記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

#42 歌われなかった海賊へ


揺さぶられた。
とてつもなく揺さぶられた。

すごいものを見た。ほんとうにすごかったの。

目にした光景、知られざる事実、
彼らエーデルヴァイス海賊団の姿に
最期まで心を動かされ、
こんなに感情の振れ幅が大きい読書体験は久しぶりだった。

驚くほどの余韻に包まれている。。

どうにか物語を見届けた後に実感していく
この構成の上手さ、見せ方。

明かされた事実に紐解かれ見えた景色。

こう繋がるのか、こう交錯するのか、
なにより語り手の存在が見えた時のあの震えというかシビれというか、、、

とにかく再読必至なんです。

見えるものが大きく変わってくるので、
あの時あの場面での出会い、
言葉を詰まらせたあの時の心境、
空白の時間を経て発せられたあの言葉の重み、、、

現在、過去、未来、
どの軸にも強い想いが生まれてからの、
再読で味わう感情の落ち着きのなさが
本作の凄さを物語っている。


ナチ体制下のドイツで
自由を求め生き抜いた少年少女たちの物語。

無視されてはならない声が、
たくさん詰まっていた。

この先いくら時間が過ぎても
忘れることなどできない作品。

ずっと自分の中に残るであろう、
人生の一部になるであろう作品に出会えた。



私ごとの話に突入してしまうが、
この上ないご縁によって
刊行前に読ませて頂ける機会を頂いた。

ゲラと呼ばれる
本として形になる前の試し刷りをされたもので、本とはまた違って特別な感じですごく好きなやつ。
(実際、編集者さんはこのゲラに校正という編集作業をされているので、編集者さんが手にしているものと同じものを見れている喜びがこの紙にあるのです。)

この作品がどの層、どの作家さんを読んでいる人に響くと思うかを考えることがテーマで、

その他もろもろの事前情報は受け取らず、
純粋に物語を読ませてもらった。

読み始めてすぐに思う。
あら、この翻訳者さんはだれなんだろう。
すごく読みやすい文体。
あっという間に引き込まれるし、海外文学作品で時折感じられる異国感がまるでない不思議な感覚。(近くに感じられるという良い意味。異国感というか、その世界にすっぽり入れるというニュアンスが近いのかな。)

ほんの数十ページだけでも十分に感じられる
言葉のうまさ、物語への引き込まれ方。
それに舞台設定、作者が問いかけよう投げかけよう訴えかけようとしている序盤からの気配。

どこかで感じたことがある。

この既視感、、、
同志少女だ!!!そうだ!!!

これは、、、
逢坂先生の新作ってやつでしょうか??
細胞が大騒ぎ。

もしかして、ひょっとしての天秤が一気に傾き
決め手になったのがタイトル。

逢坂先生を感じられる、というよりか
タイトルに逢坂先生の声が宿っていたの。

このタイトルの持つ強さ、
意味するであろうどこまでも引っ張っていってくれるであろう感覚。
筆のうまい人が連れてってくれる、臨場感。
『同志少女よ、敵を撃て』の時に感じたものと同じだったの。

もうね、逢坂先生以外考えられない!と勝手に結論づけ、一人納得して満足感を味わっていたことが思い出される。

改めてすごい書き手さんだと、実感していた。

五感に訴えかけられ、研ぎ澄まされ、
この独特の乾いた空気感や
漂う張り詰めた空気、
心情の描かれ方の繊細さに

" 好きと信頼 " を置いた天秤が
一気に重くなっていたのだから。



" 殴り方を教えたい "
この言葉に込められていたもの。

怒りや憎しみの矛先はどこなのか。
正しい目で見極め、自らが抱く怒りの根源を。
嘘のない、自分と向き合った先に見つけられる怒りの正体を。

拳の固め方やフォームではない、
自分らしく生きるための戦い方を。

ヴェルナー、レオンハルト、そしてフランツ。
それぞれが相手の目を見て、苦しみや葛藤、もがいているもの戦っているものを分かろうとしていた。力になろうとしていた。

ブレイディみかこさんの
「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」では、エンパシーとは他者の靴を履いてみることだと表現されていた。

