隠されていたもの
先日、1泊2日で横浜へ行ってきました。
もう慣れたもので、Mrs.のLIVEならどこへでも行けてしまう、大好きのパワーって偉大です。
七夕以来のLIVEだったけど、3ヶ月と少しぶりで体調もかなり楽になっていて、それに見合った現実が展開されているなぁという実感もあり。
とにかく心地よくて自由なLIVEだったなぁ。
束縛感のないフリーダムな場のエネルギーを感じて、Kアリーナという会場が大好きになりました。
(以下少しネタバレあります)
SS席で会場左側の前から10列目というなかなか良い席だったのですが、持っている靴の中でいちばんヒールが高いブーツを履いていっても、背が低いわたしはステージが見えず。
ま、でも視覚的な満足にこだわらず、エネルギーをそばで感じられるならそれでOKと思っていたら、なんと左上の壁沿いから大森元貴が登場するというサプライズ。
多分5メートルくらいの距離だったと思います。
なんの障害物もなく、彼が歌う姿を見上げることが出来て、その余りの近さに声を上げてしまいました。
その時、もうここで帰れって言われても帰れる!と咄嗟に思ってしまったくらい、全身でいろんなことが腑に落ちたような満たされた感覚になりました。
すごいプレゼントをもらった気分。
旅の道中、日常的によく発動してるけど見過ごしてしまっている観念が何度も出てきて、帰りの飛行機に間に合わないかもしれない!という電車の乗り間違いを経て、やっとちゃんと“見る”ことが出来ました。
おかげさまで、飛行機には待ち時間なく驚くほどスムーズに乗れてしまい、これまでの“保険”的なパターンは、もしかしたらもういらないのかもしれないなと思えました。
エネルギーがたくさん動いたことで、帰ってきてからも心地よくない感情が出てきてもやもやしていたら、部屋に入ってきた一匹の“蛾”の存在によって気付かされることもあり。
それに気付いたときは驚くほどスッキリして、ようやく無意識に目を逸らしていた感情を認められた瞬間でもありました。
どんな負の感情も認めてしまえばスッと消えてしまい、なんであんなに必死に認めようとしなかったんだろう…と不思議な感覚になりました。
でも、その奥にはもっと根源的な恐れがあって、それは“自分の生がなかったことになるんじゃないか"という恐れでした。何かカタチを残し名前を残さなければ、生きた証なんてなく、忘れ去られてしまうという恐さ。自分が表現するものを理解されない恐さ。
若い頃の方がこの恐れをずっと抱えていて、それを打ち消すために結果を出すための行動をしていたのだけど、充分すぎるほどの結果を出して、認められ賞賛されたような気がしても、結局はますます追い詰められるばかりで、満たされることはありませんでした。
(外側に求めてるから当然なんですけどね。)
それに気付いて無闇矢鱈に動くことがなくなると、そういった恐れは感じることもなくなっていって、でもまた浮上してきたという感じです。
たった一枚絵を投稿するのに覚悟が必要なくらい腰が重くなってしまうのは、きっとそこらへんの観念が明らかになってきたからなのかな。
このタイミングで出てきたのも、いろいろと気付き手放せるタイミングだからなんでしょう。
そして大森元貴という人に惹かれた理由も、奥底に抱えていた観念とともにどんどんと明らかになっているようです。
きっと一度や二度で消えてしまうような観念ではなさそうなので、いろんな角度からまた気付く必要はありそうだけど、そういうのは流れにお任せしておこうと思います。
わたしの“好き”には、そして“嫌い”にさえ、わたしの抱えているナニカがたくさん隠されています。
White Light 〜鏡の世界〜
雪山のような白い光を逆さにすると、雨のように見えるところや、光を挟んだ空と湖が逆さになると、宇宙と海の波のように見えたりするところがお気に入りです。
あなたの鏡を通して見えるものは、何ですか?
Instagramで素敵なコメントを頂きました✨
Heart Window
流れる風景みたいな絵を描いていて、なんだかそのままだと気に入らなくて、何ヶ月かしてからうっすらと白を重ね塗りしたあと、ハートの窓枠と花のフィルターを描き加えてみました。
もし心の窓辺にフィルターがあるのなら、こんなフィルターがいいな♡という感じです。
観ていると、あったかい心地よさに浸れる、個人的にお気に入りの作品です。
どちらももう1年以上前の作品。
今なら落ち着いてフラットに観れる。
やっぱりわたしはわたしを通して生まれた作品が
大好きです。
最後までお読みいただきありがとうございます。