光る君へ|ドラマ感想 | 第38回 | まぶしき闇
「光る君へ」が好きすぎて、ドラマ感想を始めることにしました🥰
ネタバレ的なこともありますので、お気をつけください。
10/6放送の第38回の感想からです。雰囲気を知りたい方は、予告編をどうぞ👇
見どころ
① 源氏物語を清少納言が講評
皇后定子の忘れ形見、敦康親王を訪問した清少納言が、紫式部(まひろ)に源氏物語の感想を言います。
これは、一見、ディスってるけど、めちゃくちゃ褒めているということではないでしょうか。仲良しならではの相手の特性を踏まえた褒め。源氏物語には、枕草子にはない人間の陰影が描かれている、と清少納言は伝えていると思います。
他にも下記の点が素晴らしいと伝えています。
①光る君は養女に言い寄る困った男だが、男のどうしようもない性(さが)をよく表現できている
②漢籍の知識が散りばめられている
③現実の出来事を物語に巧みに取り込んでいる
※物語の藤壺が光源氏を養育したように、現実世界では中宮彰子が敦康親王を養育していたり、物語の光源氏の母・桐壺は、帝に寵愛されるあまり周囲からの嫉妬で体調を崩し死んだが、敦康親王の母、皇后定子も周囲の嫉妬に苦しんだ。
的確!!
さすが鋭い視点が持ち味の清少納言です。
清少納言と紫式部は、宮仕えの時期がすれ違っており、実際には会ったことがなかったという説が有力です。
源氏物語の中には、いくつか枕草子の影響が見られる表現があり、きっと読んでいたのだろうと言われていますが、清少納言が源氏物語を読んだのか、読んでどう思ったのかは、何も資料がありません。
同じく漢籍の知識があり、歯に衣を着せぬ、しかしサッパリした気性の清少納言なら、ライバルに対してこんなふうに言ったのではないか…古典クラスタにとっては夢の場面です。
ドラマでは、2人の友情はこれからどうなっていくのでしょうね?仲の良かった2人が離れていくのは寂しいです。
「帝の心から枕草子を消し去った源氏の物語を恨んでいます」と伝えていましたね。
クリエイターとしては、作品に尊敬を持ちつつ、亡くなった定子の思い出、枕草子を忘れさせた源氏物語を恨む。
ファーストサマーウイカさん演じる、誇り高き清少納言が、目に涙を溜めて訴えかける姿に胸打たれました。
② 爆美女の和泉式部が藤壺の女房として参戦
「女房が地味」と評される藤壺のため、紫式部は旧知の仲だった和泉式部(あかね)を召喚します。
早速、天然の色気を振り撒く和泉式部。藤の花が咲く庭で、貝合わせで遊ぶ場面では、若い公卿たちは和泉式部の色香にボ〜ッと上気してしまいます。風で藤の花が、色とりどりの女房たちの十二単の上に舞い散り、とても美しい場面です。
和泉式部が本当に美女だったのかは、わかりませんが、モテにモテたのは事実です。古典クラスタの皆の脳内にあった和泉式部をそっくり3次元で表現してくれて、NHK、本当にありがとう!!!!
和泉式部は死別した皇子、師の宮(そちのみや)との日々をしたためた、と紫式部に冊子を渡します。
こ、これが『和泉式部日記』の成立!!
和泉式部日記は「日記」なのですが、主語は「私」ではなく、「女」です。読むと、まるで小説のように感じます。
「女は…」と自分自身と距離を持った表現でいながら、内容はとても赤裸々に書かれており師の宮(そちのみや)との恋の駆け引き、最後は屋敷にさらわれるようにして連れていかれ、同棲が始まり、怒った正室が家出するところまで書かれています。
権門の家で起こったスキャンダラスな事件。和泉式部は親から勘当されています。
全てを投げ打って捧げた恋でしたが、師の宮は流行病で亡くなり、絶望から立ち直るために和泉式部は、日記を書かざるをえなかった…そして書くことを勧めたのは紫式部。2人の絡み、和泉式部のカタルシスが最高です。
和泉式部は歌の天才でもあったので、ドラマでは藤壺の女房が「あの2人(紫式部と和泉式部)は、これから才をひけらかすのよ」と陰口を言われていました。藤壺で浮きまくっていた紫式部に、同じく浮きまくるだろう仲間ができて良かったです。
③呪詛が返ってきてしまった伊周
以前から「道長」と名前を記した人形を、小刀で突く呪詛を繰り返していた伊周は、敦康親王を廃そうする道長への憎しみが堪えきれず、本人の前で呪いの言葉を吐いてしまいます。演じる三浦翔平さんの演技が素晴らしく、恨みが頂点に達した場面では、目玉を左右、別々に動かす演技で、伊周が鬼や悪霊に準じた存在になったことを表現。「CGかな!?」とも思いますが、歌舞伎のミエでも目玉を左右別々に動かす演技があるので、本物かなぁ…と。
伊周は道長より年下ですが、おじいさんのような風貌になっていきます。これは「人を呪うと自分に返ってくる」ということを表現しているとのこと。呪詛返しが本当にあるかは、さておき、人を呪うと、禍々しいエネルギーに体は乗っ取られそうですね。
話が急に変わりますが、最近、京都市内の発掘調査で、平安時代の井戸跡から、男女の人形が見つかりました。呪術用に使われたものと見られ、リアルな扮装の人形の裏には、呪いの対象者の名前も書かれています。人形は後ろ手に縛られ、すごく怖い。呪詛はリアルに行われていたのですね。
興味のある人は、京都市埋蔵文化研究所のレポートをどうぞ→ ☆
怖がりの人は見ないでくださいね!
伊周は押さえ付けられ、退去を命じられます。呪われた道長が呆然としていると、中庭を隔てた渡殿(廊下。部屋を設けたりもする)から様子を見ていた、まひろと目が合います。まひろの目は、権力を争う心が生み出した地獄のような場面を見て、潤んでいました。
涙はどんな意味だったんでしょうか。自分の願い「民のための政治をしてほしい」が、道長をこんな恐ろしい目に遭う人生にしたことへの後悔…?
まひろ(紫式部)は何のために書いているのか?
和泉式部日記を書くことで、絶望の日々から生きる力を取り戻した和泉式部。和泉式部から、、「まひろ様も源氏の物語を書くことで、ご自分の悲しみを救われたのでございましょう?」と問われましたが、まひろは「自分は頼まれたから書いているだけ」と即座に答えます。
本当にそうなのでしょうか?
第34話でまひろ(紫式部)が墨をすりながら物語の構想を考えるシーンがあります。その時、幼い日の道長との出会いを回想します。
うまくいかない恋、終わった恋を想う時、人は皆、「IF(もし、あの時…)」を想像するのではないでしょうか。それは後悔と切なさを孕んでいます。
第35話では、源氏の物語に起きたことは、「自分に身におきたこと」と道長に明かし、「(不義の子を産むとは)恐ろしい女だ」と言われて、「一度物語になってしまえば、我が身に起きたこと霧の彼方…誠のことかどうかも、わからなくなってしまうのでございます」と述懐しています。
このやり取りこそ、まひろが源氏の物語を書くことで気持ちを昇華し、慰められていたという証ではないでしょうか。
友にさえ言うことができない秘密を持つまひろのことを、哀れに、いじらしく感じます。でも、だからこそ藤壺の宮の気持ちが書けたということですね。