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高齢の母のテレフォンショッピング事情

4月最初の週末は、春風が少し強くて肌寒かった。
昼食の片付けを済ませ、少し気合いを入れてから実家に向かって歩き出す。
週末恒例になりつつある、両親とのおしゃべり時間のためだ。

わざと遠回りをして、川沿いの千本桜の並木を歩いた。
川の両岸には、空と川に向かって大きく枝を伸ばした桜の木々が、どれもみな、ピンクのお化粧をしていて見ごろを迎えている。

一年で、今が一番美しい桜たち。私の気持ちも自然とほころぶ。
すれ違う人たちに軽く会釈したあと、まわりに誰もいないのを確かめてから、私はぐるぐると腕をまわし、大きく伸びをした。
この1週間、体調が不安定だった娘の介護で、ガチガチに固まってしまった心と身体。

カラ元気でパンパンだった私の中身が、一気に萎んでいく。
深呼吸して桜の空気を吸い込むと、新たにまた、新鮮な元気で身体が膨らんでいくようだ。
「まだ、大丈夫だな、私」
自分に言い聞かせてみる。




実家の台所のドアを勢いよく開けると、母が一人、指定席に座って電話をしていた。
父はベッドで横になっているようだった。
奥の部屋から、少し荒い父の呼吸音が聞こえてくる。

母が私に「ちょっと待ってね」みたいな目配せをしてきたので、「オッケー」の指のポーズをしながら、私は母の横にそーっと腰掛けた。

テーブルを見ると、新聞が大きく広げられている。
母は電話をしながら、大学ノートの1ページを半分に切ったような紙に、ちょこちょこメモをとっていた。
新聞広告には、見開き一面に某有名メーカーの低反発マットレスがどーんと載っていた。

まさか、お母さん、これを買うの?

母の話しぶりから、まさに今、注文の電話をしている最中だとわかる。

「主人が肺の病気になって、この1年で20キロ以上も痩せてしまってね。今、使っているマットレスは硬いんです。主人が、横を向いて寝ると肩が痛いっていうもんですから。朝ね、新聞を見てね、このマットレスなら肩が痛くならなくて、いいんじゃないかと主人が言うもんですから。」

え?受付オペレーターに、父の病状まで説明する必要があるの?

オペレーターさんも大変なお仕事だなあと思っていると、

「そうですか、3.5センチより、5センチの方が、上質でお勧めですか。ああ、下の、紹介欄の方たちもみんな5センチのほうを使っていると。じゃあ、うちもそちらにしていただこうかな。」

メモに『上質、厚さ5㎝、■000?』と書く母。

あ、そのためのメモだったのか。
私の視線はメモに釘付けになる。
今日の日付、商品名、広告に記載された値段が、すでに書かれていた。

「シングルじゃあ、小さいよねえ。うち、主人はダブルのマットレスを使っているから。ピタッとした方が、上に置くとしても、いいですよね。新聞に載っているのは、シングルでしょ。ダブルだとおいくらになるの?」

またメモに『ダブル、5000円』と書き足される。

そうか、さらに5000円高くなるってことか。さっきの■は聞き取れなかったのかな?

大丈夫なのかな、広告の値段に比べて、どんどん高くなってきているけれど。
そう思って、私は黙って聞き耳を立てる。

「あらそう、専用のカバーもいるのね。じゃあ、お願いするわ。」

『カバー、5000円くらい』と書き足されるメモ。

あらら、カバーもいるの?どんどん、値段が上がるけど、大丈夫?

心配になり、母を見る。
母がまた、よくわからない目配せをバチバチと私にしてくる、笑顔を添えて。

「ええ、私?私は太っているから肩が痛くないし、今のマットレスでとりあえず間に合っているので、今回はいらないわ。」

今回はって!母の分まで勧められたの?

私は必死に首を横に振った。母も「わかっている」みたいに、首を縦にゆっくり振って、私に笑いかける。

「じゃあ、おいくらに?そうね、代引きにしていただこうかしら。私も最近足が痛くて、買い物も大変で。わざわざ支払いに行くのもちょっとねえ。何日後に届きますの?」

今度は、自分の体の調子までオペレーターさんに話している。
自分の話、誰でもいいから聞いてもらいたいのだな、と思った。



母は完全に、テレフォンショッピングに慣れている。
長年のお友達と話しているような口ぶりで、購入に対しての戸惑いが全く感じられない。

もう、注文が終わるかと思ったそのときに、

「え?くりたさん?くりたのくりは、小栗旬の栗?」

なんのこと?一瞬考えた。
あ、お話をしているオペレーターさんのお名前か!

