やまだしょう

これまで、公立小学校教員を退職して、ベトナムハノイで日本式インターナショナルスクールの教員をしたり、愛知県で私立小学校の新規立ち上げして、児童募集の改善をしたら副校長になったりしました。現在は37歳の無職で次何するか模索中です。

やまだしょう

これまで、公立小学校教員を退職して、ベトナムハノイで日本式インターナショナルスクールの教員をしたり、愛知県で私立小学校の新規立ち上げして、児童募集の改善をしたら副校長になったりしました。現在は37歳の無職で次何するか模索中です。

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    やまだしょうの自己紹介に関する記事のまとめです。

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はじめてのnote:37歳の夏、無職になった自分のこれまでとこれから

はじめまして。現在愛知県に住む37歳の やまだしょう(山田頌) です。 社会人になってからこれまで、公立、海外、私立と様々な学校で主に教員として仕事をしてきました。 この夏、私立小学校の副校長および理事を退職して、無職になりました。この後全く何をするかは決まっていない状態で再スタートです。 幸い、退職した後、多方面のたくさんの方から声をかけていただき、今はその人達とお話しをしながら、今後住む場所も含めて、新しい自分のステージをどうしようか考えている最中です。さらに、新しい出

    • 2024年11月1日:プロジェクト新メンバー募集

      【拡散希望!】 北海道安平町で2025年4月から一緒に「こどもにやさしいまちづくりプロジェクト」に取り組んでくださるプロジェクトメンバーを募集します! 山田もまだ住み始めて1か月たったところですが、このプロジェクトチームでこれから3年間の任期中動いていくことになります! 自分の得意な分野で輝けるような場所がきっとあると思うので、「日本一の公教育を目指す町」で一緒にプロジェクトを進めていきたいなーと少しでも思っていただけた方はぜひ下記HPをご一読ください! ▼「こどもにやさ

      • 2024年10月1日:北海道安平町に移住し、地域プロジェクトマネージャー(LPM)として教育委員会に入る

        7月から長らく無職でしたが、10月1日より、再就職が決まりました。 北海道の安平町という自治体で、「地域プロジェクトマネージャー」という立場となって働きます。 安平町は「子どもにやさしいまちづくり」というプロジェクトを進めていて、このプロジェクトに参加するために教育委員会に入って一緒に安平の教育を良くしていくという仕事をします。 ※でも上記の家族写真は、安平ではなくて支笏湖です(笑) 地域プロジェクトマネージャーは、総務省が行っている地方再生事業によって生まれた役職です。安

        • 2024年8月:現在地。仕事を辞めても、普通に人生は続いていく。

          先日ある人に「note見てます!読みやすいし面白いです!」とリアルで言ってもらいました。 こういう声が届くとやる気がでます。noteの連続投稿記録が途切れてしまってから、更新モチベーションが無かったのですが、久しぶりに書こうかなぁという気持ちになりました。 ※TOP画は先日人に会いに日帰りで大阪行ったときに撮った写真です。ビル一杯で都会でした。日帰りでランチご一緒して4時間くらいしゃべって帰って来ました。 これまでこのnoteは名刺代わりになるように、これまで「やまだしょ

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          2024年8月9日:教育イベントに参加して、未来と現在のフォーカスの距離感とか影響の範囲とかを考えた話。

          昨日はALLけテぶれFESTA2024というイベントに参加してきました。同年代の葛原さんが、独立して一生懸命がんばっているので、応援したいなーと思って参加したのが参加の動機です。行ってみたら多くの気づきや学びがありまして、今日はそれについて書いていきたいです。 会場に入った途端、参加者の数と属性に驚くまず驚いたのが参加者の数と年齢層です。日本全国から名古屋に150人以上が集まっていました。きっとほぼ学校現場に立つ先生で、そのうち9割が小学校の先生かなと思います。ざっと見た感

          2024年8月9日:教育イベントに参加して、未来と現在のフォーカスの距離感とか影響の範囲とかを考えた話。

          2018年1月~:国際結婚は、予想もしない面白いイベントが、突発的に日々の中に起こってくるので楽しい

          外国人と結婚するということは、いろんな気づきがあります。 私たち夫婦はベトナムで結婚したので、私が外国人という立場でした。手続きがめちゃくちゃ大変で、しかも文章は全てベトナム語なので、サポートすることもできず、ただずっと座って、指定されたところにローマ字でサインをしていました。 一方でベトナムでの結婚が成立すると、今度は在ベトナム日本国大使館にいって結婚したことを報告する必要がありました。これも、外務省のホームページを見ながらひとつひとつ見慣れない書類と格闘して突破しました

          2018年1月~:国際結婚は、予想もしない面白いイベントが、突発的に日々の中に起こってくるので楽しい

          2011年2月~:楽しく生きてるだけなのに「がんばってるね!」と褒められるので、学生時代の留学ってお得。非英語圏留学もいいぞというポジショントーク。

          TOP写真は、2017年ベトナムに行く前の2か月の準備期間に、ためしに博多から船で釜山に行ってみたときの写真 行きたいという思いだけで始まった留学生活韓国留学を始めたのですが、「目的」のようなものは特にありませんでした。日本で教員採用試験を受けて小学校教員になるつもりだったので、韓国語をマスターしてこれからの選択肢を広げよう的な気持ちも特にありません。 一応事前に愛知教育大学の中で開校されている、第二外国語科目の中で、韓国語の講座があったので先生に相談してそれを半期分聴講さ

