江部航平

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正義

 暗がりから急に照明をつけたところでちょうど目を閉じちゃって、瞼の裏の血管の赤さが目にしみて痛む。  部屋は散らかって足の踏み場もない。照明に照らされたポテチの袋の銀色がキラキラしてやかましく、そのキラキラに紐付いた記憶の砂がちょっとだけ動くさまに気を取られていた。  救急車! 早く救急車呼んで! とトラックの運転手らしい男の叫ぶのが聞こえて、事態の処理に追いついた脳が目の前の状況に震えていた。会社から帰りがけの駅前、バスターミナルの近く。十字路を突っ切って電信柱にぶつかっ

    • ハイヒールの音

       昨日の午後に戦争は終わった。行きつけのパン屋も、本屋も、みんななくなってしまったけれど、とにかく終わったのだ。  ヘルムも石ころ兵に譲ってしまって、僕はひとり部屋に戻って何かと入り用なものを紙切れにまとめていた。サラダ油に囲碁、みかん、小麦粉……。  部屋の外では福々蛾のコートを着た女が歩いている。その女の履いたハイヒールのカツ、カツ、という硬い音が街に響いていた。

      • 雲の流れ

         雲が流れていたのだ。ビルの無機質な線が空の形を切り取りながらも、雲は音もなく流れていた。僕はそのことに気がつきもせず、暮れ始めた空の色を見ていた。雲は夕日の残光のために桃色にひかったり、夜の藍色に染まり始めたりもしていた。

        • 銀の茄子

           寝起きの目尻は目脂がこびりついてがびがびだった。救急車の走って行く音が外から聞こえて、いま七時三七分、食べ残した昨日のスープと私が部屋にいる。  スマホの充電が心許なかった。平たい板にはイケメンの形をした絵がこちらを見つめていて、これは私の推しキャラ、今日もかっこいいなんて言ってみるけれど返事はない。赤い髪の八頭身で、最近奮発して買ったガチャ産の服がよく似合っている。  いつのまにかイベントの最終日だった。まだ銀の茄子が必要数集まっていなかったことを思い出して慌てた。情けな

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          だれ

           連休を終えて帰ってきた僕の部屋には彼が住んでいて、シャンプーも、冷蔵庫の苺ジャムもすっかり替えられてしまっていた。 「誰なんですか、あなたは」と僕は言った。「なぜ僕の部屋にいるんですか」  彼はブルーベリージャムのトーストを齧りながら僕をみていた。焼きすぎて黒っぽくなったトーストはさくりと音を立てて噛みちぎられた。彼の口許からパンくずがこぼれて丸皿の上に散らばる。 「あなたこそ」と彼は云った。ひどく落ち着き払った声だ。こんな状況には慣れっこなんですよ、といった調子で僕の顔を

          仲の良かった人の顔をしっかりとみるのは、その人を棺桶に入れる時くらいなのかもしれない

          仲の良かった人の顔をしっかりとみるのは、その人を棺桶に入れる時くらいなのかもしれない

          槍で貫く

           精神的加虐性によって感情は鉄の槍のように尖っていた。槍は果子の胴を貫き、床に血の輪が広がるところを僕は想像した。僕は果子を心臓の深くから愛していた。けれどもそれは過去で、今ではもう取り返しがつかない。

          膜と迷惑

           口の中に入れたみかんの、食いちぎった袋の中から出てくる汁と、果肉と、白い袋を飲み下すための咀嚼、その一つ一つが億劫で、難儀で、退屈だった。 「死んだらいけないんだよ」きのう、学校帰りに新作ゲームのルールを説明してくる果子ちゃんの言葉だけが頭の中に浮いて出てきて、みかんの白い袋と、その浮き出た湯葉みたいな危うい言葉の膜がぴたりとくっついてひとつになろうとする。なんの関連も脈絡もないみかんと死についてが結びつこうとしているのにちょっと迷惑した。

          ぎっくり腰

           この話は内緒なんだけれども、世の中にはメカとおばけと猫とむかでを混ぜこぜにしたみたいな生き物がいるんだな。名はドレクシといって、誕生日は二月三十日で奥さんと二人の子どもがいる。歳は今年で四二の厄年、先月ぎっくり腰が再発した。けれども彼はむかでの素養があるので、体をねじりもんどり打ってにゃあと鳴いて治した。奥さんからはその様子を白い目で見られたそうだ。

