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歩く瞑想 〜マインドフルな旅 in ベトナム 

2024年8月7日〜11日にかけて、ベトナム南部にある慈徳寺で行われたリトリートに参加した。ティク・ナット・ハン禅師のマインドフルネスのプラクティスをするためだ。

今回は、このリトリートでも毎朝あった、わたしも大好きな歩く瞑想をご紹介したい。

この瞑想に出会って本当によかった。
世界とのかかわり方、自分とのかかわり方を、少しだけれども一瞬で変えることができるように思う。

参加したリトリートについての記事は、文末のnoteマガジン内にあるので、関心のある方はそちらをご覧ください。

境内をゆっくりと歩む(Từ Đức)


なぜ歩く瞑想をするのですか

ティク•ナット•ハン禅師は、なぜ歩く瞑想をするのですか、と聞かれると

好きだからですよ

と答えていたという。


坐る瞑想は、ただ坐ることを楽しむためにする。

歩く瞑想は、ただ歩くことを楽しむためにする。

考えながら歩く、目的地に行くために歩く。
そうではなく、ただ歩くために歩く。

一瞬一瞬を楽しむ。

深くみつめれば、どんな些細に思えることのなかにも、きらめきや不思議さ、喜び、あじわいがある。

立ちどまること。
立ちどまるから見えてくること、気づくことがある。

茶色の長衣を着ける僧侶たち(Từ Đức)


朝6時の歩く瞑想

朝5時からの坐る瞑想のあと、短い休憩をはさんで6時から歩く瞑想が始まる。朝の空気はまだ涼しい。

この短い休憩に出してくれる出来立ての豆乳のおいしいこと。
体がほっとする。

これはティーテーブルを担当するボランティアの方たちが用意してくれるもの。
日中は水やお湯とお茶、コーヒー、手作りのジュース、氷、お菓子などを切らさないように準備してくれる。
特に暑さのきつかったこの期間、この配慮が本当にありがたかった。

豆乳をつくる様子(だと思う。自分でつくる豆乳はこんな感じになる)(Từ Đức)


朝6時、広場に皆が輪になって集まる。
毎朝、歩く瞑想をリードする僧侶がお話をしてくれる。

(Từ Đức)


大地にキスをするように

急いでどこかに行くのではなく
一歩一歩、足の裏で大地を感じながら歩く。
息を吸って1、2歩、息を吐いて3、4歩、などのように。
足の裏で大地にキスをするように。

全身をリラックスさせる。
どこかに向かうことを目的にするのではなく、ただ歩くことを楽しむ。

そして、お寺の境内をゆっくりと時間をかけて歩き出す。
静けさに包まれて、それぞれが一歩、また一歩と歩む。

ひとりであり、共にいる。

朝日のなか、緑が生き生きとしている。

お寺では菩提樹を見かけることが多い。
この美しい葉っぱのかたちや不思議にまがりくねった幹を見て、うっとりしてしまう。

菩提樹の葉っぱ
菩提樹の下に坐すブッダ像


歩く瞑想は、沈黙で行われる。
親しい人の手をつないで、一緒に歩くこともすすめられる。

ティク・ナット・ハン禅師は、よく子どもたちの手をとって歩いていた。

途中で、数分間立ちどまる。
歩みのリズムを一度止めて、リセット。

深く、ゆっくりと呼吸をする。
もう一度身心をリラックスさせる。

そして、再び歩き始める。

だいたい45分ほど歩いて、元の広場に戻り、一礼をして終了する。

このあとは朝食になる。

歩く瞑想は、ただゆっくりとすればいいわけではない。
速いスピードでも、気づきを向けて歩くことはできる。
日常でいかしやすいプラクティスのひとつだ。


プラムヴィレッジ公式の歩く瞑想

こちらの公式サイトで歩く瞑想について書かれているので、ぜひ参照いただきたい。

「瞑想で歩くということは、自分自身が歩いていることを分かっているように歩くことを意味します。すべての歩みを楽しんで、ゆっくり歩きます。私たちは、地面と足が触れていることや、呼吸の流れに気づきます。過去の後悔、未来への不安や恐れ、現在の先入観などの思考から自分自身を解放します。一歩一歩の歩みと共に100%今に存在するのです。」



その他の歩く瞑想

ちなみに、他の歩く瞑想、歩行禅はどのようなものか比較してみたかったので、参考まで記しておきたい。

わたし自身は、ヴィパッサナーの歩く瞑想を一時学んでいたり、アメリカのウパヤ禅センターで4ヶ月間滞在したときは、下記の歩行禅の文章で言われている臨済宗と曹洞宗の中間くらいのスピードで歩いていた記憶がある。

参考:ヴィパッサナーの歩く瞑想

資料が手元にないので、覚え違いもあるかもしれないが、自分としては以下のように実践している。

これは、スーパースローな歩く瞑想で、室内のせまい場所、畳一畳でもできる。
歩幅はごくせまく、10cm程度だろうか。
体の一瞬一瞬の動きと反応を感じ、気づき続けている。

そして、特徴的なのは、気がそれたら止まること。
考えや、イメージがパッと浮かんだり、何かに気を取られたら、それに気づいて、立ちどまる。

これは、頭のなかを、歩みで実況中継しているようなもので、自分でも気がそれたことを強く実感しやすい。
解像度高く微細な感覚を追い続けるため、深い集中に入りやすい。

わたしは、この歩く瞑想のあとに坐る瞑想をするのが好きだ。

こちらに1-2年ほどの間、何度か通わせていただいた。


参考:歩行禅、経行(きんひん)

こちらは、円覚寺の横田南嶺老師の書かれた文章。
わたしがヴィパッサナーの歩く瞑想で感じたことを、端的に言い表されているように思う。


写真提供:慈徳寺のサンガ(Tăng Thân Chùa Từ Đức)

表紙及びいくつかの写真は、こちらのFacebookページから借用させていただいた(Từ Đức と書いてあるもの)。ボランティアの若者たちが毎日あちこちを撮影をしていた。

https://www.facebook.com/chuatuduckhanhhoa


続きます。

7/17に始まったこの旅ももう終わり。でもまだ記録しておきたいことがたくさん。ということでもう少しおつきあいください。

noteマガジンで旅の記録をつけています。
フォローしていただくとよろこびます。


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