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スピリチュアル入門

意外と理解されていない事柄かもしれないので、簡潔に示してみたい。
スピリチュアルとは、
そもそも『なにを扱う』学問なのかを。





まず最初に、
こんな場面を、
想像してみてほしい。






ある日、
ある女の股から赤ちゃんが出てきて、
『子どもが生まれた』。






これは、
根本的に言って、
『他人についての記述』だと言えますね?






ここで、
妊娠出産のプロセスを
どれほど詳らかに、
どれほど医学的に正しく
記述してみても、
それは、
『他人の記述』です。





妊娠出産でなくても、
本日○○町の路上で交通事故が、
というニュースだって、
他人の記述ですよ??





この世で使われている記述方法とは
『赤の他人についての』
『客観的な』
記述の仕方であって、




あまりにも主観のなかに閉じこもっている人の文章というのは、なかなかに読むに堪えないものだったりしますね?

 




それというのも、
この世で流通している一般的な記述方法は
『赤の他人についての』
『客観的な』
語り方なので。
自分自身さえも
『まるで赤の他人のように』
突き放して扱うセンスが、
文章を書く際には
どうしても求められるのです。

(※noteを日頃から書いておられる方なら、自分自身を客観的に扱うことの大切さはお分かりでしょう!)






じゃあ逆に言って。
『わたしの記述』
『自分自身の記述』
は可能なのか?
それはいったい
どのようなものなのか??











♡♡








♡♡







ここで具体例として
わたし(著者のミィミ)は
1991年1月5日生まれなので。






(打ち明けたくないので匿名)
1991年1月5日、
福島県福島市の、とある場所で、
○○○○という女が
ひとりの赤ん坊を産み落とした。
『それがわたしだ』──────。





こういう記述の仕方は、
この世の常識に従えば、
べつに何も間違ってはいないし、





まぁ赤の他人のように『女性』などと言わず、お母さん、母親、と呼びなさい的な指摘もあるかもしれないが。




問題は、
そこではなくて。




このような記述の仕方では
どう転んでも
『他人の記述』にしかすぎず、
どう転んでも
自分自身を言い表すことはできない、
という問題が残るのです。






(※その差異を埋めるのがスピリチュアルの本来の意義なのです)








意味わかるかな??






あのね、、、、

1991年1月5日に
○○○○さんが生まれた、
という他人事のような記述法、

1991年1月5日に
『わたしは生まれた』
という、自伝のような記述法。

どちらを使用したとしても、
じつは
『きわめて重要な部分』が
どうしても抜け落ちてしまい、
どんな用語を使おうとも、
それは
『他人の記述』
でしかないのです。





言い換えれば、
この世にある一般的な記述方法、
ひいては、
この世で通用している一般的な世界観に従えば、
何もかもを『他人事のように』記述するより他はなく。






ようするに、
世間一般的な考え方をして、
世間一般的な世界観のなかにいるうちは
『あなたはあなた自身に対して』
赤の他人なのです。
それゆえに、
『他人の記述しかできない』
のです。







何の話をしてるか
分かるかな??









むずかしいかな??
でも、これは、
本来だれでも思い当たるはず!
決してむずかしくは無いはず!!






ね?





ひとたび
答えを聞かされたなら、
たしかにそのとおりだと、
あなたも納得できるでしょう。





スピリチュアルとは、
そもそも、それを扱う学問なのですよ?
きょうは、そのことだけでも
おぼえて帰ってくださいね💕💕💕







♡♡






♡♡





1991年1月5日に
ある赤ん坊が生まれた。
名前は、ミィミという。




客観的にはそれが事実だとしても、




『主観的には』
ここには
きわめて重要な
ひとつの事実が抜け落ちており、、、、





ある日ある女が
赤ん坊を産み落とした。





それは事実だとしても、





『なぜそれがわたしなの??』






『なぜそれがわたしなの??』






『なぜそれがわたしなの??』








そうですね!






