noteを目の前で読まれる
「最近の記事で好きなのは“でかい猫”かな」
夜。家でまったり珈琲を飲んでいると
だしぬけに嫁様がつぶやいた。
ん、でかい猫?
もしかして私の書いたnoteの話してる?
「そうだよ。あのゆるい感じ、いいよね」
そうなのだ。
ウチの嫁様は自分でnoteを書いていないが
私の書いた記事や、私のゆるゆる企画
「仲良し夫婦サークル」で集まった記事を
そこそこ読んでいる。頼んでもないのに。
ぎゃー恥ずかしい!
私の目の前で私の書いた記事をふむふむと
じっくりたっぷりねっぷり読まれるなんて!
ぎゃー恥ずかしい!顔から火が出る!
…と思っていたけど意外にもなんともない。
「へぇ、そうなんだ」とまるで他人事のように
嫁様に返事をしている自分がいる。
むしろnoteを読んで、夫婦の話題にしてくれて
嬉しいなあとさえ思っている。
・・・
私は学生の頃から文章を書くのは好きだったが
他人に私の文章を見られるのは大嫌いだった。
異常に恥ずかしいからだ。
クラスメイトの前で作文読み上げなんて地獄。
授業の一環で仕方なくやらされたときなんて
自意識過剰が過ぎて顔は耳まで真っ赤だった。
そんな私が学生の頃、密かになりたかった職業は
ゲーム雑誌の攻略記事を書くライター。
つまらない授業中にはよくライターになりきって
ノートの端っこに記事っぽいのを書いていた。
でも他人に見せるのが恥ずかしすぎて
書いては消す、書いては消すを繰り返していた。
我ながらなにやってたんだと思うけど
めちゃめちゃ楽しかった記憶として残っている。
書くのは楽しい。
でも他人に見せるのは嫌だ。
たぶん、私は、自信がなかったのだ。
雑誌掲載レベルの文章が書けないヤツが
文章を他の人に見せるなんておこがましい。
素人が夢見てんじゃねーよ!って。
見せていいのはそれを職業にしてる人だ!って。
自分で自分に言い聞かせていた気がする。
あの頃の私は病にかかっていた。
自分で勝手にハードルを設置して
身動きが取れなくなっていたのだ。
文章なんて、誰でも気軽に書いていいのに。
かしこまった文章なんか
誰も読んでくれないのに。
ちゃんと書かなきゃ!ちゃんと書かなきゃ!
今となっては笑い話だけど当時の私は
いるはずのない「何か」と戦っていた。
書かないことで自分を守っていたのだ。
・・・
そんな自意識過剰男が、愛するワイフに
はい、読む?となんら気負わずに
noteを読ませられるようになったのは
ひとえに自信がついたからだろう。
私はnoteで書く前
別のSNSで記事を書いていたのだが
それがどうやら自信に繋がったようだ。
ウケた文章は反応がすばらしく
ウケなかった文章は反応が薄い。
実にシンプル。
(どうしてウケたんだろう?)と
自己分析に時間を費やすこともしてたけど
あんまり深く考えすぎてしまうと
書きたいことも書けなくなるので考えない。
のびのびと、好きなように書くほうがいい。
このへんはバランスなんだろうな、と理解。
「効率の良いランニング法」の書籍を
ひたすらインプットしまくるよりも
とりあえず1kmでも走ってこいって話だ。
私はこのほうが合ってるし、楽しくできる。
ってなことを続けていたら
(もう他人に何万回と読まれたしなぁ)と
自分の文章を見せることへの抵抗が減った。
そんな気がする。
とはいえ、あくまでも「抵抗が減った」だ。
文章ってのは自分の心の内を晒すのだから
100%恥ずかしくないってワケじゃない。
わざわざ嫌いな人を捕まえてきて
「はい、読んで」とはさすがに言えない。
お金をいただく文章だったらいざ知らず
無料で、しかも「自分のための文章」は
できるだけ好きな人に読んでもらいたい。
うむ。だから大好きな嫁様には
目の前で読まれても問題ないのだろう。
むしろ内心喜んでいるのだろう、私は。
私は学校教育賛成派だけど
どうもその弊害として「周りに合わせる病」
「ちゃんとしなきゃ病」にかかる人が多い。
そんな気がする(もちろん私もかかった)。
noteはそんな病を癒やしてくれる場所だ。
もっとnoteが広く認知されたらいいのに。
今日も私はnoteで「楽しさ」を享受する。
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