殴り方を教えたい、は
あなたの力になりたい。と、
手を差し伸ばす声に聞こえた。
その背負っている重荷をすこしでも、と。

だからこそ、
ヴェルナーからレオンハルトへ。
そして、レオンハルトからヴェルナーへ。

フランツからムスタファへと、
受け継がれ届けられるエンパシーの声に心を掴まれていた。

君の抱える怒りも、憎しみも、君だけのものじゃない。

自らの怒りを自らのものにすることができた。


自分らしく生きることとは、
一体どういうことなのだろう、、、

レオンハルトからの手紙には、
感情も涙もとめどなく溢れ、悲しみに打ちひしがれてしまった。

明かされる
ヴェルナーと出会っていた日のこと。
支えになっていた言葉。
どうにかして作り出せた彼らの居場所。

様々なものに込み上げてくるものがある。
そして、何よりレオンハルトが怖いと話すものの正体。
いつになったら、、、と吐露していく
あの零された気持ち。

明かされた胸中に胸が締め付けられ、
こんなに苦しいことがあっていいのかと、
心からこんな偏見や
自分とは違うものを排除しようとする人間がいなくなればいいのに、と思った。。

ただ自分に正直に、
自由に生きたかっただけなのに、
どうしてこんなにも多くのものが奪われてしまったのだろう。。

だれにも気持ちを否定すること、
剥ぎ取っていい権利なんてないのに。

趣味嗜好やだれを好きでいるかは当然自由で、
だれにも奪われてはならない領域よ。

目盛りのずれたものさしを使って勝手に測るなんて。
勝手に作り上げた価値観で決めつけるなんて。

生まれや肌の色、置かれた環境、
好きな人のちがいで
どうしてこんなに押しつぶされなきゃいけないのだろう。
受けるべきではない理不尽な差別、勝手に貼られていくレッテルというものに心底嫌気がさした。


__


悪を前にして、正しさを求めることが
彼らを突き動かす力になっていたけれど、

それぞれが、
社会や家庭という小さな社会から弾き出され、居場所を失くし、孤独ゆえ失くすものがない、
居場所を奪われてしまっていたことによって生まれていた突き動かされる力というものもあり、つらいものがあった。

彼らを強くした信念の一部にはなっていたけれど、命が惜しくないと突き進んでしまう前に
生きづらさや息苦しさをどうにか和らげてあげたかった。

彼らの力になり
守ってくれる人が欲しかったと思ってしまう。

複雑な感情が生まれるけれど、
信念を貫くこと以上に
彼らの命が大切だと思ってしまったから。

居場所も奪われて、命も奪われてだなんて、、、
許し難いことだから。

って、これもある種の偽善者だったりする。。?

文字通り彼らは命懸けで悪の根源に立ち向かい、勇気ある数々の言動で示してくれたものがあったのだから。燻るものとも同時に戦いながら。

そして時間を経て、
逢坂先生によって編み出された作品を通して映された姿に、大きな影響を受けて考えさせられることがたくさんあるから。
彼らの足跡から見て学ぶことが多く、改めて悪に対する思いや今の自分を振り返ることに繋がっているから。
彼らが最後まで守り抜いた、貫いた信念を目にして、彼らを無意味にさせないと強く思う読者が生まれているから。

