書きたいのに書けない、というお悩み
私の職業は心理セラピストなので、いろいろと悩み事や相談事をきく。
中でもそれなりに多いのが、ビジネス用のサイト、ブログやSNSを立ち上げたり継続することができないという悩みだ。
そして私も似たような経験をしている。今日はそんなことを書いてみたい。
書けない、続けられない!
私は書くのが嫌いではない。が、「続ける」のは得意ではない。
そんな私にとって、投稿すると「褒め言葉」やメダルがもらえるというnoteは「続ける」ためのシステムが整っていて心強かった。
だが、悲しいことに、それでも続かない。
「豚もおだてりゃ木に登る」が、おだてられても木に登り続けられない(笑)。
といっても「続けられる」ようになりたかったので、noteをはじめ、様々なブログの書き方や、SNSの活用の仕方といった講座で学んだ。
そしてどんな講座でも共通して言われたのがこの3つだ。
そうなのだ…そんなことはわかっているのだ…。
でもできない。
そして、ある時、私は決めた。
私の心の深くに「アドバイス」では解決できない何かが潜んでいる。
それを見に行こう。
と。自分の仕事を、自分に活かそうと思った。
きっと、だれも読まない。永遠に。
私は「書かない」という行動を生み出している
「ものごと」の見え方を解体しはじめた。
人は「世界観」や「意味付け」にあわせて行動する。
その世界観や意味づけは、ひとりひとり違うけれど
その人にとっては「あって当たり前」すぎて、
ちがう世界観や意味づけがあることに、普段は全く気づいていない。
「私は、自分が書くものをどうみているのだろう?」
改めて自分に問いかけみるところからスタート。
すると、出てくる出てくる、ネガティブな思うがワラワラと!
やれやれ….こんなふうに信じていたらわざわざ書くわけもない。
普段は
「続けていれば、誰かがちゃんと読んでくれる」と思ってる"つもり"だった。
でも、それは 「そう思おうとしている」 "だけ" だった。
ここでふと疑問が湧いた。
私は「要約」「報告書」といった「まとめ」は得意だと自覚していた。
こうした内容については「誰かが読んでくれる」し、
「みんなを幸せにする」と思っている。スラスラ書ける。
「まとめ」だったら私が書いたとしても「価値がある」と思える。
↑:ChatGPTが得意そうなエリアが得意(笑)
そう、価値がないのは「自分自身にまつわることを書いたもの」なのだ。
理由は簡単。「私に価値がない」という思いを信じ込んでいたからだ。
くだけたことばでいえば、
と無自覚に信じ込んでいた。
ビジネス向けのブログやSNSの書き方などの講座で、
冒頭に書いた3つに加えて
よく「あなたらしさを発信しましょう」といわれていた。
しかし、心の深くで「ゴミな私」と信じているのだ。
「わたしらしさを発信した」ブログやSNSを書くことは
「私はゴミです〜」と世間に公表するようなもの。
大袈裟に言えば、自滅への扉を開けるようなもの(苦笑)。
そんなわけで
私は「書かない」ことで「私=ゴミ」だとバレないように自分を守っていたのだった。自分を生きながらえさせていたのである。そりゃあ書くわけない…(笑)。
というわけで、
私がブログやSNSを書けなかった心の仕組みを単純化するとこうなる。
おきていることに、抗わない
「自分らしく」
「いいね!やコメントがなくても、気にせず定期的に書き続けましょう」
もちろん、これらは素晴らしいアドバイスで
この教えでモチベーションをあげる人もいる。
ただ、この教えが私を動かすことはなかった。
「書かない」ことで、自分自身を守ろうとしていたのだから(自覚してはいなかったけど)。
教えられたことができないのは、時に苦しい。
特にできるようになりたいこと、に関しては。
だから「できるわたし」になるように頑張ったり
「どうして教えてもらったのにできないんだろう」と自分を責めて凹んだり、
「教えが悪い!」と、教え自体や教えた人を責めることもあるかもしれない。
でも、いったんここで
自分に起きていることに、あらがわず
起きていることを、深くみつめていく
ということが、苦しみから抜ける一歩につながる。
この教え通りに動けない/動こうとしないのは
自分の心の奥深くに何があるんだろう?
という、柔らかで暖かな眼差しを自分自身に向けてあげる。
何が自分におきているのか仕組みを知れば、
どう働きかければいいのかもわかってくるだろう。
カラダの状態でいえば
痛いのに無理やり動かしながら「できない、できない」と困るのではなく
検査やテストで「痛み」のおきる
カラダのメカニズムを見極めてから
治療方針を考えることができるようになるのと同じだ。
気づいた思いと、一緒に生きる
と、ここまで書いたが、
私は、まだまだブログやSNSをサラサラっとアップできるようになったわけではないのだ、ははは。
ただ、
「私=ゴミ」という思いが、
見えないくらいに全身の隅々を支配していたのが、
自分の手で抱えられるほどのサイズになった。
「完治」はしていないけれど、「だいぶ軽くなった」というところかなあ。
今日も「ゴミなこと書いたな」と思いながら、「公開」のボタンを押す(笑)。
「私=ゴミ」「私の書くこと=ゴミ」という思いが
私を「書こうとさせなかった」ように、
「書けない」と相談にいらした方々も
普段は全く気づいていない
「書こうとさせない」思いや感情をたくさん抱えていた。
そうした「もろもろ」を抱えつつ生きる姿を心から尊敬するし
「書けなくったって、あなたの価値は1mmも減らないよ」と思う。
「書けない」と悩んでいる誰かさん、とっても気持ちはわかるよ。
でもね、みんな大差ないよ。ほんとにね。
今日の一言
今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。