描く心象は無意識の表れか 風景構成法|臨床心理士への随録 心理学
9月下旬のゼミ室にて風景構成法の練習会が催された。私はその存在は知っていたものの、教示や解釈などは無知に近かったため、先入観なしに描き進めることができた。クレヨンで色つけて完了。時計を見ると40分が経過していた。
風景構成法とは、精神科医である中井久夫がHTPテストをベースに考案した描画投影法による心理検査の一種である。元々は統合失調症患者との言語的交流を補うために創案さた。A4サイズほどの画用紙に、川、山、田、道、家、木、人、花、動物、石、足りないものを順に描いていく。描画者には今から風景を描いてもらう旨だけを伝え、具体的に何を書くかは伝えない。検査者は描画者に描いてほしい対象物をひとつ教唆し、書き終えたら次の対象物を提示する。ひとつずつ示して絵に加えてもらい、全体として繋げていくのである。最後に彩りをつけて完了となる。
さて、みなさんはこの絵から、どのような印象を受けるだろうか。
解釈の仕方は学派や流派によって様々である。例えばユング派は対象物に無意識を重ねる。創案者である中井は明確な方略を定めておらず、捉え様はいかようにも存在しており、正解はない。
今回、検査者は、区画のピシッとさ、きっちり感、横一文字の道が印象的だったとコメントをくれた。数日後、少し熱が冷めた状態で改めて自分でこの絵を見たときに感じたことを綴ってみる。
川を無意識の表れとすれば、この絵の川は手前から奥へ流れるイメージで描いたので、今現在の私のリビドーは外界へ向いていると解釈できるだろう。川は手前の枠線からきっちり描き始めているが、奥手の対象物(水平線、道、山の裾野)の端は枠線から離れている。手前を自分、奥手を自分以外とみれば、ユング性格類型で「内向-感情型」である私がよく現れている。
田が意味することは諸論あるが、私が感じたこの作品における田は「富」の象徴であり、稲を刈り込む姿が、貯金切崩し生活を支え合う夫婦(馬と荷車を子どもに見立てるなら家族)に重なってみえる。石はしばしば懸念事や躓きを表すが、田の開墾から出た石はすなわち経済的な不安であり、傍にきれいに並べられていることから、整理されながらも危機感を持ち続けていることを示唆しているのではないだろうか。
絵の左側を過去、右は未来、上が社会で下は心の中という解釈方法もある。左には実りの秋における田や木が描かれており(会社員時代)、中央には左右を分断する川があり(今の心理を学ぶ大学院生活)、右には自宅を含む集落がある(この先は心理屋として生活していく)。道は左(過去)から右(未来)へ続いており、縦断する川には橋(現在)が架けられている。
こじつけ、といわれたらそうかもしれないが、心の中に湧いたイメージを描くという意味では、その人の中に無いものは描けないわけで、やはり描かれた絵の中には何かしらの意味が込められていると考えた方が自然であるように思う。
以下は、中井による訓示である。ただただ深い。単眼と複眼を織り交ぜて見る訓練が必要だと痛感した。(「中井久夫著作集 別巻 風景構成法」より)
・一人で部屋の隅で描かれたいわゆる病理的絵画と、面接の場で描かれた絵画、あるいは面接の場で何ごとかを伝えるために描かれた絵画は、全く質が異なる。後者は言語に直せるかどうかは別として、強いメッセージ性がある
・絵画に正常・異常の別は立てられない
・非常に強烈な体験を一挙に表現するには、絵画の方が適している。複雑な対人関係の図示にしてもそう
・芸術性は防衛であることがある
・絵画にはひとつの流れがある。縦断的に見てはじめて意味が浮かび上がってくること
・症状と絵画の平行性は必ずしも正しくないし、そうでなくても浅薄であると考える
・全体での解釈と、パーツごとの解釈があろう