          2011年2月~:楽しく生きてるだけなのに「がんばってるね!」と褒められるので、学生時代の留学ってお得。非英語圏留学もいいぞというポジショントーク。

          2005年秋:中間テストの勉強が嫌すぎて、高2の秋に逃避行動をとった結果、志望校が愛知教育大学になった話

          教員という仕事を選ぶと、「先生になろうと思った理由は何ですか?」と聞かれることが多いです。 教員採用試験の面接でも「志望動機」として聞かれます。 今日は高校2年生のやまだ青年が、愛知教育大学を受験しようと思った話を書いていきます。 TOP写真は高校生の写真を使いたかったのですが、ぱっとPCで見たところ一番若いときの写真が6歳くらいでスキーツアーをしてたときのやつしかなかったので、かわいい6歳のやまだ少年を載せてみました。癒されてください。 愛知県の西側、尾張地方の進学校と

          2005年秋:中間テストの勉強が嫌すぎて、高2の秋に逃避行動をとった結果、志望校が愛知教育大学になった話

          2020年1月:3か月だけ公立小学校の現場に戻って、自分の在り方で同じ仕事でも変わるなぁと思った話

          なんだかんだで2018年末に日本に戻り、2019年の1月からとりあえず実家から通える範囲の公立小学校の常勤講師をやりました。 とっても短い時間ですが、正規で4年経験した公立小学校教員という仕事をもう一度見つめる良い機会になりました。 保育園に入れたい?それならば働いてください。となって5分で講師登録。海外から帰国して、実家に住民票を登録して、そのまま保育園を探そうと思ったら、保育課の窓口で「ご両親のお仕事の状況について教えてください」と言われたんですね。無職ですと答えたら、

          2020年1月:3か月だけ公立小学校の現場に戻って、自分の在り方で同じ仕事でも変わるなぁと思った話

          2024年1月:大阪にあるベトナム領事館に、息子のベトナムパスポート更新に行ったら、そこにいたベトナム人の若者たちが醸し出す雰囲気が眩しくて、ベトナム文化を感じて「あぁ、これこれ」ってなった話

          これまでの「経歴と経緯の話」とは少し離れて、価値観の話を書きました。 あんまり周囲の日本人に、私と同じ価値観っぽい人が少なかったので、「へーこんな考えもあるんだな」と思ってくれる人がいると嬉しいです。 今回はベトナム人の行動規範の文化的なものを通して、少子化や人口減少について考えてみた文章です。 妻と息子達はベトナムのパスポートをもっているので、日本に住んでいるときは数年に一度、パスポート更新のために東京か大阪のベトナム大使館・領事館へ行く必要があります。 このときは大阪の

          2024年1月:大阪にあるベトナム領事館に、息子のベトナムパスポート更新に行ったら、そこにいたベトナム人の若者たちが醸し出す雰囲気が眩しくて、ベトナム文化を感じて「あぁ、これこれ」ってなった話

          2017年9月~12月:ベトナムハノイで、ごみ拾いのボランティア活動に遅刻していったら、かわいい女性に出会って付き合いはじめ、実家に挨拶しにいったら透明でピンク色した地酒をしこたま飲んで、その流れでフワッと婚約し、祈祷師の家で謎の布を被せられて四方から呪文を浴びせられた話

          今回は、国際結婚に至った経緯について紹介していきます! 妻アインとは、結婚して6年になりますが、今も仲良く過ごしています。出会いとか、どんな流れで結婚に至ったのかなど質問されることも多いテーマです。結婚までには、中々レアな体験させてもらいました! 交友関係を広げたくて、ハノイ在住の日本人コミュニティに参加もろもろ紆余曲折ありながら、2017年6月からベトナムに住んでいたわけです。 ▼ベトナムに住む経緯はこちら▼ 現地採用でインターナショナルスクールに勤務していたので、そこ

          2017年9月~12月:ベトナムハノイで、ごみ拾いのボランティア活動に遅刻していったら、かわいい女性に出会って付き合いはじめ、実家に挨拶しにいったら透明でピンク色した地酒をしこたま飲んで、その流れでフワッと婚約し、祈祷師の家で謎の布を被せられて四方から呪文を浴びせられた話

          2011年2月:ふとした出会いから韓国に魅了され、両親に反対されながらも、大学院生の間の1年間韓国に留学することを決めた話

          愛知教育大学の大学院生のときに、韓国に1年間留学しました。 私の経歴の中でも「なんであえて韓国に留学しようと思ったの?」「なんで英語圏じゃなかったの?」と聞かれることがとても多いので、今回はこの部分について紹介していきます。 ちなみに、韓国語話せるんですか?ともよく聞かれますが10年以上前に1年間だけいっただけなので、今はほぼ忘れました(笑) アカペラにはまって、サークルに打ち込んだ大学生時代元々私は、愛知教育大学で4年間大学生をしたら、愛知県の教員採用試験を受験して、公立

          2011年2月:ふとした出会いから韓国に魅了され、両親に反対されながらも、大学院生の間の1年間韓国に留学することを決めた話

          2017年6月:日本の公立小学校を退職して、ベトナムハノイで日本式インターナショナルスクールの小学校教師になり、ベトナム人小学生に日本語で授業をすることになる経緯の話。

          愛知県で無職をしています。 やまだしょうです。 2024年7月、37歳のときに私立小学校の副校長を退職して無職になりました。次に何をするのか決まってないので、今は時間がたっぷりあります。 これから何をするのかを考えるため、また色々と声をかけてくださる方に、「で、やまだしょうって何をしてきた人間なのか」、「どんなことを考えているのか」を知ってもらうために記録を残していこうと思い立ちました。 今回は、自分の人生の中でもとっても特殊で、経緯についても質問の多い、ベトナムハノイに

          2017年6月:日本の公立小学校を退職して、ベトナムハノイで日本式インターナショナルスクールの小学校教師になり、ベトナム人小学生に日本語で授業をすることになる経緯の話。