「くり」といえば、モンブランの「くり」だと思う、たぶん。
それよりも、オペレーターさんのお名前まで、メモが必要?
しかも「小栗旬の栗」って、漢字も必要なの?
私は笑いが止まらず、声を出して笑ってしまった。

母のメモを見ると、『クリタ様』とカタカナで書かれている。
小栗旬の栗って聞いてたよね?
笑いがまた止まらない。



電話を切ると、私にも、事細かに先ほどの買い物の経緯を話し始めた。
まるで、自分の買い物の言い訳をするかのように。
母がいうには「これまでで一番安い値段で新聞に載っていた」らしい。
でも結局母は、広告にデカデカと書かれていた『最安値』の値段の3倍くらいの金額の品を購入することになったのだけれど。

痩せた父が快適に眠れるならば、これは無駄遣いではなくて必要経費だ。
外出が難しい高齢の親には、電話一本で、手軽で便利に買い物をできるのだから、テレフォンショッピングはありがたいことだとも思う。

ただ、あまりにも慣れている母の買い物に、私は少しだけ『怖い』と感じてしまった。
そして、自分が親を、買い物にあまり連れて行ってあげられない『申し訳なさ』も同時に感じていた。

そういえばこの数年で、母のテレフォンショッピングの回数が増えている。
蟹や掃除機を買ったり、カタログで洋服を買ったり。
考えてみれば、ネットでポチッと買い物する私たちと同じなんだけれど。

年金暮らしの慎ましい生活の中で、勢いで注文した後によく、「理由」をつけて自分を納得させる母を見る。
「安かったから」
「たまにだから、いいかと思って」
「もう何年も、買い替えてなかったから」などなど。

今回も、父のための買い物だと私に言いながら「○○の△△がちょうど給付されたから」のようなお金の当てを探して、自分自身を納得させていた。

母の話を聞いていて、少し胸が苦しくなった。



母は、新聞広告を丁寧にたたみ、メモと一緒にクリップでとめて、リビングの引き出しに片付けた。
引き出しの中には、そんな感じにクリップで留められた紙の束がたくさん入っている。

「お母さん、その紙の束、何?見せてもらってもいい?」そう言って、私はきちんとまとめられた膨大な紙類を見せてもらった。

一つの商品に対するメモと商品の広告、配送伝票と領収書、保証書が、丁寧にクリップで留めてあり、そんなセットが、古い順にきちんと積み重なって、引き出しに収納されているのだとわかる。

もともと、母は几帳面で、簿記もできるので書類の扱いには強い。
「スマホ世代ではない年代の、今を生きる工夫だな」と素直に思った。

「きちんとまとめて整理していて、お母さんすごいな」
というと、嬉しそうに、ひとつひとつ説明してくれた。

「これ、全部とっておくの?」
と聞くと、
「何を買ったか、壊れたらどこに電話したらいいか、困ったときにいつでも見られるようにしてるの。電話する先がわからないと心配だから。」

ペーパーレスとは逆行している紙文化。
きちんと自分を守る術を身に付けている母を、純粋にすごいと思った。
この丁寧さに、私はずっと守られて、育ててもらってきた。

「でも、いらないものもあるから、また整理しやんとあかんねえ。」
そう言って、大事そうにその紙の塊を抱え、『買い物をこんなにもしてしまった』という後ろめたさと一緒に、母はまた引き出しの中にそれらを戻した。

泣きそうになるのを堪えて、私は父のところへ行った。




奥の部屋から出てきた父は、そのまま洗面所へ向かった。ひどい咳だ。
口をすすいでいる父の背中をさすり、細くて骨ばった父の背中に愕然とした。いつもダウンベストを重ね着していてわからなかったが、父はかなり細くなっている。

父の背中を見つめて、あのマットレスは、私がプレゼントしようと決めた。
頭の中でつい、プレゼントの名目を考えてしまう。
誕生日でも、父の日でもない。
なんの理由もなくプレゼントをしたら、父は何か不安に思いはしないか。

咳き込みが落ち着き、笑顔になった父を見て、
「特に理由がなくても、私がプレゼントしたいのだから、それでいいんじゃないか」
と、おかしな自分の気遣いや思い込みを私はバッサリと捨てた。

したい時にできることをすればいい。
親が、私にそうしてくれたように。


お茶を入れて、台所から見える景色に目を向けた。ここからは、桜は見えない。
今日は、私は聞き手になろうと思った。

口数が少なくなった父と私は、ラジオのように喋り続ける母の話をずっと聞いていた。
「私の分のマットレス、やっぱり注文しようかな、確か、さっきの人、誰やったかな。」
と母が言い出したので、それはさすがに止めたけれど。

「栗田さんだよね、私、覚えてしまったわ。でも多分、もう、電話口には出ないだろうけどね。」
そんな私の言葉が聞こえていなかったように、母一人が、ずっとしゃべり続けていた。




帰り道は、人通りの多い桜並木をやめて、私は住宅街を歩いた。
ちょっと、泣きながら歩いた。

来週は、桜も散り始めているだろうか。
桜並木、父にも見せてあげたい。

ひんやりした夕方の空気をたっぷりと吸い込んだ。身体の隅々まで膨らませるくらいに。
次は、夫と一緒に自宅で待っている娘のために、自分に元気を注入する。

薄手のジャンバーのファスナーを首まで閉めて、小走りで自宅へ急いだ。
住宅街の桜は、少しずつ散りはじめていた。




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