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バカだから勉強するのか、勉強をするからバカになれるのか。
勉強しますか?
こう聞かれたら誰もが一瞬怯みそうですよね。
例に漏れず私も。いやもしかしたら私だけかもしれないですが。
社会人(俗称)になってからも英語を学んだり、学生みたいに参考書を開いて勉強していると大抵は「すごいね」とか「意識高いね」と言われた事はないでしょうか? もちろん職務上必要であれば気にならないような会話でしょうが、どうしても私にはモヤモヤしてしまうんです。
趣味を聞かれて、「勉強」と答えるのは変でしょうか?
なんだかそう答えた時のような相手の反応が少し苦手です。(いや、気にしすぎなんだろうけど)
他にも、友達との会話で最近勉強したこととか、「あの実験に似てるね!」みたいなのをテンション高めに話した時のコンセンサスを得られなかった瞬間も重い空気に潰されそうで大の苦手です。。。
メシアとなった本
そんな言葉にするのも厄介な感情に蝕まれていた私を救済してくれた本がありました。以前読んだ『現代思想入門』の著者である千葉雅也さんの『勉強の哲学』です。*今回は文庫ではなく単行本のページを参照しています。
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概要
気鋭の哲学者が追究した本格的勉強論
勉強ができるようになるためには、変身が必要だ。
勉強とは、かつての自分を失うことである。
深い勉強とは、恐るべき変身に身を投じることであり、
それは恐るべき快楽に身を浸すことである。
そして何か新しい生き方を求めるときが、
勉強に取り組む最高のチャンスとなる。
なぜ人は勉強するのか?
勉強嫌いな人が勉強に取り組むにはどうすべきなのか?
思想界をリードする気鋭の哲学者が、
「有限化」「切断」「中断」の技法とともに、
独学で勉強するための方法論を追究した本格的勉強論。
勉強して失うもの。
今までの人生において、勉強をすることでたくさんのものを得られると考えていました。恐らく多くの人も同様にそう考えているでしょう。しかし、想像以上に失うものもあったのです。
深く勉強するというのは、ノリが悪くなることである。
「勉強」というと少し理解するのに時間が必要かもしれません、単純に知識や情報とするとわかりやすいでしょうか。その瞬間、流れの中の会話において過度な情報を与えたり、専門性の高い話題に持っていくことはあまり要求されないと思います。
私の陥りうる状況としては、コーヒーが好きという前提のみ共有している人との会話で、「好きな産地は?」「クリーンカップなコーヒーが好きだなあ」と言ってしまうことです。知識や経験(コーヒー専門店に通っているか等)が必要な話題になってしまい、下手すると「知識でマウントを取っている」と言われかねません。
このような状況では、知っていることを言わないという選択をしなければならず、モヤモヤします。なぜなら相手のコンテクストに寄り添うことができなければ、流れを壊して会話の情報量を増やすことになるからです。
ノリが悪くなるくらいならいいのですが、
勉強とは、喪失することです。
勉強とは自己破壊である。
少しショッキングな文言ですが、なんとなく自分の経験や考えに近いと感じたのでグッと飲み込みました。
本書の文脈とは少し違いますが、学んだことで純粋に物事を楽しめない自分を感じた時に身をもって実感します。
例えば、
一昔前のテレビ番組を観るときに、今の私であれば容姿への過度な言及・いじり、性別や年齢のステレオタイプの押し付けなどがあればその発言に気を取られて純粋に楽しむことができないでしょう。
学ぶということはアップデートのように見えて、実は自分の破壊と再構築の作業だったのでしょう。一度乗れるようになった自転車でコケることできないのと同じでしょう。
単語のような「私」
私たちは、環境によって別の顔を見せるーこれは、「キャラを使い分ける」と言われたりしますが、「使う」というより、キャラが「変わる」の方がふさわしいでしょう。外から影響されていない「裸の自分」なんて、あるでしょうか?私たちはつねに、他者との関係で「そういうノリの人」なのであって、他者から自由な状態なんてあるでしょうか?
