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教えるんじゃない、問いかけよう! 映画『型破りな教室』


「学力最底辺から全国トップへ」
「治安最悪な国境の町の小学校で起きた奇跡の実話」
実話を映画化した感動の物語だ。


生徒達が登校し終わると校門を鉄の鎖で施錠しなくてはならないほど治安の悪い地域で、朝礼で「まず従順であれ」と訓示される。

この訓示は現在の教育の姿を象徴するシーンだ。

学校で教えていることは、退屈でつまらないかもしれないが、そこを我慢して、先生の言うことを聞いて、言われた通りにしていけば、人生は開けていくから、黙って言われた通りにしていないさい
というイデオロギーの表明なのだ。


学力テストの成績が最底辺なのは、生徒の頭が悪いからではなく、教え方がつまらないからだということが白日のもとに晒される。
だって底辺にいる生徒たちが、いきなり全国トップに躍り出たのだ。
それまで何を教えていたのだ? と疑問符がつくのは当然だろう。


この先生のやったことは、元日本サッカー協会理事(現ビジャレアルCF)の佐伯由利子さんが説く『教えないスキル』と同じだと感じた。
教えるのではなく問うのだ。



学習指導要領を無視して、

カリキュラムも無視して、

ついでに、テスト対策をしていないという教育委員会の警告も無視して(それで2週間の停職をくらう)、全国トップの成績を取る。



この事実に対して、我々はもっと謙虚でなければならないと思う。

教えるのではなく、問いを投げかける。

生徒の疑問に教師が答えるのではなく、クラス全員が考え、実験し、意見交換をする。


知識を体系的に教え込んでいく事が最も効率のいい教育方法だと信じられているけれど、「それは違う」事を実証した映画だ。


エンドロールでは

「私の学習を妨げた唯一のものは、私が受けた教育だ」

アルバート・アインシュタイン

というアインシュタインの言葉が引用されている。

「従来の点の取れる勉強」vs「探究学習」
成功により近い教育はどっちなのか?
を映画化したカリフォルニアの公立高校の実話、『Most Likely to Succeed』もそうだし、


NHKでドラマ化された定時制高校の科学部の取り組みを描いた『宙わたる教室』も、みんな同じ事を描いている。


しかもこれらは全て実話を元にした作品だ。


これだけエビデンスを揃えられてなお、現行の知識を体系的に教え込むというやり方を見直さないのはもはや怠慢なのではないかと思う。

この映画に対しても

「生徒の中に天才がいただけ」とか「先生の類まれな努力があってこそ」

などという感想も聞かれるけれど、私たちは
「教育は先生が教え、生徒が学ぶもの」
という固定観念から自由でいなければならないと思う。

アイシュタインの指摘通り、教育とは生徒の学びを支援する事であって、教え込む事ではないということを制度設計に活かす時だと思う。


最後に、先生が生徒たちに
「僕は君たちから多くのことを教えてもらった。ありがとう」
と感謝を伝え、
「君たちなら大丈夫だから」
と信頼を伝えて、試験に向かわせる姿にも、ものすごく感動したけれど、感動してる場合じゃない気もする。


「教えられた事を、どれだけ従順に受け取り、記憶に定着できたか」

を競うやり方は、実は効率が悪い。

変えるべき時が来ていると思う。

受験対応の訓練を教育だと思い込んでしまった私たち。
偏差値の高い大学に合格できることが、高い教育を受けた証だと勘違いしてしまっている私たち。

そうではなくて、
子供の心に火をつけること。
知的好奇心や探究心、意欲に点火することこそ、教育最大の目的だと再認識させてくれた映画だった。


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