夏生まれのいーちゃんを翌年の4月から保育園に預けて、私は職場復帰の予定でした。 3ヶ月健診を終えて、健康そのものとお墨付きをいただいたいーちゃんを連れて、入園を希望する保育園へ見学に行きました。 8ヶ月から預け入れることを考えて、なるべく送迎の負担にならないように自宅から徒歩3分、大きな園庭のある日当たりのよい保育園を第一候補にしていました。 保育士さんにお部屋や設備を案内してもらいながら、いーちゃんは終始ご機嫌で色々なものに興味深々でした。 壁面装飾、絵本の棚、保育士さ
いーちゃんの鳴き声はとても大きくて甲高くて、入院中も新生児室から聞こえる鳴き声で「あ、うちの子、泣いてるな」とわかりました。 退院してから母乳で育てようと色々頑張ったものの、マッサージや栄養など様々な努力もむなしく、いーちゃんの体重は日に日に減っていき、保健師さんの訪問指導の日を境に、混合栄養で育てることになりました。 …混合と言ってもやっぱり母乳は出ず。ほどなく人工栄養のみになります。 母乳の時はお腹が減りすぎて泣くことも多かったですが、粉ミルクにしたら夜もぐっすり寝てく
真夏の日差しが照り付ける正午。 いーちゃんは幸帽児として卵膜に包まれたまま自然分娩で生まれました。 自然妊娠は厳しいかな…それならば仕事に生きるのもよいかな…と新しいプロジェクトに起用してもらって少し過ぎた頃に妊娠が発覚。 仕事をしながらの出産・育児に不安はあったけれど、大きな問題もなくお腹の中で成長してくれました。 私は34歳で高齢出産の一歩手前で(当時は35歳以降の初産を高齢出産と定義していた)、勧められた出生前診断を断って出産に挑みました。 性別も聞きませんでした。
はじめまして。 夫と娘と3人暮らし、東京住みのアラフィフです。 一人娘、10歳の頃より、周囲の環境に不適応を起こし、五月雨登校・不登校を繰り返し、いろいろ頭の痛い行動は手を変え品を変え、今も継続中です。 FSIQ135、良きにつけ悪しきにつけ過度激動の激しさに振り回されて、様々な経験をしながら7年が過ぎました。 学校教育において多様性や環境調整が現在より前面に出されていない時期(今も現場では上手く機能していないことも多々ありますが…)に義務教育を過ごし、無理をしすぎてバー