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No.21適応障害の再発防止策5選!

新卒入社して3年目の春、適応障害を発症し半年間休職することになった。
今現在はというと、適応障害から回復し、お世話になった会社を退職、しばらくの間休暇を楽しんでいる。
会社から離れたことで楽になり、思考に余裕が出てきたので
適応障害を再発しないために実践していることを紹介する。
次の5項目だ。ちなみに服薬はしていない。

  • 脳や病気の仕組みを知る

  • 運動を実践、習慣化する

  • 食事を変える、アルコールは控える

  • 自分の性質を知る

  • 計画的に休む

▼脳や病気の仕組みを知る

適応障害の療養中、なぜ自分が適応障害になったのか、適応障害(精神疾患)とは何か、どうしたら回復するのか、をできる限り調べた。
本を読み漁り、ネットで調べ、精神科医師のYouTubeを聴き漁り、とにかく疑問を解消していた。
適応障害の診断直後は脳機能が低下し、文字が滑って読書が出来なかったため、爆発した知識欲を満たした。
特に衝撃的だったのは、ある精神科医のYouTube動画での話だ。
「うつや適応障害は脳の損傷であり、長年うつや適応障害になると脳機能が発病前の状態に100%戻らない」という内容だ。
比喩表現も交えての話だとは思うが、悔しいやら、悲しいやら、驚きやらで何度も繰り返し動画を再生した。
では、どうしたら脳機能は回復するのか。唯一の方法は、「運動」であると。週に三回、中強程度の運動を45分行えば徐々に回復するらしい。

そこから私の脳機能回復プロジェクトが始まった。
回復方法の真偽はさておき、とにかくやってみよう。
無気力だったハートに火がついた瞬間だった。
絶対回復させてやる。元の自分に限りなく近づけてやる。と。

人間の脳の仕組みを知ることは、病の予防につながる。
罹患した病をよく調べ、最新情報に目を通す。
病を治すためには、まず病(敵)を知ることから。
様々な媒体(書籍、雑誌、SNSなど)から精神医学についての知識を収集し、実践している。
知識が増えると無駄な心配が減り、不調の際にすぐ対応できる。

▼運動を実践、習慣化する

休職期間から復職にむけての半年は、ほぼ毎日、散歩をした。
「ほぼ」というのは晴れた日には必ずという意味で、
低気圧で体調に影響が出やすい雨や曇りの日は避けた。

散歩の効果はというと、心地よい風や虫の声、太陽の光を浴びることで「何だか幸せだな」、とプラスの感情が少しずつ戻ってきたことだ。
マイナスの状態がゼロに近づく感覚。急激な変化というより、気付いたら気分がよくなっていた。

復職してからの一年間は、水泳、ランニング、筋トレをした。
気が向いた運動を週に最低2日は行った。
当初は1~2日おき、調子がいい時は毎日。できない日があっても決して自分を責めないこと。
復職してすぐは、環境に慣れることに必死で相当ストレスが溜まるため、マイナスな気分になった時は特に運動で汗を流した。
頑張っている自分を受け止めてあげられたし、肉体疲労を起こすことで何だか入眠もよかった。
嫌な記憶で頭がいっぱいになった時は今でも、ランニングや筋トレで脳を制御している。悪い方向に行くな!戻ってこい!と。

▼食事を変える、アルコールは控える

メンタルがボロボロだった休職の直前期は、過食で一年半で10キロ体重が増加した。
服はすべてサイズアウトし、履けない、ボタンが閉まらない。
太った自覚があったが、あの時は誰が見ても明らかにおかしかったと思う。
思い返しても悲しくなる。
その時に食べていたのはラーメン。大好きで息抜きに腹がはち切れるくらい食べた。お腹が満たされると、嫌なことがあってもどうでもよくなって、
その瞬間だけは幸せだった。
それからアルコール。毎日飲んでいた。通院の時もお酒は飲んでも大丈夫ですか?と医師に聞くくらい依存していた。
呑んで忘れたいくらい辛かったんだろうな。
朝食は朝起きられないので無し。自販機のブラックコーヒーで終了だった。

休職中から復職してからは、毎日三食食べること、自分の体質に合った和食中心の食生活に切り替えた。
お米、納豆、梅干し、鶏肉、野菜、みそ汁。お弁当も和食。
メニューを考えると疲れるので、いつも同じ。

ラーメンは週に一回まで。
アルコールは段々と飲みたい気持ちがなくなり、今では月に一回ほど。
快便、体重も少しずつ減り、体型も戻ってきた。
捨てずにとっておいた服のボタンが閉まる喜びたるや。
飛び上がるくらい嬉しかった。祝福の舞、小躍りしてしまった。

▼自分の性質を知る

適応障害になってから自分と向き合う時間が増えたことは、良いことだったと思う。
大学卒業後、そのまま就職し、立止まることが無かった。というより止まることを許していなかった。コロナ渦で先行きが不透明だったこと、親に心配かけたくなかったこと、訳も分からず勢いで突き進んでいた。
もう少し自問自答して、誰かに相談して物事を決めればよかったと思う。
が、過去は変えられないから、これからどうやって生きていくか、どういう自分でありたいか、どうしたら周りを幸せにできるか、自分の特技は何か、を洗い出しているところである。

前よりも穏やかになったし、負のオーラを纏うこともなくなった。
むしろ負のオーラを避けるようになって、人付き合いも変わった。
自分が生きやすい、明るく楽しい状態を維持するためにどうするか、を重視して行動している。
環境を変えたことで、思考も行動も肌ツヤも変わるなんて知らなかった。
現状を変える決断が未来を明るくすると実感している。


▼計画的に休む

最後に、意識的に「休む」こと。
適応障害になる前は「休み方」が分からなかった。
ストレス行動をこれくらい、この期間すると壊れる、と分かった今、
疲れる前に休むこと、優先順位を決めて休むこと、仕事はどうにかなること、今日じゃなくていいことは後回しにすること、適当に手を抜くことが
必要だと知った。
仕事は大事、でも自分と家族の方がもっと大事、と明確なボーダーを引く勇気を持てた。
休むことも仕事だと思えば、何も怖くなくなった。
健康が一番。自分を守れるのは自分だけ。
自分の人生に責任をもつために、休息の大切さを理解した。

あとがき

最後まで読んでくださりありがとうございました。
適応障害に苦しむ方々へ、またそのご家族へ、少しでも参考になれば幸いです。適応障害は再発可能性があるようです。自身がそうした性質をもっていることを理解し、健全に楽しく人生を歩めるよう毎日を過ごしています。
24歳で適応障害になり、一年経ってようやく自分を見つめることができるようになりました。
こうした回復にはいつも側で支えてくれた夫、両親、陰ながら応援してくれた同僚、上司の協力がありました。退職した今でも温かい言葉をかけてくれる同僚、上司には感謝しています。
いつか恩返しができるように日々精進をしたいと思います。

周囲の人が落ち込んだときに寄り添える自分でありたい。
焦らず気負わず一歩ずつ。











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