苦しみを「見える化」するのは難しいのは何故?
今日も「ココロと苦しさとの付き合い方」をつらつらと。
「こころ」は目に見えないものです。だから私たちは「こころ」を「みえる化」して様々にコミュニケーションをはかってきました。
「こころ」のなかでも、「苦しみ」を「みえる化」するのは特に難しいでしょう。
たとえば「買い物リスト」とか「来週の予定」などは「みえる化」が簡単ですね。浮かんだことをとりあえずメモっていけばいいです。
コドモに今晩のカレーライスの材料を買ってきてもらうための買い物リストを作ろうとしたら、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、お肉、カレールーなどをイメージしながらリストを作りますね。あまりにも自動的にやっているので気づいていないかもしれませんが。
このように「みえる化」するには、「みえる化」するための内容を頭の中に思い浮かべるという作業が必要になります。それも結構具体的に。
ここまで書けばおわかりかと思います。「苦しみ」を「みえる化」するのが難しいのは「苦しい中身」を思い浮かべるという作業が必要だからです。
私たちは「苦しみ」は好きではありません。苦しみに触れたくない。遠ざけたい。取り除きたいと願っています。
「話すことは、つらい思いを放つこと」というCMがあります。素晴らしいコピーだなと思います。本当にその通りでしょう。
それでもできないのは、このように「話す」ためには、こころのなかに漠然とある「苦しみ」に触れるというプロセスが必要になるからです。
苦しみが大きければ大きいほど、話すのはつらくなります。また苦しみを感じないように無意識にこころにフタをしていることもあります。
こんな風に書くと、大きな苦しみを抱えていたらもう楽にならないのか?という救いようのない話をしているように思われるかもしれません。でも決してそんなことはありません。
少しずつ書いていくので、また続きお付き合いいただければ嬉しいです。
今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。
あなたの苦しみ、話せなくても、それでいいよ。
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