『悲しい時、私は自分が鯨だと想像してみる』
5月24日の気分
『悲しい時、私は自分が鯨だと想像してみる』
以前、図書館で鯨の絵を模写していた時に出会った本に記載されていたこの言葉をノートの片隅に記しておいた。
『悲しい時、私は自分が鯨だと想像してみる』
本のタイトルや作家の名前は忘れた。
外国の小説家の言葉だったと記憶している。
以来、時折この言葉を思い出しその場をやり過ごしている。
🐋
フッ、またつまらぬ自伝コミックに出会ってしまった。
タイトルとセールストークばかりにエネルギーを注いでしまい、そこで力つきてしまったのかというほど中身が薄い私生活あるあるの羅列。何も伝わってこなかった。
「~こうして出会ったのが今の旦那です」みたいなよくある定型文タイプ。市販のルーを大量の水で薄めた味のない色付きスープタイプ。
ITが発達した今日は、これが良いと話題になると、こぞって類似作が売り場に平積みされる。
捏造された渦潮、小手先のごま菓子。
受け取る側は腹いっぱい。
人類総作家時代と言われて久しいがAIみたいな人間もしくは人間みたいなAIが増えるなら、つまらなくなるなと悲しくなった。
・・・、でも大丈夫。
はい、本を閉じて目を閉じてー、最悪スマホもテレビもラジオも電子レンジもありとあらゆる電子機器をお庭に投げて―
はい大きく深呼吸~。
自分が鯨だと想像するよー。
ほ~ら、想像してごらん?
はるか遠く誰もいない大海原キラキラ光る静かな水面
突如「ザバーン」と波しぶきを立て、一等大きい鯨が海上へ姿を現わし潮を吹き
再びスローモーションで海中に潜っていく姿を