───────その質問に答えるのがスピリチュアルです!!!









ね!






1991年1月5日に
とある赤ちゃんが生まれたからといって、

それが『わたしである』必然性はなく、

まったく知らないどっかの誰かだったとしても、誰も何も困らない。






ね?

ある女が赤ん坊を産み落として、
それが『わたしだったから』
彼女はわたしを育てようとした。

もしも、
それが『わたしではない誰か』
だったとしたら???



(※彼女は単に、自分が産み落とした赤ん坊を連れて帰って育てるだけなのだから)



彼女は『わたしではない誰か』を育てることになり、
そこにわたしは登場しない。
彼女とわたしとの縁も生じない。





この、
絶対的な差異、
天国と地獄よりも大きな差異が、
理解できますか??




このテーマに関してなら、
理解できない人など、
いないと思います。





『どうしてそれがわたしなの??』
って!







♡♡






♡♡




しかるに、
この『絶対的な差異』については、
一切考慮されない
凡庸な思考法(そして記述法)が
世間一般のありきたりな世界観を形成しているのです。




『なぜそれがわたしなの??』
────それ以上重要な問いかけなんて
ほかにあるはずもないのに!!!







ね?





赤ん坊が産まれたら、
生年月日を記録して名前を付けて。

『生年月日+名前』が指し示す人物が
たしかに、絶対確実に、存在している
『かのような』
世界観がまかり通っていて。

そんな世界に
すっかり慣れてしまったわたしたち(現代人)は、
そこに矛盾も異常も無いように思えてしまうが。







じつのところ、
もっとも、もっとも、もっとも、もっとも切実な問いかけである、

『どうしてこれがわたしなの??』

という質問には
この記述法では
じつは、
一切答えておらず、

それどころか、
そんなものは存在しないかのように


『あなたは○○年○○月○○日生まれの○○○○さんですね??』



『あなたは○○年○○月○○日生まれの○○○○さんですね??』



『あなたは○○年○○月○○日生まれの○○○○さんですね!!!』



それがすべてであると
言わんばかりに!!!










♡♡










♡♡






♡♡









分かりましたか?





スピリチュアルの対義語を
仮に、唯物論と呼ぶとして。





唯物論的世界観の下では、

あなたにとって

あなたとは

他人です!




他人によって定義された
よそよそしい人物像こそが
あなた自身のすべてです!!








そんな世界を
生きたいですか??





でも、
“現実は”そうなってますよね??







♡♡








♡♡








そうではなくて、

『わたしにとって』

『わたしとは誰なのか?』

それを解き明かすことが、

スピリチュアルという研究テーマの

根本的な存在意義なのです。








引き寄せの法則や、
その他の願望実現法も。

その威力を
存分に発揮してもらうためには
何よりもまず、

根本命題である
『わたしとは誰か?』
を理解すること。





根本命題たる
『わたし』
の理解なくして、
スピリチュアルな法則を使いこなすことは一切不可能です。





なので、
ほんとうのほんとうは、
『わたし』の理解、

(※それによって『他人の記述』だけでできた世界観から抜け出すこと)

『わたし』を発見し、
『わたし』を理解し、
『わたしになる』こと。

これが本来なによりも大事で、
これこそがスピリチュアルの第一義であり、
それ以外は(大乗仏教ふうに言えば)
ただの方便にすぎません。

『わたしはわたしである』ことを
はっきり自覚してこそ、

引き寄せの法則を使いこなしたり、
オカルト能力を発現させることが、
はじめて可能になるのです。










『わたし』を発見し、
(※あなたがあなた自身を発見し)
『他人の記述しか存在しない世界』
から抜け出すこと。





スピリチュアルにおける基礎の基礎であり、同時に奥義のなかの奥義。







あなたも自分自身に問いかけてみてください。





あなた自身の生年月日と本名を紙に書いて、





『どうしてこれがわたしなの??!?』




『どうしてこれがわたしなの??!?』




『どうしてこれがわたしなの??!?』







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