          ぎっくり腰

          肩の上の都

           ニッコが今晩満月であることを教えてくれたから私はうっきうきで夜を待っていたのだ。けれどもいざ夜になって見るとダイダラポッタラが月を隠してしまって全く面白くない。ダイダラポッタラの肩のほうがぼんやり光って青白く、肩の輪郭線が薄い光に強調されて、大きな肩に生える木々のざわざわが遠目に見えるようだった。あの巨人の肩にも風が吹いているのだ。お婆が昔、巨人の肩には都があると話してくれた。嘘かほんとか分からない。都から眺める月の景色は、いったいどれほど美しいだろう。

          肩の上の都

          悪い石ころ兵と地域の防犯科

           さいきん、悪い石ころ兵が人やゾウの脛を目掛けて体当たりしてくるという事案が頻発していた。彼らはまあまあの速さでぶつかってくるのでかなり痛い。さいあく痣ができてしまいかねない。これについて地域の防犯科は「住民ひとりひとりが気をつけていく必要があります」とコメントした。このコメントはすぐさまネットに取り上げられ「カスがよ」とか「こんなうっすい事わざわざ言うくらいなら最初っから言わなきゃいい」とか「住民のスネすら守れない無能」とか「俺んちのネッコの方が百倍ましや」とか散々に言われ

          悪い石ころ兵と地域の防犯科

          一体誰に?

           穏やかに過ごしたい日に限って家の鍵を無くしたり、犬に吠えられたり、鼻紙がゴミ箱の口を外れたり、不注意な石ころ兵が脛に直撃してきたり、彼女が不機嫌だったり、ガソリンの残量が心許なかったりする。これはなにか幸福について一定の基準値というもが定められていて、僕はそれによって幸運を調整されているように思えてならない。  一体誰に? 僕の知るべきところではない。少なくとも特定の何者かが僕にそうなるように仕向けているわけではないだろう。このようなことは考えたって仕方がないのだ。  とは

          一体誰に?

          ある海底の冒険

           深海に落ちてった星のはなし。それはあの双子の星が箒星に騙されて落ちたみたいに、海の中に落ちて、どこまでもどこまでも沈んで、とうとう夜空よりも暗い海底に足をつけた。星は真っ暗な海底をしばらく歩いていたんだけれど、そのうち醜いなまこに出会った。 「オレも昔は星だった」となまこは云った。「誰よりも早い彗星だったのさ。けどちっとばかし悪さをしちまってこのざまさ」  なまこは小さいいもむしのような体をくねらせて暗闇のどこかに消えていった。星はまた歩き出し、そのうち沈没した船の残骸を見

          ある海底の冒険

          わからない

           化粧水は苦い。つけ離しのテレビから流れるニュースを聴きながら朝の身支度をしていた。  駅で高校生がトラックに轢かれて死んだらしい。自殺だったそうで、初老のコメンテーターがそれらしい顔して自殺する若者について話していた。まだ若いのに、私は寒さのせいで腰は痛いし、髪も乾燥で切れるし、ほうれい線だって消えないくらいに無様に年を取ってしまっているのに、どうして自殺なんてばかな事するのかわからない。

          わからない

          影を見つめる

           目の前に伸びた影の輪郭ははっきりとしていていた。影は項垂れた僕の頭から降りて、肩、袖に寄ったしわが歩道のでこぼこに染みつくみたいだった。石ころ兵が二匹、僕の影を通り過ぎていった。一匹はよくある赤いヘルムをかぶって、もう一匹はなんにもかぶっていない。影は石ころ兵二匹分ふくらんでじっとしていた。  いつまでそうしていただろう。首の後ろがヒリヒリとしていた。そのうち僕は腰を上げ、足許の影が示すままに東に向かって歩き出した。もう一日が終わろうとしていた。

          影を見つめる

          - [ ] 物質的殺意、精神的加虐性 - [ ] 精神的加虐性の果てにあるのは罪悪で、よごれた血の色をしている。 

          - [ ] 物質的殺意、精神的加虐性 - [ ] 精神的加虐性の果てにあるのは罪悪で、よごれた血の色をしている。