山頂レストランやロープウェイもあり、登山客も多い。
私も数回登った経験があるが、初心者向きで、男子高校生ならば何の問題もないと思っていた。
ところが彼らは、一般的な登山道ではなく、沢伝いに迂回するようなルートを、前日の打ち合わせから、あえて選んでいた。
当日、彼ら以外にその山道を行く人は誰一人いなかったらしいが、ノリと冒険心で迷うことなく挑戦したようだ。
頼みの綱の赤い目印が、直前に来た台風で吹き飛ばされていたらしく、彼らは途中で行手を見失った。
その時点で引き返すこともできたと思うが、遥か遠くに見えている山頂あたりを目指して、勘を頼りにどんどん進んでしまったらしい。
そして、方向が全くわからなくなった。
一旦、沢まで戻ろうと降り始めた斜面が、枯葉で覆われたすべり台状態だったようで、滑り出したら止まらなくなった。
無我夢中で、斜面の木の根っこや倒木にそれぞれが掴まり、なんとか滑り落ちる身体を止めることができて、3人とも助かった。
もう少しで、岩だらけの崖から垂直に沢に落ちるところだった、と木の根っこを掴みながら電話してきた息子から聞いて、私も血の気がひいた。
崖下の沢には、イノシシが死んでいたようだ。
身動きがとれなくなり命の危険を感じたので、迷った末に、彼らは警察に救助を求めたのだった。
山の中でもスマホが繋がったことは、本当に幸いだった。
3時間ほど救助を待つ間も、数回、息子と連絡が取れた。チョコを食べるどころか、お茶すら飲めずに、彼らは滑り落ちないように、じっと救助を待っていた。
スマホで「山の遭難 救助」と検索し、ヘリコプターを頼んだときの金額を見て、3人は不安を募らせていたらしい。
「1時間50万円、そんな貯金は俺たちにはないぞ」と話しながら。
遠くから笛の音が聞こえたので、彼らは必死で声を出し続けたらしい。そのうち、3人の中のひとり(警察は、一番苗字が呼びやすい名前を選んでいたそうです)を呼ぶ声が近くなり、山岳警察隊は広大な山の中から、遭難した彼らを見つけ出してくれた。
到着した警察官が、彼らには神様に見えたそうだ。
「沢に落ちていたら、君らは命がなかった。」と警察官にも言われるほど、彼らは危険な状況だった。
全員無事だった奇跡に、心から感謝している。
そのまま息子たち3人は、パトカーで山の麓の警察署へ行くことになった。
警察へは、夫が息子を迎えに行った。
事後処理に数時間かかり、2人が家に帰って来た頃には、すっかり外は真っ暗になっていた。
憔悴しきった顔の息子は、うつむいたまま家に入ってきた。
彼は、木の根っこに掴まり続けて傷だらけになった手をじっと見つめながら、黙って私の前に立ち尽くしている。
「無事でよかった。お腹すいたでしょ。ご飯を食べなさい。」
という私に、
「心配かけて、すみませんでした。」
と、息子はふーっと息を吐きながら言った。そして、涙目の私を見て、照れ笑いを浮かべた。
夕食を食べて落ち着くと、息子は、山や警察署での様子をゆっくり語り始めた。
「罰金も刑罰もないが、軽率な行為が警察を動かす大変な事故を起こしたことを、しっかり自覚しなさい。」
という警察官の言葉と、深く頭を下げて謝る父親の姿が、彼には重く響いたようだ。
息子たちは、山を甘くみていた。
親も、息子たちに大事なことを教えていなかった。
それは深く反省することだ、と思う。
「まぁ、これで委縮せずに、また山に挑戦しろよ。」
という、不謹慎すぎる夫のねぎらいの言葉に、私は息子と目を合わせて少し笑った。
無事だったからできる会話だと、お互いに言わなくても伝わっていた。
翌朝の地方新聞に、『男子高校生三人遭難』という見出しで、小さな記事が載っていた。年齢以外は、名前も学校名も書かれていなかった。
文の締めくくりに、息子は苦笑いした。
『彼らは迷子になったらしい。』
と書かれている。
「迷子かあ、俺たちはまだ子供ってこと?」
「そう、まだ、あんたの行動は親の責任ってことだよ。」
そういう私に、息子は一瞬真顔になって、頭をペコッと下げた。
そして思い出したように、リュックから何かのパンフレットを私に渡してきた。
「警察官募集」
昨日の帰り際に、警察署で手渡されたらしい。
「君ら高3なんで、一応渡しとくわ。よかったら考えてみてな。」と。
そんなオチまでいりませんから。
春から高専4年生になり、息子の同級生は全員が18歳になった。
成人だ。
もう、自分の責任で生きていく年齢。
これからは、「迷子」とは記事に書かれないだろう。
山に登るならば、下調べをしっかりして計画を立て、用意を万全にすることが、命を守るためには絶対必要だ。
すべてを理解したうえで、息子たちには、また山にチャレンジしてほしい、と思う。
あの地方新聞は、「警察官募集」のパンフレットと一緒に、引き出しに大切にしまっている。
あの日の無知と無茶を忘れないように。
あの日の奇跡と感謝を忘れないように。
*****
穴が2つ空いた父の運転免許証をカウンターで受け取り、視線を感じて左を見た。「警察官募集ポスター」の彼が私を見ている、気がした。そんな自分が恥ずかしくなり、駆け足で警察署を出た。
息子たちが登った山が、遥か遠く、西の方向に霞んで見える。
「息子たちを助けてくださり、ありがとうございました。」と、山に向かって心の中でつぶやいた。