人生の肩書を考える
ないないない、肩書ない。そう、わたしには、肩書がない。
課長!部長!社長!みたいな、THE プロフェッショナル 仕事の流儀みたいな、肩書は、もちろんないが、○○ちゃんのお母さん、○○さんの奥様、○○くんの彼女、みたいな、人生の肩書もない。もちろん、芸名だってない。
(愛亀のお母さんは、ノーカウント?え、なんで、四足歩行だから?)
ちなみに、戸籍が抹消されない限り、○○家の娘さんで、あり続ける。(平安時代じゃないんだから、大丈夫)
ただし、それは、生まれたときから、右頬についている、ほくろと同じ。人生の歩みと共に、選んだり、勝ち取ったり、失ったりするものではない。
でも、同年代には、公務員で時短勤務しながら、○○ちゃんと○○くんのお母さん業をこなし、○○さんの妻です。みたいに、3つ以上の肩書ホルダーが、ゴロゴロいる。
部長で、○○ちゃんのお父さんで、○○さんの夫だけど、実は、○○さんと付き合ってます、彼氏です、秘密です。っていう、欲張りクウォーターも存在する。
かたや、肩書ゼロでも、悠々自適に、何不自由なく、毎日楽しそうに、生きているひともいる。
その反面、肩書がないことに、内心、焦り散らかしているくせに、それを悟られないよう、平然装って、生活していたひとも、ここに、ひとりいる。
肩書って、なんだろうね。愛亀に聞いてみたけど、自分には、甲羅あるけど、肩はないから、分からないって、言われた。
でも、肩に、あまり重たいものを乗せると、窮屈で、動けなくなるよ。って、飼い主水替えが出来なくなったら困るとて、真剣に、注意された。(嘘つけ)
肩のない愛亀ぇぇ…。良いこと言うじゃないか。(だから嘘つけ)
肩書って、「自分はこういう者です」って、簡単に、正確に、表現できる、生きる名刺だと、思っていた。
だから、肩書を持たないってことは、外に、自分を表現する術がないんだって、思っていた。
「えぇっと、自分は、なんていうか、まぁ、こんな感じの自分そのもの、天然素材っていうんですかねぇ、はい」みたいな感じ。(はい、不採用)
仕事での肩書は、属している組織から評価されています。って、紅白のタスキを、いつも、かけているようなものだと。
社内メールを送るとき、個人名の後ろに付いている、大なり小なり、役職名を見るたびに、紅白のタスキが、目に浮かぶ。役職には、権限と、報酬が与えられている。欲しがる民がいて、当然だ。
そんな彼らは、紅白のタスキだけでは、飽き足らず、恋人、夫婦、親子だけでは、まだまだ、飽き足らず、そこに、不倫相手まで追加して、肩書の錬金術を、続けている。
最近では、どうもご苦労様です。と、すれ違いざまに、手を合わせて、拝みたくなる。(やめろ)
そんなに肩に乗せたら、重くて、体が動かないでしょ。わたしの身軽さを、見てごらんなさい。グルコサミン?そんなもの、飲んじゃいませんよ。
わたし?わたしなんて、名乗るほどの者ではありません。ただの、カブトニオイガメ飼いです。(鋼の錬金術師に寄せてる奴、ここにいる)
肩書は、その人を、端的に表しているだけで、正確には、表していない。
わたしの肩書は、雪国生まれ雪国育ちの、カブトニオイガメ飼い(気に入った)だが、ご存じの通り、すべてを表現しているわけではない。
きっと、肩書の欲張りクウォーターだって、1枚のピザで、そのひとのすべてを、表現できているわけでは、ないんだと思う。
それなら、肩書欲しさに、望まぬ血を流す必要はない。肩書なんてなくても、天然素材のわたしは、尊い。肩のない亀は、もっと、尊い。
今日も、絶対に入れない、小さなシェルターに、頭を突っ込んで、マイケルフェルプス並みの、強靭なバタ足を、繰り出していた。もちろん、入れない。だけど、尊い。
名もなき亀と、名もなき飼い主の、名もなき詩を、これからも、noteで表現していければ、それで、十分です。
あ、いちよう、名前はあります。あ、亀の方です。え、はい、あ、飼い主もあります。
肩書:トゥモローネバーノーズのカブトニオイガメ飼い(増えたやないかい)