ウィーンの華麗なる一族ーウィトゲンシュタイン家の人びと
Alexander Waugh :Das Haus Wittgenstein: Die Geschichte einer ungewoehnlichen Familie
ハプスブルク王朝の都ウィーンの世紀末、カール・ウィトゲンシュタインという富豪がいた。一代で財を成したオーストリア鉄鋼業界の大立者、音楽や絵画を愛する芸術のパトロンだった。
都市の中心部を囲むリングシュトラーセの南に位置する富豪街に「御殿」をかまえ、マックスクリンガーが彫ったベートーヴェン像が飾られた邸内の立派な音楽室で、ブラームス、Rシュトラウス、シェーンベルク、マーラーを招き、内輪の演奏会を催した。またグスタフクリムトを中心としたウィーン分離派を支援して、分離派会館の建設資金も提供した。カールの娘二人の肖像画はクリムトが手がけている。
カールには8人の子供がおり(男5名/女3名)、息子達に自分の事業を継がせたかったが、息子5名のうち上3名は自殺、一人は左腕のピアニスト(パウル・ウィトゲンシュタイン)に、一人は「論理哲学論考」で有名な哲学者(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)になった。
父は強権的な性格で子に学校教育を途中で受けさせなかったりしたため、子供は横のつながりを築くのが下手で、神経過敏な子に育った。母は従順で夫の短気から子供を守ってやれなかった。8人の子供が、母と気持ちを通わせる最良の方法が、言葉を介さない「音楽」で、音楽こそが性格の違う兄弟と母とを結びつける絆だった。子供たちそれぞれが音楽を追求し、歌ったり、演奏したりする時間が家族の安らぎだった。
父が亡くなった後、莫大な相続財産が子供たちに譲られたが、ナチスのオーストリア併合後、ユダヤ人迫害が始まり、ユダヤの家系をもつウィトゲンシュタイン家も例外ではなかった。家族がバラバラになって、ある者は国外に脱出したり、脱出に失敗して逮捕されたり、財産を没収されたり(秘蔵していた一流音楽家達の自筆譜を剥奪など)、戦争と迫害で多くを失った。
波乱万丈な一族で、映画よりもドラマティックな物語を持っているのでお薦めの一冊です。ピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタインの記述が多くて音楽愛好家も楽しめます。(今年の4月に文庫化されました。「ウィトゲンシュタイン家の人びと-闘う家族 (中公文庫))
(下の写真の左が幼少期のパウル、右がルートヴィヒ)
曲はパウルがラヴェルに依頼した、ラヴェル作曲「左手のためのピアノ協奏曲」。愛するピエール=ロラン・エマールの演奏で。
Pierre-Laurent Aimard:Le Concerto pour la main gauche en ré majeur