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谷川俊太郎の詩集『これが私の優しさです』について
谷川俊太郎の詩集『これが私の優しさです』は、1990年代初頭までの谷川の作品から、誰かの推しを集めた、ベスト・アルバムのようなものらしい。
ああ、詩集『落首九十九』からの「因果」「一人」「殺意」という流れがいい。
詩集『その他の落首』からの、この詩集のタイトルにもなっている「これが私の優しさです」もいいぞ。
これが私の優しさです
窓の外の若葉について考えていいですか
そのむこうの青空について考えても?
永遠と虚無について考えていいですか
あなたが死にかけているときに
あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く離れて
生きている恋人のことを考えても?
それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強く成っていいですか
あなたのおかげで
(谷川俊太郎『その他の落首』より)
スマホとSNS とのコンビネーションで拡散される、「欲しがりません、勝つまでは、、」的なムード、「こんな大変なことが起きているのに、呑気に◯◯しているのか?」的なムード、「あんなに辛い目にあっている人びとがいるのに、タンスの角に小指をぶつけたくらいで痛がっているんじゃないよ?」的なムード、、、
これらのムードには構造的に似ている側面があると考えている。
痛み、命、、などの数値化/交換できないはずのものを数値化して、交換していないか?という側面に於いて、似た構造にあるのでは、と。
しかしこれらのムードに警戒心を抱きながらも、このムードを作る言葉を発信している人は、思いやりとして、反戦活動として発信しているわけで、この人と対立するのは、勿体ないわけで、、、
しかし中々この人を尊敬できなくて、油断すればこの人を軽蔑してしまいそうで、この人を軽蔑した心から出た言葉は、この人には響かないし、反発や敵対を生むだけだと経験から知っている、既に何度も失敗してきた。
協力し合えるはずの人と積極的に敵対して潰し合って力尽きるのは、定番のコース(誘惑)だ。
先ずは呑気な者が、私は、この誘惑に抗わなくてはならない。
アミン・マアルーフの幾つかの句を想起し咀嚼反芻する、例えば、次のような句だ。
P. 56 他者を批判する権利は手に入るものですし、それだけの価値があります。もし相手に対して敵意や軽蔑を見せていたら、根拠があろうがなかろうが、どんな些細な意見であっても攻撃と受けとめられるでしょう。相手は態度を硬直化させて、自分の殻に閉じこもるでしょうし、相手に非を認めさせることはむずかしくなります。反対に、相手に対して友愛や共感や敬意を感じているのだと、うわべだけでなく、心から示せば、相手の批判すべきところは批判できるし、ちゃんと話を聞いてもらえる可能性もあります。
(『アイデンティティが人を殺す』アミン・マアルーフ 小野正嗣 訳 より)
先ずは、私が私を批判するために、私が私と敵対しないように、私は、私自身を軽蔑しないように、私自身に対して友愛と共感と敬意を感じているのだと、心から示すことが大切なのかもしれない。
私は、私の考える正しさを友人・知人に押しつけるような態度を取ってしまった、別の仕方があるかもしれないじゃないか、別の正しさが、私の考える知性とは別の知性のあり方/発達の仕方があるということを知るのは、差別や偏見や、平和について考える為の入口の1つだったはずじゃないか。
その考えを、あなたの信じているものを捨てて、私と同じ考えに交換しなさい?違う違う、それじゃ植民地主義と変わらないじゃない?