ただね。居場所を作ってあげたかった。
守ってあげたかった。
そう。そんな気持ちが生まれていたの。

居場所をつくることは
こどもの未来を守ることでもあり、
大人の役割でもあると強く感じられた。


______

圧力に抗えなかった。
声を出せなかった。
その他大勢の声に飲み込まれてしまった。
この自責の念は、
相当重い苦しみがのしかかると思う。

再読してあらためて目に入る

「それなのにどうして忘れさせてくれないの。」

この訴えかけるような涙ながらの声に、
胸が詰まった。

僅かな勇気が、ちいさな声が集まれば変わっていたかもしれない事実。

綺麗事のように感じられるかもしれないけど、見て見ぬフリをして、自分の保身のためだけの言動で、だれかの人生を変えて奪ってしまうことがあることも確かなので。

その場限りの生ぬるい安心感との引き換えに
権力に屈することで失われていくもの。
待ち受ける代償の大きさ。

自己欺瞞を繰り返すことの逃げ道しか残されず、苦しみからも逃れられず、自分らしくとも自由とも程遠い世界に身を置くことになってしまう。
なにより胸のつかえに一生苦しめられてしまう。

だれかのために行動を起こせる、
だれよりも献身的で、
生徒を想う気持ちの強かった先生。

ホルンガッハー先生の苦しみは、
時間が経てば経つほど増大していっただろうし、あの時の選択、口から出た言葉に嫌と言うほど苦しめられ、増殖する自己嫌悪、自己矛盾との闘いは悪夢だったと思う。

だからこそフランツの存在が消せない事実の象徴でもあり、過ちを暴く脅威な存在としても映り、不安の種でいっぱいだったと思う。

出来ることなら何もかも気持ちに鍵をかけて、
クローゼットの奥の奥にしまいこむように。
だれにも触れられず気づかれないように。

でも、
どこかでだれかに仕舞い込んだ箱を開けてもらい抱えていた苦しみ、後悔の念を知ってほしい、同じ過ちが二度と起こらないよう、自分と同じ誤った選択が生まれないよう、ある種の教訓のような、未来の子どもたちに望みをかけるような。

彼女なりの風化させない、自身への戒めであり、過ちをもう見て見ぬフリしない決意のようで、そしてこの戦争を忘れてはいけない、戦争を知らない時代に生まれる子どもたちへさまざまな想いを託して生まれたであろう歴史の課題。

過ちは、どうやっても消せない。

それでも、どこかで
清算しなければいけない気持ちを抱えて、せめてものの償いのような、、、
いや、彼女なりの " 責任 " を果たそうとしていたのだと思った。

エルフリーデの言葉が蘇る。

他人をごまかして、自分をごまかして、本当の自分に向き合うのを避けて一生送ることになる。
私は嫌だ、私は見た、私は聞いた、私は、人の焼ける臭いを嗅いだんだ。その責任を果たす。


似たような同調圧力に耐えられなかった経験はきっとほとんどの人が味わってきたもの。

あの空気感。逆らえない空気。 

" 権力者に従う " ことによる
目立たない、火の粉が飛んでこない安心感。

1人違う声を出せば際立ち、
下手すれば崖から落とされかねない怖さが漂うあの感じ。
そんな居心地の悪さと得体の知れない有形無形の怖いものから遠ざかるように、自身の声と葛藤して、必死になだめて折り合いをつけて。

きっと聞き入れてもらえず弾かれるだけだからと心を折って、仕方ないと諦めて、自分の負けを認めて。。

その間にすっかり疲弊させられているものだから、" 声を出す " " 意志を貫く " " 心の声に正直に " なんてことが、どれだけ遠いもので大変なことかもわかる。

だからこそ、
彼らの悪に立ち向かう強さと信念に心が動かされたし、
最後まで何重もの圧と対峙し闘い
都合の良い大人のおとぎ話を打ち砕く、
あの姿からは、同時に自身の擦り減ってしまったものにも気付かされた。

俺たちはお前が人生をかけた理想を実現させるための人形じゃない。


ルドルフ・シェーラーを形作った背景、思考回路にはなんとも言い表せない虚無感に苛まれる。
自分を正当化させる故の生み出した苦しい、哀れで愚かな発想。なんだけれども、それしかなかった、という所がこの上ない哀れみで。
苦しい溜め息がこぼれる。

渦中ではあれだけ憎いと思っていた存在が、
別のフィルターを通してその人物の内面、
そうせざるを得なかった背景や心情、葛藤、
その人が辿ったであろう選択、抱えなければなならなかった自己欺瞞に触れて、考えさせられた。



