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ありのままの自分で生きると決めた日 エッセイ#44

アメリカに移住した途端、私の人格は変貌した。

というのも、アメリカでは、

「きちんとした人」「真面目な人」
「時間に正確な人」

という扱いをされる私。

日本では、cocoは、

「大雑把」「超、マイペース」

「遅刻しないようにいつも必死(でも時間を守るのが苦手)」

という感じで、まるで違った人として扱われていました。

けれど、確かに、細かいことをあまり気にしないイージーゴーイングな人が多いアメリカでは、

相対的に、私は「きちんとしている真面目な人」なのだと思う。

つまり、「同じ私なのに」

いる環境や、コミュニティ、周りの人の価値観によって、

まるで違った評価をされる。

結局、「他人の評価」って、「相手によるもの」なんだ。

そう痛感したのでした。

相手の生い立ちや経験によって出来上がった、
「相手の価値観」を通して、

私をどんな人間か判断するわけだから。

同じ私でも、相手によって全然違う見方をされるのだ。

それを目の当たりにした時、

そんな水物のような、掴みどころのない他人の評価を恐れて、

無理をしたり、自分の本質や本音を押し込めたり、自分の色を捻じ曲げるのは、

あまりにも虚しく悲しいことだと、気づいたのです。

嫌われないように、とか、

気に入ってもらえるように、とか、

どんなに頑張っても、

言ってみれば、「他人が私にする評価」は、

私にはどうにもできないものであり、

つまりは、相手の自由なのですよね。


そう実感した時、

もう、ありのままの自分で生きよう!

自分の本質や本音を、自分の色を大切にしよう!

そして、いつでも、自分の中に、自分の正解を求めていきたい!

と、心底思ったのです。


それからというもの、

アメリカの個性を受け入れる文化にも助けられながら、

「私は、こうしたい。」

「私は、こう思う。」

という、自分の本質や本音を大切に、

ありのままの自分で生きてみると、

自分自身の中に無理やズレがなくなって、

本当に本当に、生きやすくなりました。

そして、

自分を偽らないから、自分のことが好きになった。

しかも、

そうやって生きていると、

ありのままの私を受け入れてくれる人たちが、周りに現れるんですよね。

もう一つ、大きな気づきだったのは、

ありのままの自分で、誰かに嫌われると、

あっさり諦めがつくということ。笑

相手に嫌われないように、自分を装って、
相手に合わせて、頑張って、

それでも嫌われてしまうと、

「何が悪かったんだろう?」

「なんかしてしまったのかな?」

って、すごく苦しくなるのに。

ありのままの自分で嫌われてしまうと、

そりゃ悲しいけど、でも、

「しょうがないな!」

って、めちゃくちゃさっぱり、諦めがつくんですよね。

ありのままの自分で生きるって決めて、
本当に良かったと思う。


だから、これからも、

(もちろん、相手に対する愛や配慮は大切に♡)

自分の本質や本音、

「自分の色」を大事にしながら、

ありのままの私で、

ありのままの私を大切にしてくれる人たちと、

胸を張って生きていきたいと思います☺️

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coco inアメリカ
最後まで読んでいただき、ありがとうございます♡

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