個性とは「他者依存的」なものである。
よくある自己啓発本では、「自分の人生は自分で決めろ!」や「自分の人生は自分にしか歩めない」みたいな文句が見られますが(イマジナリービジネス書から引用)、それとは正反対の主張ですね。私はこの考え方がすごく好きです。
愛知県民として生まれていなかったらこんなにも味噌カツや餡子を好きになってなかったでしょうし、感受性の高い時期に親の影響で洋楽を聴いていなければ英語なんてさっぱり分からない状態になっていたかもしれません。
他のものによって自分が決まるという構成。まさに単語のようです。
隣接する単語の意味によってその単語の意味が定まる感じ。
アイロニーとユーモア、そしてナンセンス
言語を周りのノリから引き離し、それ自体として、玩具的に使うことで、自由に可能性を操作する。そのテクニックをこれから説明します。
それは、大きく二つあります。みなさんおなじみの、お笑いにおける「ツッコミとボケ」です。このペアの機能を、本書では、「アイロニーとユーモア」と呼び直して説明したい。
ツッコミ=アイロニーとボケ=ユーモアが、環境から自由になり、外部へと向かうための本質的な思考スキルである
これは斬新なアイデアではなくて、お笑いを分解してみると分かりやすいですよね。(しかしこの発想は羨ましい)
日常会話の体裁を利用した漫才やコントは、「当たり前」に対して逸脱していくことで面白くなっていく。そしてそれを上手くボケとツッコミで処理する。
アイロニーとユーモアは、「過剰」になるとナンセンスな「極限形態」に転化する。
適度な距離感を保つことができると「面白い」お笑いとして成立するが、行き過ぎてしまうと自己満足と言われたり、文学のように難しいと感じてしまう。
だからこそお笑い芸人さんの凄さを実感できるし、憧れる。
キモくなってしまうワケ
ここでは思わずクスッとする上に、上手い喩え話を共有しましょう。
筋トレで本格的に筋肉を増やすには、同時に脂肪がつくのを我慢しなければならない。ボディビルの専門的な説明を読めばわかりますが、脂肪を落としながら筋肉量を増やすのは無理なのです。いったん「増量期」に入って、筋肉と脂肪を一緒に増やしてから、その後、トレーニングを続けつつ食事制限をし、できるだけ脂肪のみを落とす「減量期」に入るのです。これと似たように、勉強においてもいったん、知性と同時にキモさがついてしまう「増量期」を経て、その後、キモさを減らす「減量期」に入るというわけです。
いったんノリが悪くなる、キモくなる段階を経てから、新たなノリに至るーー「来るべきバカ」になる
自覚ありありで恥ずかしくなります。
喫茶店とかコーヒーショップに行った時に、連れに対して(ひどい時には店員に)延々とうんちくを披露しているおじさんってめっちゃキモいじゃないですか。
まあ私も気を抜いたらなってしまいますが、、、
今度からそういうおじさんを見かけたら、「今増量中なのかな。これから減量頑張れ!」と応援しようと思います。大抵のおじさんは減量期を迎えないと思いますが。もっと言うと、そもそもちゃんとしたトレーニング(体系的な学習やアウトプット)をしてないで、毎日お菓子(雑学本やネットの記事)ばっかり食べてるだけでしょうね。
アイロニーとユーモアは、「過剰」になると、ナンセンスな「極限形態」に転化する。
中途半端な状態だけでなく、「過剰」な状態にも気を付けないといけませんね。
稀に見かける理解不能な芸などはこの類に該当するのでしょう。
ナンセンスな場合もあれば、受け手(自分)の知識が不足している場合もあるので見極める力も必要でしょう。
アイロニーとユーモアに関してはたくさん記述がありましたが今回はこの辺で。
今の学びに自信を持てた
最後の見出しですが、器用貧乏で注意力が散漫になりがちな私に自信を与えてくれた文を引用します。
むしろ積極的に三日坊主を利用して、目移り的=ユーモア的に、複数の専門分野を「横断的」に勉強することをお勧めしたい。 僕は、三日坊主的にあれこれ勉強するなかで、分野の垣根を越えたつながりが見えてくるのが、勉強の醍醐味だと考えています。
私は本格的(?)に読書をするようになって3年目くらいです。普段から併読をしていますが、次第に学問ジャンルを超えた繋がりが感じられる瞬間が増えてきて、度々歓喜することがあります。その喜びは間違いではないと後押ししてもらえた文した。
昔から趣味がコロコロ変わったり、三日坊主になったり、一つのことを極めることが苦手で、「飽き性」という言葉が自分の心の中に大きく貼り出されていました。この本を読んでからは、むしろそれが個性であり自分の強みになり、自信に変わっていくだろうと励ましを貰えた気がしてすごく嬉しかったです。
まとめ
今回は、勉強の目的や効果、そして向き合い方に対して悩んでいた私の救世主となった本の紹介でした。
みなさんは勉強しますか? そしてそれは「自分」にどのような影響がありますか?
破壊と構築の繰り返しをこれからも続けていきたい所存です。
前回の記事
現代人の必読書。過言ではない。
今回紹介した本
最後まで、いや飛ばし読みでも、読んでいただきありがとうございました。
気ままに読書の感想や日頃のハテナを書き綴ってます。
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ではまた!