痛みは最強|ココカリ心理学コラム
Adoの歌は「私は最強」、Nyodo結石は「痛みは最強」。いやいやマジでダジャレにもならない痛みであった。一説によれば、女性は陣痛、男性はこれが生涯で一番痛いのだとか。昨年12月に尿路結石を患った。
左脇腹下の違和感とコーヒー色の血尿が生じ、ビックリして泌尿科でCTを撮ると、腎臓の近くにキラリと光る石が見えた。痛みはなく、その後も数日間は何事もなく、やがて血尿も止まった。このままスルッと石が出てくれたらいいな、痛み止め処方されたけど必要なのかな、なんで座薬なんて薦めてきたんだろ、なんて呑気に構えていたら、激痛は突然に朝方やってきた。
痛い、痛い、痛い、もう痛いなんてもんじゃない。指圧もさすりも効かないし、体勢も座位も臥位も立位も全部ダメで、痛みから解放される隙間が全くない。痛みによる嘔吐で経口の鎮痛薬を飲むことができず、3時間ずっと七転八倒していた。20代の私の本棚に並んでいた「図説 死刑全書」には古代の拷問方法がたくさん描かれていて、これはどれくらい痛いだろうとヒヤヒヤ想像しながら読んでいたのだが、今回の尿路結石はその片鱗をみせてくれた。それくらい痛かった。
痛みは最強
身をもって知ったのだが「痛み」はもの凄いパワーを持っている。思考が止まり、足元はふらつき、身体に力が入らない。意識が痛意に全て持っていかれ、心身が痛みに支配された。ドラマの拷問シーンで「いっそ殺してくれ」という台詞があるが、その感覚がわかった気がする。例えば高温サウナや絶対零度の冷蔵倉庫では「このまま居れば死ぬだろう」と想像できるぶん救済があるが、終わりの見えない耐え難い痛みには希望がない。痛みは精神崩壊にもってこいだ。
薬は希望
痛みが自律神経を刺激し、腸管が反射性麻痺することによる嘔吐をした。しばらく吐き続けてたら湯が飲めるようになり、ようやく鎮痛剤を服薬し寝れた。人生でこの時ほど、ロキソニンのありがたみを感じたことはなかった。
心療内科に勤務していると「精神薬は依存性が怖いので服薬したくない」と投薬拒否する患者さんがいる。個人の判断なので否定する気は無いが、私は薬は必要に応じて使うべきだと考えている。
薬が怖い理由のひとつに「薬の知識を持っていない」がある。これは社会心理学の内集団/外集団の考えで説明ができる。ヒトは知っていることには対内凝集するが、知らないことには対外排斥する傾向がある。客観的な基準がなければ「なんとなく嫌だ」という心理的な作用でその可能性を潰してしまうのだ。もったいない。薬については皆もっと生理学から勉強するべきだと思う。
人は忘れることで生きていける
激痛期は過ぎ、たまにくる鈍痛期の最近になって気が付いた。結石の痛みを、体験で記憶して、質量で憶えていないということに。
通常、脳は痛みを覚える。なぜなら痛みは死につながるので、痛みを避ける行動を取らせようとするからだ。事実私は、10年前の肘骨折の痛みをありありと憶えている。ちょっとでも曲げてしまった時に生じるあのビキビキっとした激痛を。だから骨折したくない意識が今も働いている。今回の尿路結石はどうか。痛みレベルは骨折以上だったものの、脳に残っている嫌な感じの記憶では、骨折>結石なのだ。
この理由を考えてみると、結石は不可抗力でなってしまうもの、年に何回も罹るものではないこと、石が出てしまえば治る、あたりにあるかもしれない。
我が統制力が発揮される場面であれば、自分の意識次第で事態回避することができる。逆にそれが叶わない時は、事態を受け入れるしかないし、状況に合わせて対処していくほかない。脳の立場からすると、骨折はある程度は回避可能なので、痛みの記憶を残すメリットがある。一方で結石はメリットがない、むしろデメリットの方が大きいと判断しているのだろう。
デメリットのひとつに、痛みに固着してしまうと、予期不安に駆られて動けなくなる(生活できなくなる)ことが生じえる。病名にしてしまえば、心気症、心身症、不安症、PTSDなどである。こうした事態を避けるために、脳は意図的に痛みを忘却しているのかもしれない。鎮痛薬で痛みは抑えられたこと、この痛みが結石の痛みと因果が判ったことも、忘却を促進させている要因なのかもしれない。
ヒトは忘却の生き物、忘れることで救われることもある。自分にとって楽しかったことや都合のいいことは覚えておき、苦しかったことや具合の悪いことは忘れて生きていこう。表面的にはそれでいいと思う。
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さて、発症から約2ヶ月が経ち、先日、主治医による進捗確認の診察がありました。年明けから最近まで不定期に鈍痛があり、まだ残っているのかと思っていましたが、レントゲン写真では結石は消えていました。どこかのタイミングで出てくれたのでしょう。完治。じゃあこの鈍痛は何?の疑問は残りますが、ひとまず一件落着です(と半ば強引に思い込むようにしています笑)。通常モードに戻して、またバリバリと生活したいと思います。
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