noteで自由に書きたいなら、まずは思い切って自分に許可しよう!
書くことがスキと思いながらも書かずにいたこの期間、本当に書きたいことってなんだろ?と考えていた。
今学んで実践している思考のしくみからの気づきや変化を、書きたいことだと思っていた。それももちろん書きたいことのひとつではある。
でも、なんか違う。しっくりこない。過去、何度かnoteに書いてきた。だれかの役に立ちたいと。なのに結局のところすべて中途半端で止まっている。
書きはじめは楽しい。
そうだ!学んだことをシェアするってきっと役に立ちそう。そう思っていたが、途中でなんかちがうと思ってしまうのだ。
考える。わたしは何を書きたいのだろうと。失敗したことって恥ずかしいけど、おもしろい。それだ!と意気込んでまたnoteに書いてみる。なぜだか上手く書けない。
そうか!上手く書こうとしてるから書けないのだ。書きたい。ただそれだけでいいのに、あれやこれや頭で考えるからますます書けなくなるのだ。
初心。いつもこの初心を忘れてしまう。書けば書くほどそれを忘れがちになる。だから書けなくなっていく。わたしじゃない誰かになろうとするから書けなくなる。
そもそも誰のために何を書きたいのか?そこを忘れちゃいけない。忘れると書けなくなる。なにを書くのもここ、noteという世界は自由ではないか。だからこそ、ここを選んだんじゃないか。
自由。なんて魅力的な響きだろう。人は自由を求める。わたしもその一人だ。常識に縛られて書けなくなるなんてもったいない。ここは自由を許可できる世界じゃないか。
遠慮がちに広げている背中の翼を、遠慮なく大胆に大きく広げてバッサバッサと音を立ててみよう。やってみたかったけど、やらずにいたことをやってみようよ。
わたしが遠慮しているなんて誰も気づかないし、知りもしない。遠慮してなにか特になるのか?むしろ人生を損している。
遠慮していたらいつまでも挑戦できないではないか。いつ挑戦するの?いつ書くの?
遠慮したり人の目を気にしたりするのってどれだけ自意識過剰なんだってことに気づいたら、恥ずかしさとおかしさが込みあげてきたこともある。
これだけは覚えていてほしい。noteの世界はどこの世界よりみんなあたたかく、やさしさで溢れた世界なのだから。
noteで自由に書きたいなら、まずは遠慮なんかしてないで、誰かと比べたりなんかしてないで、自由に書くことを自分に許可してあげようよ。
知らない誰かのことを気にするのって、ほんと時間のムダだから。
考えて悩んで文章がうまくなるなら、わたしってばとっくにプロだよ。文才なんてないんだから、とにかく書いて書いて、書きまくって自分が楽しければそれでいい。
この人の記事、めっちゃおもしろい!って文章はたくさんある。それを目指してもいいけれど、本当にそんな風に書きたいのかっていったら、そうじゃない。
わたしにしか書けない文章ってのが必ずあって、それはみんな同じなんだと思う。あなたにしか書けない、あなただから書ける文章。
なーんて今は思うけど、明日には変わってるかもしれない。それすらも"わたし"だと許可していく。