何かに夢中になるとついつい色々なことを忘れてしまう、いかんいかん。
そんなことを考えながら、谷川俊太郎の詩集『これが私の優しさです』の解説- 私は生きている 栗原敦 を読んでいた。
P. 226 父のいう「母まかせ」「自由にさせた」は、思春期以後の人格の尊重と、子ども時代の交わりの薄さの両方を意味するものだった。封建明治的儒教道徳心への反発がとらせたこういった父徹三の大正教養派風「近代的」スタイルだったが、それに谷川さんが否定的に関わったことは、鶴見俊輔との対談の中で次のように語っていることからもうかがえる。
「しかも父っていうのは自分の仕事だけに興味があって、子どものぼくなんかにはあんまり興味がなかったっていう人なんですね。可愛いって気持ちはあったんだろうけれども、自分と対等に話ができないとつきあえない。これは日本のインテリのひとつのタイプなんじゃないかと思うんだけど、たとえばお豆腐屋さんなんかと話なんかぜんぜんできないっていう人なんですね」。「それとおんなじように幼児のぼくとも、ぶきっちょでなに話していいか分かんないわけね。だからぼくは自分が詩を書き始めるぐらいまで、父親と話らしい話しなかったみたいな関係がちょっとある。それだけよけい母親と密接にくっついていたみたいなところがあって、」云々。「これはもちろんぼくの成長にも大いに関わっていると思うんです。ぼくは父のそういう面には、否定的だから」(「初対面」『自分の中の子ども』八一・一◯青土社刊)。
この解説を読みながら、「日本人のインテリのひとつのタイプ、、対等に話ができないとつきあえない、、、そういう面には、否定的だから」という態度は、今なら、千葉雅也さんの技と似た側面があるのかもしれない、と思った。
この流れで、私の日課である、千葉雅也さんのツイート鑑賞をしていたら、次のような句があった。
大義に向けて自らを犠牲に捧げるような場面が出てくると、それがどんな方向に向いているものであれ、物事は怪しくなってくる。
この人は最終的に自分の利益を守ろうとしてるな、と感じられると、信頼できると思う。つまり、めちゃくちゃはやらないということだ。そこには、他人に対して優しくなる根拠がある。
大きなものに身を捧げないのが大事。
(千葉雅也さんのツイートより)
ツイッターにはカジュアルに削除・編集する様式があるので、スクショしたり、抜粋して引用するのは、失礼に当たるかもしれないが、このツイートから数日の間をあけて、まだ削除されていないのを確認し、これを投稿する。
ツイッターのハートマークを押す機能を初めて使ってしまった、直前に読んでいた谷川の詩「これが私の優しさです」にぴったしの、しかし全く別の角度から鋭い洞察で表現された言葉に、興奮した。
余談だが、そもそも私がツイッターのアカウントを作ったのは、千葉雅也著『ツイッター哲学 別のしかたで』との出会いがきっかけだった。
当時、オルランド・パターソン著『世界の奴隷制の歴史』を読んでいた。しかしこの本は高額で中々購入できず、また私の住んでいる区の図書館には所蔵されていなくて、別の区から取り寄せて借りていたので、他の方の予約が入っていなくても、一度返却すると再度借りるまでに3~4週間以上の間が空いてしまう。集中してこの本を写経していたのに、このタイミングで返却してどうするか不安な気持ちでうろうろしていた図書館の本棚に千葉雅也著『ツイッター哲学 別のしかたで』を見つけた。
ツイッターやSNS での私刑(リンチ)やヘイトスピーチは気になるし、先行研究を、と思ってめくると所謂メディア論の類いとは違い、これは、これ自体が哲学であり社会学であり生活であり詩であり文化であり、ツイッターと共にある、何かだった。
千葉さんのこの本には、差別、偏見、平和について考える為には大切な視点、権威・シンボル・儀礼、イディオム研究についての鋭い実践と考察の生活が記されていた。
真っ白なノートに鉛筆でメモを取りながら興奮して読んで、充実した、気に入りのメモができた。このメモを千葉さんに見せたくて、ツイッターのアカウントを作って投稿した。
見てくれた!!
リツイートして下さったのが分かり、深夜に1人で小躍りした。
ノートを見返したら2022年9月と書いてある、あれから2年か、私は、多くの人びとが常識的な教養として知っている多くのことを知らないし、多くの人びとが簡単にやってのけるような多くのことをやるのにうんと時間がかかるか出来ないままだけれど、許される限り、私は私のペースで広く浅く薄っぺらくぐんぐんと凸凹と発達を続けている、楽しい。
しかしツイッターというのは、有名人や身の回りの友人・知人が炎上したときに、その話題と共にURL がシェアされたのを覗くだけだったので、怖い場所、、、という印象を持っていたので、本名ではなく「柳田チャラ男」という名義でアカウントを作ってしまったが、偽名であることも失礼なのかしら、しかし、略して「チャラ柳」だなんて名乗れば、愈々軽薄な印象を与えるだろうか、駄洒落が好きだ、お洒落も好きだ。
あれれ、途中から千葉雅也さんへのファンレターみたいになってる、まいっか。。