こんにちは。 軽く自己紹介させていただきます。 現在、通信高校2年生のこころと申します。 志望校だった高校に入学し2ヶ月で不登校に。 2学期の初めに全日制高校を辞めて、通信高校に編入しました。 その後、地元から遠く離れた、父の単身赴任先に引っ越すことになりました。 外に出かけても知り合いに会う可能性がないのは、すごく気が楽になりました。 自分のペースで少しずつ前に進めています。 最近になって自分が重度のHSPであることを知りました。笑 知れてよかったです。 2年
小さな時から自分の性格を親に否定されて育つと、本当に生きるのが辛すぎる。 私はもともとHSPだけど、家庭環境が良ければここまで酷くなってなかっただろうなって思う。 自己肯定感が本当に低すぎて生きるのが辛い。 自己肯定感は低いけど愛されたい欲が強いからプライドが高くてろくに恋愛もできない。 経済的にはかなり余裕のある暮らしだったけど夫婦喧嘩も絶えなかったし、自分の素の性格を弱いだとかダメな奴だとか否定されて生きてきた。 だから誰にも自分の素を出せないし、遊ぶ人によって性
自分は弱い。他の人よりもメンタルが弱い。性格も考え方もネガティブでダメな奴。 そんな風にずっと考えてきた。 自分のことが嫌いだった。 昔から。 でも周りの人に私の印象を聞けば、明るい、いつも笑顔、悩み事なさそう、自分の事好きそう そんな答えが返ってきていた。 私は弱い自分を隠すために、自分のことが好きな自分を演じていた。 傷つくことを言われて泣きそうになっても、弱い自分は見せたくなかったから、いつも平気なフリをして強がっていた。 弱い自分を守るために人を攻撃するこ
私をいちばん泣かせた人。 私をいちばん傷つけた人。 私をいちばん苦しめた人。 それが私の父親です。 幼い時から、理不尽なことで怒鳴られ、私の性格も考え方も全て否定してきたお父さん。 怒られる私が悪いんだとずっと思っていました。 それでも父のことはずっと好きでした。 父親がいると息の仕方も忘れるくらいで、顔色を伺って、父の機嫌を悪くしないようにすることで必死でした。 家に父親がいるだけで安心できる場所ではなくなりました。 父親は私の前で母親を悪く言う。 家事な
中学生の頃、1年間お付き合いさせていただいていた元彼くんとのお話です。 中学生の恋愛は遊びだ なんて言う方もいらっしゃいますが、私は本気で恋をしていたなあと思います。 たしかにその頃の言動や行動を振り返れば、本当に子供だったなぁ と後悔することばかりですが、好きという気持ちだけは本物でした。 落ち着いていて、悪口を言わなくて、すごく優しい人でした。 私たちは1年間も付き合いましたが、1度も手を繋いだことがありませんでした。 お互い、隣にいるだけで嬉しくて、話すことだ
私はもともと自己肯定感が低く、つらい、悲しい、寂しい という気持ちを人に見せるのはいけないことだと思ってきました。 そんな私が不登校になり、つらい気持ちが隠し通せないほどになり、母は初めて見る子どもの姿に困惑しただろうと思います。 ずっと引きこもって寝てばかりで、その当時は父親は単身赴任中、下に3人弟妹がいる 犬もいる。 そんな状況だったのにお手伝いもせず、自分のことで精一杯だった私をずっとそばで支えてくれた母は、私にとって世界一のお母さんです。 いつまで経っても前
不登校だった頃、お母さんが少しでも楽になるようにと、カウンセリングに連れていってくれたことがありました。 正直乗り気ではなかったのですが、たくさん調べて探し回ってくれていた母の気持ちに応えたかったのと、少しだけでも楽になりたい気持ちがあったので行くことにしました。 女性の先生に、 どうして不登校になったのか を1からはなすことになりました。 思い出したくもないことだったのでかなり辛かったです^^; それでも少し人に話すことで肩の荷がおりた気がします。 ですがそのあと、
はじめまして。 自分の経験が少しでも誰かの役に立ってほしい という願いを込めてnoteを始めてみました。 現在、通信高校に通っている私ですが、以前は全日制高校に通っていたごく普通の女子高生でした。 中学生の頃、私が思い描いていた高校生活は漫画のようにキラキラしていて、 帰り道に友達と寄り道して遊んだり、 甘酸っぱい恋をしてみたり、 文化祭で可愛い服を着てたくさん写真を撮ったり、 絶対楽しいんだろうな〜と想像してはワクワクしていました。 高校受験に向けて一生懸