見出し画像

〈YOGA〉ヨガ哲学で対となる言葉 #1

アートマンとブラフマン、プルシャとプラクリティ、バカヴァーンとブラフマンなど、聞いたことがあるけれどどう違うの?一緒なの?と、ごちゃごちゃになってしまう言葉ですよね。

私もごちゃごちゃになっていたので、整理してみたいと思いました。

アートマンとブラフマンとは?

一元論の学派で出てくる言葉。
バカヴァッドギータなどに出てきます。
ヴェーダンダ派の教えから来ています。

アートマンとは?

  • 個我。自分自身の本質。個人。

ブラフマンとは?

  • 宇宙全体の根本原理。宇宙を創造したもの


ヴェーダンダの大切な教えで『梵我一如』というものがあります。

梵=ブラフマン
我=個人


宇宙と自分は一体であるということを表しています。

私たちは、個人主義的で利益を自分のものにしたがりますが、梵我一如の考え方は、周りの人や自然もみんな一緒であるとし幸せを分かち合うという考え方です。

自分(アートマン)と自分以外、ひいては神様(ブラフマン)も自分と一緒であるという教えです。


一元論で書かれている教典

  • バカヴァッドギータ

  • ウパニシャットなど

プルシャとプラクリティとは?

二元論の学派で出てくる言葉。
自分の本質はプルシャであり、自分と物質は違うものであるというものです。
自分を追求した考え方。
サーンキヤ学派から来ている考え方です。

プルシャとは?

  • 真我。自分の本当の姿。

  • 純粋な個性。見るだけの存在。

  • 真実の自分。魂。

プラクリティとは?

  • 物質の根本原理。

  • 物質世界のもの全て。

  • プラーナ(エネルギー)、思考、感情、自我(アハンカーラ)、知性(ブッディ)など、認識できるものは全てプラクリティ。

人間がいた時に、私の考え方や私らしさは本当の自分であると考えてしまいますが、ヨガ的にいうとそれは否となります。

何が本当の自分であるか?というと体がなくなってしまっても、自分の中にはプルシャがあり次の体に移ることができる言われています。
魂に近いものであります。
ただ、魂には自分の過去記憶や思念も感情、思考、トラウマなどのプラクリティがついてきてしまうのて、まだ純粋性が足りないものとされます。

プラクリティである体を脱ぎ捨てたとしても、やり残しの後悔やトラウマがあるとそれらがプルシャにくっついてきてしまう執着や感情はプラクリティなので、また輪廻の輪に戻ってそれを落としに行くことになります。

プルシャだけの存在とは、純粋な姿なのでもう輪廻転生をしなくても良い状態のことです。

プルシャだけの状態は、全ての苦しみ煩悩を捨て去ると、輝いている幸福感に満ち溢れた明るい純粋な状況になります。

その状態になることをモクシャといいます。

プルシャを感じる為には?

一歩外から俯瞰して見ること。
見方を変えることで、ヨガはプルシャ側の立ち位置から、自分を見てどうしたら自分の人生を良くしていけるのであろうかを考えること。

プラクリティをなくすことで、プルシャだけの存在になることを目指していますが、私たちは体などのプラクリティを持って生まれているので、命が尽きるまではこの体を大切に使うことがじゅうようなのです。

この辺りは、アーユルヴェーダにもつながる考え方ですね。

また感情もプラクリティなので、この感情が喜んでいるとか、悲しんでいるとかを無視してはいけないのです。
ただ、そこに執着して一喜一憂するのはちがうのですが、その感情を眺めて子供のように可愛がってあげることが大切です。

二元論で書かれている教典

  • サーンキヤ哲学

  • ヨーガスートラ


バカヴァーンとブラフマンとは?

バカヴァーン(Bhagavan)とブラフマン(Brahman)は、インド哲学やヒンドゥー教において重要な概念ですが、それぞれ異なる意味と役割を持っています。
以下にその違いをわかりやすく説明します。

バカヴァーンとは?

バカヴァーンは「神」や「尊敬される者」を意味します。具体的な人格神を指すことが多く、ヴィシュヌ、シヴァ、デーヴィ(女神)などがバカヴァーンとして崇拝されます。

  • 特性
    バカヴァーンは人格的な神として、特定の名前、形、属性、物語、そして信仰の対象としての役割を持ちます。情感や愛、帰依(バクティ)を通じて信者と関わります。

  • 信仰
    バクティ・ヨーガ(献身の道)では、バカヴァーンへの愛と献身が中心となります。信者はバカヴァーンに祈り、儀式を行い、神との個人的な関係を築きます。

ブラフマンとは?

ブラフマンは宇宙の根本原理や絶対的実在を意味します。具体的な形を持たない、無限で無形の存在として理解されます。

  • 特性
    ブラフマンは非人格的で、全ての存在の背後にある根源的な力です。全てのものの中に内在し、同時に全てを超越するものです。サンカルパ(意志)や形を持たず、あらゆる属性を超えた存在です。

  • 信仰
    ジュニャーナ・ヨーガ(知識の道)やヴェーダーンタ哲学では、ブラフマンの理解と自己の本質(アートマン)がブラフマンと一体であることの悟りが目指されます。
    これは知識と瞑想を通じて達成されます。

バカヴァーンは、人格的で特定の形と属性を持つ神ですが、ブラフマンは非人格的で形を持たない絶対的実在です。

信仰の形態としては、バカヴァーンはバクティ(愛と献身)を通じて信仰されていますが、ブラフマンは知識と瞑想を通じて理解されるものです。

役割としては、バカヴァーンは特定の神話や物語、儀式の中心であり信者の個人的な神ですが、ブラフマンは宇宙全体の根源的な力であり、全ての存在の背後にある原理です。

このように、バカヴァーンとブラフマンはヒンドゥー教の中でも異なる側面を表現しており、それぞれの信仰や哲学において重要な役割を果たしています。


いかがでしたか?
意外と耳にするけれど、よく分かっていなかったりごちゃごちゃに捉えていたり、同一かなと思っていたりしていたので、とてもスッキリしました。

こちらについての詳しい内容は、参考にさせていただいた下記のリンクをご参照ください!
ヨガ哲学の講座もしているとのことなので、私も参加したいなぁと思っています。

アートマンとブラフマン

プルシャとプラクリティ

いいなと思ったら応援しよう!

cococaru(インドヨガ&Jyotish)🪷心と体のクリアリング
良い活動をしていけるように頑張ります٩( 'ω' )و

この記事が参加している募集