外からと中からでは、
見える景色が違っていたりする。

こうであるという決めつけ、先入観、
他者からの言葉だけでは見えない姿がある。

エピローグで語られる真実、
そして、フランツの空白の時間。
声は届くどころか掻き消され、挙げ句の果てに頑固親父というレッテルまで貼られるに至った、待ち受けていたものの実態に言葉を失くす。

他人からみたフランツの見え方や評価がわずかな描写だけでも、数多の人からどんな視線を浴び、どんな孤高の闘いを余儀なくされていたかが伝わり、当時のフランツを知るが故により胸が苦しくなった。

フランツが最後まで、ひとりになりながらも守り抜いたあのプレート。
忘れさせない訴えかけるものでもあったけど、
かつての仲間との信念を象徴する海賊旗のようにも見えた。

気持ちはあの頃の彼らとともに。

少年時代の純粋無垢なフランツの面影が思い出され、意志を引き継ぎ、最後まで孤軍奮闘する姿に胸がいっぱいに。

あの頃の無知な自分への後悔や戒め、
勇敢に闘い抜いた仲間たちの勇姿の形でもあり、「盗むな」の一言に込められた絶対に風化させたくない強い気持ち、周りからどう思われようともどう言われようとも守り抜く姿が、

"信念で戦え"
そうヴェルナーからかけられていた言葉をひと時も忘れていなかったであろう姿に見え、胸が熱くなった。


逢坂先生の
声を届けることに特化した文章、
決して独りよがりにならない、
置いてけぼりにさせない文章、
純文学作品で見受けられる作家さんの感性から生まれた追いかけたい文章の形ももちろん好みではあるけど、
逢坂先生の一貫して、
届けることにフォーカスされたこの文章の集まりが大変好みだった。

きっと読まれた方みなさんが思うことでしょうが、文章や構成、声の届けかた、描こうとしたもの、、、
どれをとってもシンプルに素晴らしかった。

そして、
さまざまな賞があるけれど本作は、、、
一読者の声が届く
本屋大賞に選ばれて輝いて欲しい作品。

もう書店員ではなくなったので、
一票を投じることは叶わないですが、

この作品は、
本屋大賞にふさわしいと感じている。

読んですごくよかった、好みだった、
とかの感覚を超えて、

本屋大賞は、広く深く長く読み継がれて欲しい作品が選ばれているし、
この作品はもっともっと読んでほしい、知られてほしい、この作家さんの素晴らしさが知れ渡ってほしいと気持ちが前のめりになる作品なので。

そして今まさに状況がちがえど、
飛び交う問題と重なるものがあって


" あなたはどうしますか?"

この投げかけられた問いに、
あらゆることに当事者意識を強く持たねば、と響いた。

この問いにも込められた、
今を生きるわたしたちが見過ごしてはならないこと、悪事に対しての向き合い方、圧力といったものや、正しさ、戦うべき本当の相手とは、どんな自由を心から求めて生きていくのか。

見て見ぬフリ、聞こえないフリ、
遮断することで自分のセーフティスペースを確保して安心するような、
はたまた喜んで騙されることのないような、大多数に染まらない見極める目と勇気を持つ必要がある、と。

本書がその確かな手がかりになってくれることは間違いない。

彼らの最後まで闘うことを諦めなかった姿から学んだことを、無駄にしてはいけない。

ホルンガッハー先生の姿から何をどうしたらよかったのか。
この答えに窮する問いに、わたしたちは向き合わなければいけない。
そして考え続けなければいけない。
誰しもに起こり得ることだから。

考えて考えて一歩前に踏み出したそのちいさな声は、きっと誰かの耳に届き、次第に多くの人たちで奏でる歌声になりえるだろうし、その声に耳を澄ませられる人がひとりでも多く生まれているはずだと信じている。

