エポケー(判断中止)でつながる世界
いろんな事、いろんな場面で「中止」となる(またはする)こともあるだろうけど、このエポケーって言うのは、おそらく”今”あなたがイメージしてる「中止」と少し異なります。
目の前にあるモノは客観的ではない(かもしれない)ということ。
例えばこんな感じです。
木で作られた椅子のような台があって。ある人にとっては座るモノに見え、ある人にとっては上り台に見え、ある人にとってはに単に燃料となる薪に見えるかもしれません。
それぞれの置かれている状況/環境/立場などが異なるから、意識が異なる「志向性」を持っていて、それによって見える世界も異なってきます。
そのようなとき、それはイスである、それは台である、それは燃料である、という認識の違いが生じます。
立ち現われてくる確信を一先ずどこかに置いておく(“カッコに入れる”と表現され)専門用語では「エポケー(判断中止)」と言われます。
「イスがある」と思ったとき、客観的実体のように思える「イス」をカッコに入れ(エポケーし)、なぜその知覚対象が自分に「イス」として入ってきたのか、認識する対象が自分の主観に立ち現われてくるその背景/条件/理由を考える⇒「現象学的還元」
ビジネスの場面でも、最近ではタクシーが「人をメインに運ぶ」から「物をメインに運ぶ」宅配事業が社会状況に合わせ展開されるように、本来「運ぶ」とはどういうことなのか。と考える視点もヒントにもなりそうなエポケー。
私たちが持っている客観的な世界観はあくまでも主観的であって、さらにそれを確信するわけでもなく、無視するわけでもない中途半端な経過措置として一旦「保留」にしておくというエポケーの考え方をみんなが認識できれば、対話できる余地が広がり、世界は繋がり始める気がします。
「現象学的還元」(客観的事実を一旦保留する)エドムント・フッサール
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