怖ければ一緒にうたおうと手を差し伸ばす人でありたいし、差し伸ばされた手をちゃんと掴める人でもありたい。

負の連鎖はどこかで断ち切りたい。
そのどこか、は
自分以外のだれか、ではなく
自分自身がその鎖を引き剥がす " 当事者 " でありたい。

それでも、
守る存在の有無や、実際の圧力を前にしたら
変わってしまうのかもしれない。。

断言できない自分に情けなさも感じるが、
今はそう思ってることは確かで、
本作から教わったことを胸に刻んでいたい。。

エーデルヴァイス海賊団がいたことを
終戦後のフランツの孤高の戦いを
逢坂先生の緻密な研究により再びエーデルヴァイス海賊団を生き返らせてくれたこの物語をたくさんの人に見届けてもらいたい。

沢山のことを教わった。

忘れてはいけない、なくしてはいけない力を。
だれかの影、悪の影に隠れないことを。
一側面で勝手に決めつけず相手を見て知ろうとする眼差しを持つことを。
自由を求める心を。
他人や時代の圧力に屈せず、自分が正しいと思う生き方を生き抜く尊さを。

物語も文化だ。
本作が届けてくれた文化に読んだ人たちの声が集まれば、みんなの声が重なりひとつのメロディーになるはずだ。

あらゆるものを超えて繋がれるであろう、
歌い継がれるであろう文化になると、
そして、わたしたちのこれからを照らしてくれる大切な光になるものだと信じている。


さて。
本作がどの層、どの作家さんを読んでいる人に響くと思うかについて。

朝井リョウさん、塩田武さんの作品が好きなかたに強く響くものがあるかなぁと。

朝井リョウさんの『正欲』や『死にがいを求めて生きているの』といった作品から、
自分の価値観が痛いほど大きく揺さぶられ、あまりにも読む前とでは見える世界が変わる、この殴られる感じがお好きなかたにぜひ。
もしくは、朝井リョウさんの作品が痛すぎてしんどいといったかたにも。
本作は痛みがありながらも、エンドロールで味わう余韻でしたり、繊細な優しさに包まれる感覚も味わえるので、そういった方も読める作品です。

塩田武さんの『罪の声』の作品から、
犯罪に巻き込まれてしまった人の人生に迫った、元新聞記者ならではの緻密な構成に引き込まれ、強烈な感覚を味わいながらとにかく考えさせられる作品がお好きなかたにきっと。
史実に基づき、もしかしたらこうだったのかもしれない、こんな人がいたのかもしれない、こんな思いを味わっていたのかもしれない、と作家さんの想像力や感性によって広げられた世界から、見る目が養われる、育てられる感性がお好きなかたにぜひ。

映画「LIFE IS BEAUTIFUL」は、
ナチス収容所が舞台の作品。
収容所という過酷な環境のなかで、愛で守り抜いたものが描かれ、"どんな状況下でも人生は生きるに値するほど美しい" と込められたメッセージを思い出していたり、、、

「縞模様のパジャマの少年」、
「スポットライト 世紀のスクープ」、、、

思い出される作品はいろいろあったり、
どんな読者層に響くのかについてはおふたりを挙げさせてもらったけれど、

結論。
" どんな人にも届く " 作品だとおもいました。

どんな作品を
これまで好きな方でもしっかり届くと。

そして、
世界でも日本でもどこでも起こり続けている争いや対立、分断に強い憤りや危機感を覚え、常に思考を張り巡らされている方、

目の前の相手をもっと知りたい分かり合いたいと思っている方にとっても、強く響くものがあるだろうなぁとおもいました。

片想いをしているような、、、
一方的に想いを寄せて、
ここまで長々と書いてしまいましたが、

とにかく本作は素晴らしく、
多くの人と分かち合いたい作品でした。

この本を生み出してくれて、
この物語を形にして生み出してくれて、
ありがとう、という気持ちでいっぱいです。

そして再読後には想いを馳せる余裕が生まれ、本作を北上さんが読んでいらっしゃってたら、きっと、きっと、、、、と熱い思いが胸に溢れ、感慨深い気持ちで本書を閉じていました。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?